goo blog サービス終了のお知らせ 

川越雑記帳2(川越見て歩き)

24-2 旭橋と河岸場跡の碑

 「ほどなく道は右折、左手には新河岸川が流れる。旭橋に出る100㍍手前の左側には、もと遠藤薬局があった。かつての上新河岸の船問屋「炭屋」である。遠藤家は飯能の出身といわれ、寛文6年(1666)川越城主松平信綱から御船役をおおせつかり創業したという。上新河岸村の名主をつとめる一方、船問屋を手広く営業していたので、舟運関係の文書や行政資料などが保存されており、文書は市指定文化財となっている。



 「やがて左前方、新河岸川にかかる旭橋にでる。」
旭橋は、「散歩」の書かれた頃の橋と違って、両側に歩道のある広い橋に架け替えられている。



 「橋のたもとの柳の下、石碑が建つ。市文化財に指定されている「新河岸川河岸場跡」である。昭和50年の建碑。」
 この石碑は、現在は橋の袂、堤防より少し低いところの、公園のような所にある。
岸の改修工事の間は、写真奥の駐車場の隅におかれ、説明板も脇に置かれていた。
 「新河岸川の舟運は、寛永15年(1638)川越大火で仙波東照宮が焼けた際、その再建資財を運ぶのに利用したのが最初で、その後川越城主となった松平信綱が、全面的に改修して開いたもの。当時は、陸路より大量にしかも安く運べたので、またたくまに南関東地方の内陸部と江戸を結ぶ重要な交通路となった。(中略)鉄道の発達と昭和6年、県の通船停止令によって廃止された。」



 旭橋下流の岸は綺麗に改修され、流れは左に緩くカーブしている。
左岸の土手には何もなく開放的だが、右岸には樹木が繁っている。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「川越散歩」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事