「つくつく日記」

NGO代表、空手家、学校の講師とちょっと変わってる私の日々の雑感をお届けします。

社会化見学「靖国神社へ行こう!」~その13~

2005年07月13日 | 「靖国神社へ行こう!」

最後に、特攻隊員だった植村大尉の遺書をここで紹介し、終わりにします。戦争を肯定するわけではなく、自分のこどもと妻の為に戦う。故郷という「クニ」のために戦うというのがどういう事なのかを考えさせられます。そして今も同じ気持ちで戦っている兵士が世界中の内戦・紛争地にいるのでしょう。

「愛児へ」

素子、素子は私の顔を見てよく笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたことも ありました。素子が大きくなつて私のことが知りたいときは、お前のお母さん、佳代叔母様に私の事を よくお聴きなさい。

私の写真帳もお前の為に家に残してあります。素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです。 私は、お前が大きくなって、立派な花嫁さんになつて、仕合わせになつたのを見届けたいのですが、 若しお前が私を見知らぬまま死んでしまつても、決して悲しんではなりません。

お前が大きくなつて、父に会ひたい時は九段へいらつしゃい。そして心に深く念ずれば、必ず お父様の顔がお前の心の中に浮かびますよ。父はお前は幸福者と思ひます。生まれながらにして父に 生きうつしだし、他の人々も素子ちゃんを見ると真久さんに会つている様な気がするとよく申 されていた。

またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がつて下さるし、お母さんも亦、 ご自身の生涯をかけて只々素子の幸福のみを念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことが あつても親なし児などと思つてはなりません。父は常に素子の身辺を護って居ります。優しくて人 に可愛がられる人になつて下さい。

お前が大きくなつて私の事を考へ始めたときに、この手紙を読んで貰ひなさい。

追伸、素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして おります。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教へて あげます。



植村眞久
神風特別攻撃隊大和隊 昭和19年10月26日 比島海域にて出撃、戦死
東京都出身 立教大学卒 25歳


社会化見学「靖国神社へ行こう!」~その12~

2005年07月12日 | 「靖国神社へ行こう!」

以上、4つの感想を紹介しました。参加した人は他にもぜひぜひ感想を送って下さいね。さて、今回の参加者の学生には

「今回の経験を踏まえて、ぜひみんなの周りに靖国神社に行ってみることを勧めて下さい。その時に、靖国は良いとか悪いとか言わずに(先入観を持たせずに)自分の目で見て考える事を勧めて下さい。」

「この議論はあと5年後、10年後も恐らく続いていくと思います。その時にしっかりと自分の考えで議論出来る日本人が増えていないと、同じ事の繰り返しだと思います。」

と結びました。

私自身の意見としては、靖国神社は日本のために戦った軍人・軍属の慰霊施設であり、そこに疑問の余地はありません。この事から、民間人が祀ってないとか、日本人だけなのはおかしいという意見には賛成できません。もともと、そのような主旨で設立されたものではないと思うからです。

逆に、軍人・軍属を祀る施設である以上、遊就館という博物館が軍人から見た歴史の視点の展示になることは容易に想像がつきます。恐らく、このあたりがあまり理解されていないのではないでしょうか。

もともと、戊辰戦争の頃から、軍人・軍属の慰霊を目的にしています。日本の戦没者に祈りを捧げる場合、それは様々な場所があると思います。広島原爆犠牲者の方の慰霊には「広島平和都市記念慰霊碑」へ、長崎原爆犠牲者の方の慰霊には「平和公園祈念像」へ。無名戦士のへの祈りは「千鳥が淵千鳥ケ淵戦没者墓苑」へ。

それぞれ、慰霊対象・目的を別にした施設があります。民間人戦没者(空襲などの被害者も含む)を慰霊する慰霊碑は地域ごとにはありますが、統合した形の特別な施設はありませんので、これは考える必要があると思います。

これらの事を考えると、やはり軍人・軍属を慰霊するためには靖国神社へ行くのが妥当ではないかと思えます。もちろん、祀られていない軍人の方の慰霊は千鳥が淵だと思います。今後、民間人戦没者を国立で作ることはあっても、やはり軍人・軍属の慰霊は靖国神社となる気がします。

靖国神社を語る時に、まず、軍人・軍属を祀り、慰霊するための神社だと言う認識を広げないと、議論が進まないのではないでしょうか。これが今回のツアーで学んだ事でした。

今回はあえて小泉さんの参拝是非や中国や韓国の抗議について私は触れません。みなさんもご自身で考えて見て下さい。

この靖国ツアーは毎年続けていきたいと思います。毎年行く靖国神社は同じでも、靖国を取り巻く状況は毎年変わっていく事でしょう。その中で私自身も靖国神社の意味を考えて行きたいと思います。

