川越雑記帳2(川越見て歩き)

50-13 水塚1・男塚

「木野目交差点を左折、さくら団地を過ぎると左右に大小ふたつの水塚がある。大きい方を「男塚」、愛宕神社が祀られている小さい方を「女塚」という。木野目長者の杉山小学が、ひどい飢饉の時、村人の洪水対策を兼ねて作らせ、多くの土を運んだものには、壺の中の銭や穀物をひとつかみ与えるといって督励したという。」


 交差点に戻り、先ほど来た方向から右前方の道へ入る。
住宅街を450mほど行くと右前方が開け、道は広い直線路になる。
その道の左側、民家の屋根の上高く木がまるく盛り上がっていた。


 住宅地の出口は何本もの道が交差していたが、やや前方に入る細い道の先にも、樹木が繁っているのが見えた。


 こちらの方が近く見えたので細い道に入ってみた。
少し先の右側に小さな公園があり、入口の右側に「男塚公園」とかかれていた。
「男塚」は、公園のすぐ南側にあった。


 道をそのまま進むと右側に塚へ上る石段があった。


 割と急な石段を上ると頂上に大きな木があり、その前に石塔があった。


 石塔は石の祠のようで、二本の柱に支えられた赤い屋根がで覆われていた。
「散歩」には「女塚」に愛宕神社が祀られている書いてあるが、これも神社のようだった。


 塚の西側と南側の斜面は、下草もなく土がむき出しになっていた。
その感じから、近所の子供達の遊び場になっているように思えた。

 ・「木野目長者」

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コメント一覧

冥王星
子供の頃、この二つの古墳でよく遊びました。
山龍
男塚=富士塚?
ずいぶん久しぶりのコメントになってしまいました。

男塚の祠には「富士浅間大菩薩」と刻まれているので、
一時期は富士塚として信仰されていたようですね。

浅間神社が鎮座している塚はあちこちに残っていて、
川越にも富士信仰が及んでいたことがわかります。

こうした富士講が木野目長者の伝承とどう関わるのか、
なかなか面白い問題がひそんでいるように思います。
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