「つくつく日記」

NGO代表、空手家、学校の講師とちょっと変わってる私の日々の雑感をお届けします。

台湾への旅 「私立紅十字育幼院で出会った洪さんと宣さん」~その2~

2005年05月25日 | 「台湾への旅」

昨日、今日はフィリピンからアップしています。孤児院に到着する直前に日が落ち、綺麗な夕日が見えたのでみなさんにご紹介します。こんな夕日は都市部ではなかなか見られないですね。



さて、宣さんのこどもとの活動から台湾の施設の歴史へと話は進んで行きます。

第2次大戦後、台湾では「救済院」という施設が作られます。障害者の方や孤児達を一緒に保護する施設で「かわいそうな人たちに恵みを与える」という感覚で運営されていたそうです。

その後、台湾の経済発展と比例して、地方から台北や高雄といった都市部に人口が流入してきます。その結果、仕事にありつけない人たちがスクウォッター(不法に土地を占拠した居住地)を形成し暮らし始めます。

宣さんがこどもたちと関わる仕事を始めたのはちょうどその頃の1960年。政府の社会福祉省の職員として働き始めます。それから10年ほどは貧困層でこどもたちを育てられない家庭のこどもたちを保護するのが施設の主な役割でした。

1970年代には、更なる経済発展に伴い貧困という理由から施設に入るこどもたちの割合が減っていき、その代わりに障害を持ったこどもや自閉症のこどもが増えてきます。しかし、台湾には自閉症のこどもたちに対応する経験が乏しかったため、宣さんは日本での自閉症のこどもに関する研修に参加するのです。

その時に宣さんが研修で訪れた場所が、日本でも自閉症児の教育校として有名な「武蔵野東学園」。この学校は早くから自閉症児と健常児がともに学ぶ仕組みを確立し、幼稚園から高校までを併設し。その教育方法はアメリカでも高く評価されアメリカにも分校を持つほどです。創立者は北原さんという方です。

そして、その武蔵野東学園はACTIONの事務所がある同じ武蔵野市内にあるのです。これだけでも驚きですが、なんと私は武蔵野東学園で全校生徒に対して授業を行った事があり、創立者の息子さんにあたる現学長ともお会いしていました。

たまたま台北経済文化代表処で紹介された施設でこのようなつながりがあるとは思いもしませんでした。もちろん、宣さんも「世の中は狭いですねぇー。」と言って、最近の学園の様子を興味深く聞いて下さいました。

当時、高雄に始めて出来た国立の育幼院の院長を務めていた宣さんは武蔵野東学園をはじめとした研修の成果もあって、1975年に台湾で初めて自閉症児に対する教育を始めたのです。児童福祉を学ぶ学生のボランティアも多く参加をし、10年間国立の施設で自閉症や障害児に対する教育を行っていきます。



さて、ここで意外な事実が判明。最初に声をかけてくれた品の良いおばあさんの洪さん。洪さんはどんな人なのだろうと思っていると、それを察してくれたのか「私たちは夫婦なのですよ。」とのこと。洪さんと宣さん。苗字が違います。

そう、台湾では結婚しても夫婦を同姓にする義務はなく、女性も自分の姓をそのまま使う事が認められているのです。こどもは父親の姓を名乗る事になっているようです。

さて、話を元に戻します。宣さんは台北の国立育幼院の院長に就任の要請を受けます。このとき、奥さんの洪さんは「私立紅十字育幼院」で働いていました。高雄から台北は電車で4時間。通える距離ではなく、夫婦が別居をしなくてはいけません。

ちょうど、紅十字育幼院の院長が交代をする時期だったので、宣さんは国立育幼院の院長職をすぐに辞退し、1985年に現在の私立紅十字育幼院の院長に就任するのです。ここから夫婦二人三脚での活動が始まります。

次回は私立紅十字育幼院についてお伝えします。