社会化見学「靖国神社へ行こう!」~その11~

2005年07月11日 | 「靖国神社へ行こう!」

3)大学生・男性の感想

「・・・あるところに、あまり裕福ではない村がありました。村びとたちは自分たちの土地の中でお互いに助け合い、また時には対立をすることもありましたがおおよそ平和で不自由のない暮らしをしていました。

しかし、そんな村の暮らしを脅かす王国が次々と勢力を伸ばし、周辺にあった村を滅ぼしその魔の手は村のすぐそこまで迫ってきました。

村長は、「このままでは、わが村もすぐに滅ぼされてしまう。われわれの存続のために、何もしないわけにはいかない」と考え、村びとの数名に王国へ行って、戦いに勝つための技術、すなわち人を殺すための技術を会得してくるように命じました。

見よう見まねで体得した技術に磨きをかけるためには、ものをつくるための人手・資源などたくさんのものが必要でした。そこでついに村人たちは周辺の村を襲い始めます。見事に村の土地を広げ、ついに王国と張り合うほどの力を手に入れました。

力を握った村人たちはやがて、自分たちの力を過信し王国をも手に入れようとたくらみ始めます。しかし、あくまで技術の先端は王国が抑えていました。村人たちはたちまち、戦いに敗れてしまったのです。

この村にはもちろんいろんな世代の人がいました。お年寄りもおじさんも。また、言葉すらまだまともに話せないような小さな子供も。やがて時が経ち、小さかった子供たちも大人になって村を支えるようになりました。・・・」

こんな話を考えました。この村は明治維新からの日本をあらわし、子供たちは現代の我々を意味しています。軍国主義に走り、周辺諸国を侵略し富国強兵を行わなければ日本はその存続さえ危ぶまれていた。

明治から終戦までを生きた大人たちは必死になって、国を繁栄させ子孫へと渡そうとした。その一方で周辺諸国には言葉では言い表せないほどの怒りと苦痛を与えてしまった。それは深く責任を感じて、謝罪すべきことである。

しかしながら、われわれがすくすくと育ってこれたのは侵略した国々から奪った富のおかげだけではない。そこには国家、国民のために罪を犯した上の世代の血のにじむような努力があった。

もし、あの村の子供たちが過去を忘れ、ただただ自分たちの私利私欲の事ばかり考え、親の世代の人々にも、犠牲となった他の村の人々にも感謝せずにいたらどうだろう・・・。

きっと、これが今の私でありまた、多くの日本人に当てはまるのではないかと感じました。世論では極端な意見になりやすい。「軍人を神としてあがめる」 = 「戦争を美化する」といった具合に。

私は、“戦死した軍人に対する感謝の気持ち”と“侵略したことへの謝罪”の両方が多くの日本人に不足している気がする。この気持ちを自分の中でなんらかのアクションへとつなげていくつもりです。このたびは貴重な機会を与えていただき、どうもありがとうございました。

4)大学生・女性の感想

ニュースや新聞で靖国神社の話が多く取り上げられ、私もその問題について考えて知っているつもりだった。でも、はじめ氏の「行ったことありますか?」の質問に少しドッキリした。そのとき初めて行ったこともないのに、思い込みや世論に影響された意見を持っていただけなのかも知れないということに気づいた。

境内に足を踏み入れたとき、人がたくさんいることに驚いた。神聖なとこだと思っていたが、にぎわっていて開かれたところだと思った。それに施設が充実していて、お金持ってるな、とも思った。でもそれだけ、人が訪れていて、興味を持っているということだと思った。

私が戦没者が祀られているいるというのは、慰霊碑があるだけかと思っていたけど、戦没者が神様として祀られているということに驚いた。日本人は自然などを何でも神様として拝んでいるので、そこまで違和感を感じないが、他の文化や価値観を持つ人からみれば、あまりいい気持ちがしないというのも、わかる気がした。

また、軍人ばかりが祀られているのも、なんか変な気がした。小泉首相が東京裁判の違法性を訴えるのではなく、戦没者への「慰霊」を目的とするならば、一般戦没者の祭られていない靖国神社だけを参拝するのはやはりおかしいと思う。

私たち一般人が自国の歴史を認識するために靖国神社を参拝する(行ってみる)のはもっともっとするべきだと思う。

社会化見学「靖国神社へ行こう!」~その10~

2005年07月10日 | 「靖国神社へ行こう!」

2)大学生・女性の感想

実際に行く前、私の靖国神社に対するイメージは『日中・日韓関係』『A級戦犯』『小泉さん』『東京裁判』『戦没者』『桜』『親戚のおじさんが終戦記念日に毎年参拝に行っている所』
『気軽な気持ちでは行けない』といったようなものでした。

