「つくつく日記」

NGO代表、空手家、学校の講師とちょっと変わってる私の日々の雑感をお届けします。

台湾の旅 「私立紅十字育幼院で出会った洪さんと宣さん」~その1~

2005年05月24日 | 「台湾への旅」

台南で鄭成功廟や紅毛城を訪れた後、今回の台湾訪問で最後の場所となる台湾第2の都市高雄へ向かいました。台南から高雄は電車で30分程。台北から電車に乗り、台中、台南と来ましたが、これが最後の乗車です。窓から見える景色が次第に高層マンションやビルに変わって行きます。

日本も田舎から電車に乗って都会へ行くと、徐々に発展していく様子が眺められるのですが、九州ほどの大きさの島に2500万人が住む人口密度の高い台湾ではその光景もあっという間に過ぎ去って行きます。

高雄での目的は、台北経済文化代表処から紹介された3つの施設で最後の施設を訪れること。「私立紅十字育幼院」は日本語に直すと「私立赤十字育幼院」。台湾では日本で「赤」が「紅」になります。これが最後に訪れる施設の名前です。

高雄駅からタクシーに乗って15分ほど。運転手さんが急に「ここで降りてくれ」と言って来ました。どうやら施設の手前が通行止めになっていて車が入れない様子。歩いてすぐということで少し歩いて施設へ向かいました。後でわかったのですが、通行止めの理由は道路にテーブルや椅子を広げて結婚式の披露宴をする準備をしていたからだそうです。

施設の入り口をくぐると、重みのある建物がありました。少し、台湾総統府や東京駅に似た雰囲気の建物です。事務所に声をかけると、奥に通されて「座って待っていて下さい」というジェスチャー。しばらく待つことにします。



「お待たせしてすいませんねぇ」と流暢な日本語で品の良いおばあさんに声をかけられました。続いて、「思っていたよりも若い方ですね~」とおじいさん。このお二人がこの施設で私たちを案内してくださる方でした。おばあさんは洪さん。おじいさんは宣さんというお名前です。

事務所を出て食堂件会議室へ向かうと、そこに「歓迎 日本国際合作NGO団体 ACTION 代表横田御一行様」と書いてありました。二人なのに「御一行様」なんてちょっと恥ずかしかったですが。自己紹介をそこそこに済ませ、宣さんがこの施設の歴史について説明してくれます。宣さんは現在、この施設の顧問をされている方です。

「この建物は83年前に日本が作ったものですよ。」この一言で門をくぐった時に感じた雰囲気の理由がわかりました。この建物は1922年に出来た建物で「婦人会館」として愛国婦人会高雄支部が使用していました。



高雄駐在の日本人の奥様たちと地元の女性たちが地域での奉仕活動を目的として設立をし、多様な活動をしていたそうです。戦争が始まると、負傷して帰国した兵士の治療も行っていた場所です。建設当時から多少の改修はありましたが、戦火を逃れ、現在も当時のままの姿を残しています。

宣さんはこう続けます。

「当時はいろいろな良い話があったのですが、戦後話が伝えられていないため、忘れられてしまし残っていないのが残念です。日本が戦争で負けた後、日本の持ち物は国民党にすべて没収されてしまいました。それを私たちが借りているのです。だから今もこの建物は国のものです。」

そして話は実際の活動について広がって行きます。その話に偶然ではないものを感じるとは思ってもいませんでした。