薬害エイズを忘れない!

1500名の被害者を出した薬害エイズ事件が一応の終結を見て早10年。「薬害エイズってなあに?」と言う若者が増えています

薬害エイズ和解10年 特に重い母親の心の傷

2006-06-06 02:11:21 | 薬害エイズに関する情報
血友病などの治療に使われた非加熱の血液製剤にエイズウイルス(HIV)が混入し、多くの患者が犠牲になった薬害エイズ事件は、国と製薬会社が責任を認め謝罪した1996年3月の和解成立から29日で10年を迎える。

 だが、同年以降だけでも200人以上が死亡し、遺族は今も差別の影におびえ心の傷は癒えないままだ。被害は終わっていない。

「息子の死因言えない」
 「なんて優しい音色」

 2月中旬。都内の小さなホール(注記 日大カザルスヒールです)で、事件の犠牲者にささげるコンサートが開かれた(「第2回 はばたきメモリアルコンサート)。30歳代だった息子を91年に亡くした母親は、旋律が心にしみこみ、癒やされるのを感じた。

 でも、コンサートがお開きになると、孤独と悲しみの世界に引き戻された。

 ホールの周囲は思い出の場所だった。息子が大学生の時「母さん、すしをおごるよ」と連れて行かれた店、仕事で通った道――。

 「ワイシャツのサイズは39―78。いつも私が買っていたから忘れない。15年もたつのにおかしいと思うでしょう。でも今も毎日、なぜ助けられなかったのかと悔やむのです」

 息子は85年、帝京大病院で投与された血液製剤でHIVに感染した。発症後に病院で受けた仕打ちは忘れない。ろくな治療も受けられず、介護用品は不潔だった。医師はカーテン越しにのぞき込むだけで近寄ろうともしない。なのに、息子が苦しみ死んで行く過程は医学論文に使われた。「実験材料にされた」という怒りがよみがえる。

 東京HIV訴訟弁護団の説得を受け、96年、血友病やエイズの権威として君臨していた帝京大の元副学長、安部英医師を告訴した。当時、10代も含めた若い人たちが、ウイルスの影響による肉腫(にくしゅ)や脳症に侵され、家族もみとることを許されないような悲惨な闘病の果てに次々と亡くなっていた。同年8月、安部医師は東京地検に逮捕された。だが1審で2001年3月、安部医師は無罪判決を受けた。検察は控訴したが、2審の結論を見ないまま、安部医師は昨年4月に死去した。

 被害が問題化した当時、エイズは「死の病」と言われた。血友病患者や家族が受けた偏見、差別はすさまじかった。幼稚園入園や就労が拒否され、医師ですら診療を拒んだ。母親は今も、親友にも親族にも息子の死因は言えない。「怖いのです。どうしても」。今も時々、病院に「どうして人間扱いしてくれなかったのか」と叫びたい衝動にかられる。最近は独り暮らしの自宅でふさぎ込むことが増えた。



10年間で死亡202人
 被害者自らが仲間の回復や支援のため設立した「はばたき福祉事業団」(東京)によると、原告1371人のうち、これまでに586人が死亡した。この10年間だけで202人に上り、昨年の死者は前年のほぼ倍の21人だった。

 エイズの治療法は発達したが、被害者の9割以上はC型肝炎ウイルス(HCV)に重複感染しており、最近は肝疾患による死が増えている。

 国は和解後、病院や薬局に副作用報告を義務づけ、医薬品の安全性チェック強化のための独立行政法人を創設するなど、再発防止策を講じてきた。同事業団理事長の大平勝美さん(57)はこうした取り組みを評価をしながらも、国や医師、日本赤十字社などがもっと協力し被害者の抱える問題に取り組んでほしいと指摘する。「今も30、40代で亡くなる人があり、遺族は心の傷が癒えないまま高齢化してゆく。こんなことは絶対に二度と繰り返してはならないんです」

(2006年3月27日 読売新聞)

■一般論ですが、血友病患者の母親たちは「この子が弱い体に生まれたのは私のせいかもしれない」+「伴性劣性遺伝である血友病は母親の家系に血友病素因がある場合が多いという負い目」+「目の前で痛いよ、痛いよ、どうして僕だけこんなに痛いの、と苦しむ患者を目の前にした母親の胸の引き裂かれるような思い」+「この子が内出血したのは、お前の見張りが足りないせいだ。お前に責任があるんだから病院のことはお前に任せる、といった伴侶の無理解・責めるような言動・非協力」+「社会的孤立」に苦しみます。
その上、理不尽な内出血の痛みを軽減するため、自分が息子に打った非加熱血液製剤。そのせいで息子が理不尽極まりないHIVに感染し、わけも分からないうちに、悲惨なエイズ症状を起こして悶絶死したとするならば・・・。
その上、一番信頼していた専門医・看護婦の裏切り的な偏見差別に満ちた非科学的扱いが追い討ちをかけるとしたならば・・・。
そのような母親が全国にたくさん生きています。
当時の医療について誠実に謝罪した専門医・医療機関はわずかです。

2原告国が和解拒否…薬害エイズ 「投与20年以上前」除斥期間理由に

2006-06-06 01:51:55 | 薬害エイズに関する情報
非加熱製剤でエイズウイルス(HIV)に感染した血友病患者らが国と製薬会社に損害賠償を求めた薬害エイズ訴訟で、最初の和解から10年が経過したが、東京、大阪両地裁で係争中の1人ずつが、国から和解を拒否されている。

  薬害エイズ訴訟は、1989年の初提訴以来、原告1380人の和解が成立しており、弁護団は「全面救済が一つの大きな節目になる」としている。

 訴訟は96年3月29日、国と製薬会社が責任を認めて謝罪し、和解が成立した。和解確認書には、被害者1人当たり4500万円の和解金などが盛り込まれ、未結審原告と未提訴者も「本件和解に準拠する」と規定された。和解成立直後から提訴が相次ぎ、救済が進んだ。

 ところが、2人は非加熱製剤を投薬されたとみられる日から20年以上経ていたため、国は除斥期間が過ぎていると主張し、判決で決着をつけなければならない可能性もある。(注記 少なくとも一人の患者は提訴する20日ほど前に東京の国立国際医療センターの中にあるエイズ治療研究開発センターを受診して初めて感染が発見され、告知されたと言う。ああ・・・)

 薬害エイズの被害は和解後も続き、死者は計600人近い。松本剛・大阪HIV訴訟弁護団長は「後に続く被害者に救済の道をつけるとの趣旨を込めた和解だったのに、今さら除斥を持ち出すのは理不尽。国の謝罪はいったい何だったのか」と話している。

(2006年4月7日 読売新聞)

コメント 数年前から鎧の下に見え隠れしていた「幕引きのロジック」。これが認められると、首班の事情で感染に気づかないままこの日まで来た人、提訴したくても踏み切れなかった人たちは「救済から切捨てされる」ことになる。