2004年の夏にフィリピンではじめ氏から戦争に関する様々な話を聞き、日本に帰ったら靖国神社に行ってみようと思ってはみたものの、今まで1人では足が向かなかったのは、自分の中に靖国に対してどこか暗く重いイメージがあったためだと思います。

そして、靖国に実際に行った上での率直な感想は、実際に自分の目で見ることは本当に重要なことだなぁ、ということと、小泉さんも大変だなぁ、ということです。新聞やテレビのニュースでは小泉さんが参拝するかしないか、参拝した際の中国や韓国の反応ばかりを目にしていたように思います。

靖国神社がいつ、どういう目的で創られて、そこにはどのような人が祀られているのか、といったような、ありのままの靖国神社を伝える報道は少ないというより私の記憶の中では目にした事がありません。(たぶん、報道してしまうと、いろんな問題が生じるのだろうけど・・・。)

それに、靖国問題の知識を持っている人は沢山いても、靖国神社に対する正確な知識を持っている人は少ないのではないかとも思いました。

実際に行ってみて、靖国神社がどのような理由のもとで創られたのかも知らないのに、靖国問題についてああだこうだと物を言うのは間違っている事だと感じました。そして、歴史を多方面から見ることの大切さや難しさを改めて感じたように思います。

祀られている方々の遺族の想いを知ると、靖国神社の存在はその人達にとっては絶対的なもので、他に変わりになるものはな、小泉さんに参拝を求める気持ちも理解できます。

しかし、命を落とす際に願ったであろう日本の将来(現在)への想いを考えると、靖国神社のせいで中国や韓国との関係が崩してしまっては、戦争で命を落とされた方々の死を無駄にすることと同じことだと思います。

戦没者に対して敬意を表すこと、過去の行為を認め、反省し謝罪することはもちろん大切だけど、それ以上に大切なのは、過去から何を学び、次の世代にどうつなげていくかということではないのかと思いました。みんなが納得できる道はないのかなぁ・・・??

次のつくつく社会化見学も期待してます!!!

社会化見学「靖国神社へ行こう!」~その9~

2005年07月09日 | 「靖国神社へ行こう!」

さて、これまで紹介したような資料を基に、自分が総理大臣だったら自分の思いを通すのか?それとも変えるのか?参拝するのかしないのかをディスカッションで話し合います。

最初は、単純に靖国神社を訪れた個人の経験をもとに感想を言い合ったのですが、次は色々な人の体験や考えを聞いて考える為議論が白熱します。そこでは賛成派・反対派、個人として参拝は良いけれど、総理大臣としては良くない。外交カードとして、あえて行くべきだという意見まで様々です。

思ったよりもディスカッションに時間がかかってしまい、会議室の使用時間が終わりに近づいてしまった為、全体の振り返りを行わずに私の方で簡単な振り返りをして今回の靖国ツアーは終わりました。

今回のツアーを実施して感じたことは、靖国神社に行ったことがある人が本当に少ないということです。38人の学生の中で、靖国神社を訪れた事のある人は4人程度でした。ただ、お祭りに行ったという感じで靖国神社の歴史的背景を知っていたわけではありません。

家族や親戚にも行った事がある人はほとんどいない、というのが多くの意見でした。東京近郊の学生達でもそうなので、日本の人口で見たら実際に靖国神社を訪れた事がある人は一体何%いるのでしょうか。1%もいないかもしれません。そしてその中でもきちんと神社の歴史や背景を知っている人となると、、。

これだけ、マスコミで靖国神社の事が騒がれているのにも関わらず、実態を知る人が少なすぎるように思います。これでは、いい面も悪い面もマスコミの論調に意見を左右されるしかありません。

今回の企画で、自分で見て、考えた参加者の感想を紹介します。

1)大学生・女性の感想

「私は高校生の頃から何度もお祭りとかお花見で靖国に行っていたんだけど、問題となっていることに対して深く考えたことがなくて今回はすごくいい機会になりました。

大学で、日本の政治だったり国際関係を勉強していて靖国のことも授業で触れたりしていたのに、問題の本質を全くわかってなかったなぁ・・と改めて思いました。

私は大学の授業の影響をものすごく受けていて、「小泉さんはよくない」「首相の参拝はよくない」という先入観を持って今回参加したんだけど、それは本当に自分が考えた上での感想じゃなくて、人からの情報や人の意見を自分の意見だと思い込んでしまっただけだったんだと思いました。

