
「やがて左前方、新河岸川にかかる旭橋にでる。」
旭橋は、「散歩」の書かれた頃の橋と違って、両側に歩道のある広い橋に架け替えられている。

「橋のたもとの柳の下、石碑が建つ。市文化財に指定されている「新河岸川河岸場跡」である。昭和50年の建碑。」
この石碑は、現在は橋の袂、堤防より少し低いところの、公園のような所にある。
岸の改修工事の間は、写真奥の駐車場の隅におかれ、説明板も脇に置かれていた。
「新河岸川の舟運は、寛永15年(1638)川越大火で仙波東照宮が焼けた際、その再建資財を運ぶのに利用したのが最初で、その後川越城主となった松平信綱が、全面的に改修して開いたもの。当時は、陸路より大量にしかも安く運べたので、またたくまに南関東地方の内陸部と江戸を結ぶ重要な交通路となった。(中略)鉄道の発達と昭和6年、県の通船停止令によって廃止された。」

旭橋下流の岸は綺麗に改修され、流れは左に緩くカーブしている。
左岸の土手には何もなく開放的だが、右岸には樹木が繁っている。