「つくつく日記」

NGO代表、空手家、学校の講師とちょっと変わってる私の日々の雑感をお届けします。

土曜学校~その5~「明治神宮へ行こう!」

2005年10月24日 | 「土曜学校」

本殿の入口の柱には無数の傷跡が付いています。長さ2センチほどの傷跡です。これは、初詣の時に用意される、巨大な賽銭箱(プールぐらいの大きさ)に向かって投げ込まれるお賽銭が勢い余って柱にぶつかった後だそうです。なので、柱の裏側には傷跡がまったくついていません。傷跡一つ一つに、投げた人の願いが込められている気がしました。

お参りが終わると、お昼ご飯。明治神宮の研修所でお弁当です。初めて知ったのですが、神道では頂きますとご馳走様をする前に1拝1拍をしてから言う台詞があるそうです。研修所の食堂にはそれが貼ってありました。興味深いですね。



お弁当の後には各自小さな鉢植えを受け取り、鉢に絵を描きます。そう、代々木の由来にもなった明治神宮の樫の木から落ちたドングリの実。そこから生えた苗を植えて、家に持ち帰るのです。この日の思い出として、鳥居やドングリ、玉砂利といった絵をそれぞれ描いていました。

今回は「響」の方が特別に許可をとってくれていたのですが、通常は明治神宮の樫の木の苗を外に持ち出すことは出来ませんのであしからず。「響」のみなさん、ありがとうございました。

苗を受け取り、明治神宮訪問は終了です。それぞれ、フィリピンの交流相手にどうやって明治神宮の事を伝えるのでしょうか。楽しみです。

~番外編~

さて、明治天皇と言えば、教育勅語が有名です。西洋化していく日本を憂いながら明治25年に日本人の教育の指針として発表されました。戦中はこれを教育の中心と据えた為、軍国主義教育の象徴として扱われ、戦後は排除されています。

しかし、一体実際の中身はどういうものだったでしょうか。当時の文体では難しいため、現代語に意訳したものを下記に載せますので目を通してみてください。私自身は、どこもおかしくないどころか、今の日本人に欠けているもの全てが書いてあると感じました。

教育勅語意訳

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。

そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。

そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

~国民道徳協会訳文による~

土曜学校~その4~「明治神宮へ行こう!」

2005年10月22日 | 「土曜学校」

以前にお伝えした小学生向けの講座「土曜学校~世界を知る会~」の一環でこどもたちと明治神宮を訪れました。世界の事知るのも大切だけど、世界に発信できる日本の文化を知る事も大切だという主旨。朝8時半、武蔵野市役所に集合しバスにのって明治神宮へと向かいました。

明治神宮。ほとんどの人がその名前を聞いたことはあるでしょう。しかし、詳しいことを知っている人は少ないと思います。明治神宮に祀られているのは?問いに答えられたうちの学生はほとんどいません。神社の名前の通り、祀られているのは明治天皇と昭憲皇太后です。



と言う事は明治天皇の没後作られた神社と言う事であり、設立は大正9年11月1日。神社の歴史としては新しいものなのです。入口を飾る大鳥居は木造のものとしては日本最大で高さは12メートルで檜作り。この木は国産ではなく、当時の台湾総督府から献木されたものです。

今回は明治神宮をボランティアで案内している「響」というNPOの方々がこどもたちを案内してくれました。みなさん、20代前半の若い方でこどもとも和気あいあいと神宮内を案内してくれました。

神社の大鳥居をくぐると、丸い砂利が敷き詰めた参道があります。これは「玉砂利」といい、歩きながら足の裏をこすり付ける事によって、本殿に到着するまでに体や心の悪いものを綺麗にすると言われています。

明治神宮は代々木という場所にあります。この地は昔から代々木と呼ばれており、代々樫の木が生えていた事から代々木という地名が付いたそうです。樫の木からはドングリの実が落ち、その実から芽が出てまた木になる。代々、木が続いていくという意味でもあるそうです。

明治神宮の中には御苑があり、そこにはお茶室があります。こどもたちはそこでお茶を頂くのですが、お茶の先生の凛とした厳しさに、いつになく真剣な表情。お茶とお菓子を頂いたあと、二人一組になってお茶を点てる役と客人役に別れて体験をします。

頂きますやどうぞと言った言葉を言う時にお辞儀をするのですが、その仕方がみんなぎこちなく、それでも一生懸命している姿がとても微笑ましい光景でした。御苑を一回りした後、お参りをしました。

2礼2拍1礼が神道式のお参りです。神官の方から作法を教わって、各自神妙な面持ちでお参りをしていました。中には結構長い時間お祈りをしていたこもいました。一体、どんな事をお願いしていたのでしょうか。

~番外編~

10月は神無月と呼ばれます。神がいない月ですね。それはなぜかというと、八百万の神全てが、神道の大元である天照大御神のところ、出雲大社に集うからだそうです。よって、出雲大社では神無月ではなく神在月と呼ばれるそうです。

一つ便利になると、人が出会う場所が一つ減る

2005年10月20日 | 「Weblog」

ブログを始めてから3ヶ月間は順調だったものの、2ヶ月間のフィリピン出張を機に3ヶ月もの間更新が止まってしまいました。これからは少しずつですが普段感じた事などを書き留めて行きたいと思います。

事務所で仕事をしていると、色々な方からメールが来ます。同じ国際協力業界の方が多いのですが、学校の先生、行政職員の方、フィリピンの友人。この時期に多いのは2月・3月に予定されているワークキャンプに対する資料請求や問い合わせ。最近はこんなメールを目にします。

「資料欲しいんですけど。」

これだけ。名前も何も書いていません。団体の資料かワークキャンプの資料かも分かりません。ここまで酷くなくても「資料欲しいです!どうすればいいですか(^_^)」っていうのは良くあります。思わず、「俺は友達かい!」と突っ込みを入れたくなるものばかり。書いている本人は何も考えてないと思うのですが。

最初の頃は、きちんとお名前を書いてくださいとか返信していたんですがそのうち面倒くさくなってしまっていまは特にリアクションを起こしていません。名前を書くとか、1行ではなく挨拶を書くという最低限の事ができないのかを考えてみました。

上にあるようなメールを分析してみると、いくつかの共通点がありました。

1.携帯電話のメールアドレス
2.表示名がニックネーム
3.件名が書いていない
4.言葉使いが友達調

なんか、最近良くある迷惑メールみたいです。

携帯電話には友達の名前がお互いに登録してあるので、名前を名乗らなくても相手には自分の名前が表示されます。件名を入力する事も稀ですね。それによって1~3は説明できると思いますが、4はどうでしょうか。

若年層の携帯電話の普及。これに尽きると思っています。

良く思い出してみてください。私は今29歳です。携帯電話を初めて持ったのは20歳の時。それでも早いほうでした。それまでは家の電話です。例えば、小学校や中学校の時。好きな子や彼女がいたとして、連絡を取りたい時には家に電話するしかありません。そうすると電話に出るのは、怖いお父さんや愛想の悪いお兄さん、優しいお姉さん。彼女が出るとは限りません。

誰が出ても良い様に、失礼な言葉使いをして家族に嫌われない為に、思いつく最高の敬語・丁寧語を頭に入れてから電話します。これってめちゃくちゃ緊張しますよね。でも今は直接携帯に電話すればそれでおしまい。

こんな経験が今の中学生~大学生にはあまりないのではないでしょうか。電話で緊張して丁寧語・敬語を使う。これって社会の縦関係を知るためにもとっても重要だった気がします。

一つ便利になると、人間が触れ合う場所が一つ減る。これが私の持論ですが、それを再確認した出来事でした。