ワークショップで色々考えたら、なんだか行く前と違う考えが出てきたから。今回思ったのは、誰かの立場にたって考えるだけじゃなくて、自分の立場でものを考えることも大事だなぁって気づかされました。

参拝反対の立場の人や、賛成の人や、親族がまつられている人の気持ちや、まわりのアジアの国の人々の気持ちや、いろんな気持ちがあることを知ったうえで自分は自分の立場でどう考えるかってことが難しかったです。

学校でいろんな人にこの話をして伝えて、その子たちの意見を聞くのが楽しい最近です。」

さて、次回も感想をお送りします。

社会化見学「靖国神社へ行こう!」~その8~

2005年07月08日 | 「靖国神社へ行こう!」

意見3:
中・韓・朝などによる靖国神社参拝への“介入”は、教科書問題が「内政干渉」であると同様、他国に対する「文化干渉」であります。

すでに何人かの方がご指摘なさっているように、靖国神社は、「広く、国という公に尽くした人の霊をまつろう」という日本独自の文化、メンタリティから生まれたもので、いわゆる“A級戦犯”とて、戦争の犠牲者であるということで戦争犠牲者としては同じなのです。

A級戦犯が合祀されていることが気に入らないなら、有罪でも、死刑にならなかったA級戦犯を、中国や韓国はどう考えているのでしょうか?A級戦犯をどうしても許せないというなら、のちに首相となった鳩山一郎氏が行った、日ソ国交回復も、中韓両国にとっては「気に入らない事」なのでしょうか?

また、中国は、現在の日本の外相が、日中国交回復を成し遂げた田中角栄氏の娘であることを利用して、「あなたなら私たちの言うことが分かるはずだ」と、高圧的な態度に出ていますが、政権交代して、元A級戦犯の孫である鳩山由紀夫氏が首相になったら、「A級戦犯の孫とは話し合えない」とでも言うのでしょうか?

とにかく、靖国問題にしろ、教科書問題にしろ、中国や韓国の言う事は全く聞く必要はありません。また、日本は日本で、自らの文化・国益について、主張すべきです。

彼らがうるさいのは、中華思想に基づいて、日本を低く見ているのが原因なのですから、我々は文明国として、近代国家として、毅然とした態度をとるべきです。(私は、個人的には、中国や韓国・北朝鮮を近代国家だとは思っていません)

意見4:
意見だけ。例えばアメリカが太平洋戦争で暗号解読に力を貸した人たちを、つい最近表彰しました。人を殺す手助けをした人に栄誉を与えるんですよ。どうかしてませんか?

しかし、日本は何も言いませんね。何も言わないことはいいことなんだろうか。いや、何も言えないんです。そういうことを言うと、余計中国や韓国にいろいろつつかれるんです。日本は第2次世界大戦で犠牲者でもあったし、加害者でもあった。その立場が、何かをあやふやにさせているのです。

加害者だけれども犠牲者、そんな人が靖国に祀られています。個人は国家のためと考えて死んでいった、「大日本帝国による犠牲者」でもあります。それに謝罪の意味もこめて参拝するのであれば問題ないとは思います。

ただ、神格化ということに関しては、少し考えなくてはいけないと思います。天皇が人間宣言をしても、この人たちはずっと神なんだろうか……

意見5:
靖国神社は、明治に作られた神社で、その際の戦死者を祭ったときいてます。最初はなかなかいいものですが、後から、右翼の根城になってしまったみたいです。このようなことが起こる位ならば天皇制を解体することも必要なのではと思う今日この頃です。

内政干渉という向きもあるようですが、自分の敷地内だって何をやってもいいというわけでもないのではないかと思います。わざわざ、他人の神経逆なでして、経済的損失をこうむるなんて、馬鹿のすることで、日本が資本主義国家であることを忘れているのではないのかと思います

~ここに紹介したのはごく一部です。全部読んでみたい方はコメント欄かACTIONまでメールして下さい。ワードの添付ファイルでお送りします。なお、ネット上から借用した文書であるため、書かれた当人の方で載せては困るという方はご一報下さい。迅速に対応いたします。~

社会化見学「靖国神社へ行こう!」~その7~

2005年07月06日 | 「靖国神社へ行こう!」

さて、前回の意見とはまた異なる意見や視点をご紹介します。

意見1:
戊辰戦争での官軍側の犠牲者を弔うために「東京招魂社」が建てられた。(その後、名称が靖国神社に変わる)日本の「神社」というのは喧嘩両成敗的というか、戦争が終わったなら敵も味方もなく「その戦争の犠牲者を」悼むケースが多いように思う。

