「つくつく日記」

NGO代表、空手家、学校の講師とちょっと変わってる私の日々の雑感をお届けします。

「RYRCの空手教室」~その2~

2005年06月04日 | 「武道の旅」

昨日はこの空手教室では防御を中心に行うという話で終わりました。

しかし、空手を身に付けて相手をやっつけてやろうという気持ちのこどもも多く、最初はなんでもっと攻撃を教えてくれないのかと言った言葉も出てきました。それに対して私はこんな話をしたのを覚えています。

「例えば君たちが空手を学んで強くなったとしよう。町で些細な事で誰かと喧嘩になる。空手や他の格闘技をしっかり身に付けていれば、恐らく2~3人だったら勝てるかもしれない。多分、日本だったらそれで終わりだ。でもみんなが知っているようにここはフィリピン。その喧嘩でコテンパにした相手が君たちを恨んで家を探したりする可能性はとっても高い。」

「そして君がいない時を狙って家に来て、君の奥さんやこども、家族を傷つけたらどうする?家族が死んでしまうかもしれない。喧嘩では勝っても、その結果家族を傷つけられたら喧嘩したことを後悔しないだろうか?謝ったり話し合いで解決すれば済むかもしれないことで、家族を失うなんておかしくないか?」

「セルフディフェンスとは単に自分が喧嘩に勝つことではなくて、自分の面子を捨てても家族や大切な人をを守ることではないのだろうか。そのための技と心を学ぶことが空手を学ぶ意味だと思う。」



この言葉はしっかりとこどもたちに届いたようで、それ以降は組手がしたいとか、もっと攻撃を教えてくれという言葉は聞かれないようになりました。そして、こどもたちの中には真剣に、ある意味一般の道場の生徒よりも真剣な眼差しで稽古に参加しているこたちも数人見受けられるようになって来ています。

稽古が終わると、こどもたちが集まり色々な質問をしてきます。どうやったら体力がつくか、強くなれるか、家族を守れるか。そして一番多いのはこんな自分たちでも空手をすれば強い人間になることができるかという質問です。もちろん、絶対になれると思います。

そして、その為には彼らが社会復帰した後の地域社会での受け入れ態勢も必要です。ここに入っている子どもたちの多くは、家族に問題を抱えています。貧困による家族の崩壊も大きな要因となっています。政府としては施設に入っているこどもだけではなく、その家族に対するケアも行っていかなければ根本的な解決になりません。

しかし、その体制が整っていない現状では、一度施設を出てもまた施設に戻って来てしまうこどもたちも少なくありません。そんな状況でも強く、目的を持って生きていけるこどもたちがこの空手教室を通じて、数人でも出てくれればこんなに嬉しいことはありません。



そのためには私たちも地道に道場を増やし、彼らが社会復帰した時に引き続き道場に通えるような環境作りが出来れば良いと思っています。

それにしても、物事に真剣に取り組んでいる時のこどもたちの目は大人を圧倒させる力を持っている事をいつもの事ながら感じさせられました。機会があれば、RYRCという施設のことについてお伝えしたいと思います。

「RYRCの空手教室」~その1~

2005年06月03日 | 「武道の旅」

今日はフィリピン政府の社会福祉開発省(Department of Social Welfare and Development) 管轄下にあるRYRC(Regional Youth Rehabilitation Center) へ空手教室をしに行って来ました。日本語では青少年矯正施設。少年院みたいなものと言ったらわかりやすいでしょうか。

場所はパンパンガ州マガラン町です。この施設では昨年の11月から極真オロンガポ道場とACTIONで協力をして月2回の空手教室を開催しています。目的はこどもの更生と武道を学ぶことによって、社会復帰後に強い人間でいられるようにすること、そしてストレス解消です。

空手教室の参加者は毎回20人前後。こどもたちの入れ替わりが早いため、いつも5人程度新しいこどもたちが参加をします。前日からアンヘレス市在住の日本人の方宅にお世話になっていたので、一緒に施設へ向かいます。午前10時に施設についてからソーシャルワーカーの方と話をしばらくしていると、大きなバイクのマフラー音が響いてきます。



この空手教室を一緒に実施している極真オロンガポ道場のエルシルがやって来ました。以前に「押忍の心」で書いたイーグルのお兄さんで、昨年のフィリピン体重別(中量級)チャンピオンです。毎回オロンガポ市から2時間かけて来てくれています。上の左がエルシルです。

早速2人とも道着に着替えて、稽古場所のバスケットコートへ向かいます。コートに向かう途中はこどもたちの生活棟が並んでいます。その中から「オス!」「カラテ!」「オス!」という声が飛んできます。10時半から稽古の開始です。

空手教室を始めた頃は、落ち着きがなく稽古中の御喋りも多く集中力もあまりありませんでしたが、回数を重ねるごとにしっかりと整列をし、話を聞き、真剣に取り組むようになって来ています。これもエルシルがしっかり指導をしてくれている成果でしょう。準備体操から始まり、基本稽古、移動稽古、基本技の受け返し、体力作りを行います。



この空手教室では組手はさせていません。様々なバックグラウンドがあるこどもたちが集まっていますし、普段あまり仲の良くないこどもたち同士もいます。施設側の要望もあって組手は行っていません。その代わりに攻撃に対する受けを数多く行っています。程度の差こそあれ、ここのこどもたちは他人を攻撃した経験があります。

空手を攻撃するためのものとして教えるのではなく、あくまでも自分や自分の大切な人を守る為のものとして教えているため、まずは防御から入ることにしています。あくまでも自分からは攻撃をせず、出来るだけ戦いを避ける。もし相手が攻撃をしてきたら、それをきっちりと防御して逃げる。これがこの空手教室で教えていることです。

次回は空手教室の続きです。

「押忍の心」~その3~

2005年05月31日 | 「武道の旅」

さて、話を青少年トーナメントに戻します。今大会のひとつの見所は、フィリピン支部のヘッドインストラクターを務めるビクター先生の息子ケビンとオロンガポ道場のイーグルの試合です。階級は11歳~12際の部。今までになんどか対戦していますが、いつも惜しい所でケビンに軍杯が上がっていました。

今回は最初からイーグルが押して行きます。しかし、決着はつかずに延長戦へ。手技のイーグル対足技のケビン。延長戦はイーグルがやや優勢ですが、引き分け。再延長戦へ。再延長戦になると、歓声も大きくなります。そして、ついに突きで攻め続けたイーグルの判定勝ち!番狂わせに観客は盛り上がります。

やはり、今回は勝ちたいという強い気持ちがイーグルを勝利に導いたのでしょう。そんな12歳のフィリピンのこがいる事をとても嬉しく思い、感動しました。自分が普段教えているこなのでなお更です。

オロンガポ道場から出場した女の子二人も大会ベストバウトに入るほどの戦いを見せ、アイザは惜しくも2位でしたが、準決勝、決勝とフルラウンド戦い抜き、特に決勝は体重判定でも差がつかず、再々延長を行うなど大会で一番盛り上がった試合になりました。

オロンガポ道場はイーグル準優勝(11歳~12歳の部)、レイア3位(13歳~14歳女子の部)、アイザ準優勝(15歳~16歳女子の部)と大会技能賞を受けました。出場者全員が入賞をし、オロンガポ道場にとっては良い結果となりました。アイザはお父さんお母さんそろって応援に来ていたので良いプレゼントになったでしょう。



勝っても負けても、大会が終わった後は同じ道場の仲間としてそれぞれ交流を深めていました。短気で負けず嫌いでしかもだめだとわかったら途中で投げ出してしまうフィリピン人達を多く見て来ましたが、この大会ではどんなに不利な状況でも決して投げ出すことなく最後までみんな戦っていました。



スティーブン支部長やビクター先生、エルシルをはじえとした人たちの空手に懸ける思いが実り始めているのでしょう。そんな一翼のお手伝いが少しはできれば嬉しいと思っています。未来の空手界を担うこどもたち、むしろ未来のフィリピンを担うこどもたちがこの活動を通して増えていけばよいなぁと大会の度に思っています。

さて、今回のタイトルでもある「押忍」。この言葉は空手や柔道を始めとした武道では良く使われています。しかし、実際の意味を知っている方はあまりいないかもしれません。「押忍」という言葉で連想されるのは、忍耐という言葉でしょう。厳しい練習を「押忍」の心で耐える。苦しいときでも「押忍」があれば大丈夫等。

もちろん、そういった意味もありますが、他にどのような意味があるのか。それは「押忍」という漢字を見ていただければわかります。

「忍」という漢字は「刃」と「心」から出来ています。人は誰しも心の中に刃の部分を持っています。心の上に刃があり、それが出てこないように「押」のです。人間が本来持っている凶暴な部分が出てこないように精神的な強さを身につけ、常に感情を冷静に保ち、コントロールをする。これこそが、「押忍」という意味なのです。

これって、空手に関係なく今の日本のこどもたちにも必要なのではないでしょうか。押忍!

「押忍の心」~その2~

2005年05月30日 | 「武道の旅」

フィリピンでは以前、フルコンタクトの空手道場がいくつかありましたが、トーナメントを開催して、人前でノックアウトされた場合、大会後に待ち伏せして襲撃するという事件があったそうです。人前で罵倒されたり、怒られたりするのをもっとも恥とするフィリピンの文化にはあまりそぐわなかったのかも知れません。

もちろん、空手で大切な武道の心や押忍の心もちゃんと伝わっていなかった面もあります。黒帯を取った途端に独立し、自分でどんどん段を上げていく先生にも多く会った事があります。20代後半で6段というのも珍しくありませんでしたし、先生が空手の本とブルースリーという人にも会った事があります。

そんな人たちがきちんと道場を構えて人に教えていたのだから驚きでした。7年前にシンガーポール人のスティーブン支部長がマニラのサンフアン市で極真空手の道場を開き、徐々に活動を広げて行きます。大会には多くの流派が集まり、上記にある先生たちも参加をします。



私がスティーブン支部長に会ったのは1999年、世界大会が東京で行われた時です。当時、ルーマニアでACTIONのプロジェクトをしていた関係から、ルーマニア支部と交流があり、夏季合宿等に参加をしていました。

そして、世界大会に出場するルーマニア選手がうちに泊まっていたため、受付会場のホテルへ連れて行ったところ、フィリピン選手団に出会ったのでした。その後、5年たって再開する事になるのですがその話はまたそのうち。

フルコンタクトの試合は、彼らが今まで行ってきた寸止めの空手ではないので、たとえ黒帯と言えども、極真空手の初心者や中級者にも負けてしまいます。それを見た観客たちは、帯の色ではなく、最後に立っていたものが強いのだと理解をし、自分もやってみたい!となるそうです。

こうして、現在はマニラに5つ、地方に7つの道場を持つまでに成長したのです。

さて、次回はトーナメントの続きです。

「押忍の心」~その1~

2005年05月29日 | 「武道の旅」

5月29日にマニラで極真会館フィリピン支部主催「第5回青少年トーナメント」が開催されました。



フィリピンに詳しい人の中には、フィリピン人と極真空手にピンと来ない方も多いかもしれません。極真空手は顔こそ殴らないものの、素手素足で相手と戦うとてもハードな武道です。

多くのフィリピン人は痛いことを嫌がりますし、空手はボクシングと違って、アマチュアのため、世界チャンピオンになったところでお金が入ってくるわけではありません。月謝を払ってまで痛い想いをすることを普通のフィリピン人ならする人はいませんが、トーナメントを見れば今までのフィリピン人の一般的な概念が変わると思います。

さて、今回のトーナメントは青少年トーナメントと言うことで、いつくかのカテゴリーに分かれています。8歳未満の部、9歳~10歳の部、11歳~12歳の部、13歳~14歳の部、15歳~16歳の部です。13歳~以降は男女別に行われ、12歳未満の部は男女混合で行われます。

通常行われるトーナメントでは素手素足で戦います。ルールはフルコンタクトルールと言い、素手による顔面攻撃を禁止している他はすべての箇所(金的を除く)を素手素足で攻撃することが許されています。勝敗は相手を倒す一本勝ち(KO)か技あり二つでの合わせ一本、もしくは判定で行われます。K-1のルールで顔を殴らないといったらわかり易いでしょうか。

今回、私は審判と昇級審査の指導、そして極真オロンガポ道場のコーチとして参加しました。オロンガポ道場はまだ3年前に出来たばかりの道場ですが、軽量級と中量級でフィリピンチャンピオンを輩出し、そのアグレッシブなファイトスタイルには定評があります。写真はオロンガポ道場の生徒達。



トーナメントに参加するのは3人。12歳の部にはイーグルという男の子。13~14歳の部にはレイアという女の子。14~15歳にアイザという女の子が出場します。イーグルの一番上のお兄さんであるエルシル(31歳)は中量級でチャンピオンになったことがありますし、最近はアジアカップにも参加したつわもので会場をいつも沸かせるファイトをしてくれます。

大会に先立ち白帯~茶帯の昇級審査が行われます。基本に続き、移動稽古、型、体力テストと進み、25人ほどの受験者全員が無事に昇級することが出来ました。そしていよいよ大会が始まります。私は最初審判ではなく本部でトーナメント表の管理をする役回りです。

最初は各階級の1回戦から。14歳未満の部では脛あてにグラブ、ヘッドギアを取り付けて試合を行います。日頃の成果を出すためにみんな頑張って戦っています。試合の本戦は2分。決着がつかなければ延長戦が1分間で、さらに再延長戦が1分。それでも引き分けの場合には体重が軽いほうが勝ちになります。

お父さん、お母さんや道場の仲間の応援で力を出し切った末、勝ったこどもも負けたこどもも最後は握手で試合を終えます。負けたこどもの中には悔し泣きするこも多く、フィリピンではあまり見られない光景です。

明日もトーナメントの続きをお伝えします。