また、菅原道真や崇徳上皇、平将門のように、むしろ敗残の側を「祟り神」として祀り、鎮魂を願うというケースも多い。戊辰における官軍といえば勝った側である。勝った側の犠牲者だけを弔うというのは、「俺達勝った。偉かった。仲間が死んで哀しい」という、なんとも勝者中心的な思想であり、また戦争が終わったのに敵味方の区分を残すという意味でも、いわゆる「神社」とは異質である。

故にわざわざ「東京招魂社」という名称にして、「神社」を避けたのではないかなあ、と私は考える。上記の通り、施設の性質を考えるならばこれは明らかに「神社」ではないから。

(中略)

「『靖国神社』という名前の軍人慰霊施設」は、果たしてそこまでして「首相が公式に」赴くべきところだろうか。あそこは少なくとも歴史的に見た場合には「神社」ではないし、第二次世界大戦の全犠牲者を悼む施設でもない。

意見2:
靖国神社というのは、日本が「大東亜共栄圏」構想のもとにアジア侵略を重ねていた頃に天皇が国家の英霊(戦没者)を祀る神社としたところです。つまりは侵略戦争時の精神的支柱、神国ニッポンの象徴であったわけです。

中国や韓国からすれば、日本の国家の最高責任者が日にちを定めて公式に(公務として)靖国神社を参拝する事は、アジア侵略戦争時の精神を失なわず、天皇を中心とした神の国であるぞ、という事を追認しているように見えるのだと思います。

A級戦犯を分離して、というような案があるようですが、靖国公式参拝ということ自体が中・韓両国にとっては特別な意味を持つように感じられるのだと思いますので、完全に了解してもらえる対策だとは思えません。

日本側としては、国が方針を間違った為に、国が殺してしまったともいえる戦争の犠牲者に国家の最高責任者が公式に手をあわせる(詫びる)といった意味合いが強いのでしょうが、戦時中の精神的支柱であったところを今もなお公式に参拝しようとする態度は誤解を招いても仕方のない側面も確かにあると思います。

次回もまだまだ意見紹介。みなさんも考えて見て下さい。

社会化見学「靖国神社へ行こう!」~その6~

2005年07月05日 | 「靖国神社へ行こう!」

会議室の定員は30人なので、満員御礼です。会議室に到着して小休止。靖国神社や遊就館を訪問し、色々なものを一気に見学したせいか疲れが出てきます。お互いに顔見知りいれば、初顔合わせもいるため軽く自己紹介をしたあと、6人程度のグループに別れて早速ディスカッションです。

最初のテーマは「靖国神社と遊就館を見る前と見た後で何かイメージが変わったか?」「率直に靖国神社に対してどう思うか?」です。5グループあったため、全部を見てまわることは出来ませんが、みんな色々な意見を言っています。



「靖国は1人でいけなそうな場所だと思っていたけど、こどもや家族も沢山いてビックリした。」「あれだけ問題になっているので、もっと大きくてすごい神社だと思ったけど、地元の神社とあまり変わらない。」

「遊就館に外国人が多く訪れていたので驚いた。彼らに感想を聞いてみたかった。」「日本語と英語でしか表記がされていないので、中国語、韓国語でも表記したほうが良い。」

沢山それぞれの靖国に対する考え方が出てきます。30分ほど意見交換をした後で、各グループから発表です。30人の人たち30通りの考え方があります。さて、次がディスカッションのメインです。それは「私が総理大臣だったら靖国に参拝するか?」です。

と、その前にみんなに資料を渡します。それはA4にすると15枚にも及ぶ、靖国神社に対する様々な視点・立場からの様々な意見を集めたもの。専門家の意見ではなく、ほとんどをネット上の掲示板やブログからお借りしました。

これを世論と見立て、最初のディスカッションで靖国に参拝する事が良いと思った人はどう考えるか。逆に良くないとした人もどう考えるか。参拝賛成意見・反対意見、そして靖国神社は神社ではないという意見。一部を紹介します。



靖国神社と小泉総理を相手に参拝は違法であると裁判所に訴えたことに関しての意見:

中村元三さん(83歳)は、肺結核で召集されなかったが、志願して軍属となり、上海の陸軍司令部に配属された。

今回、原告らが靖国神社に参拝した小泉首相を憲法違反であると訴え、靖国神社までが被告になっていると聞き、驚くと同時に許せないと考えました。国のために命をささげた人を国がお祀りすることは当然であるし、それのどこが憲法違反なのでしょうか。

私は「靖国神社で会おう」と死んでいった将兵の霊がお祀りされている靖国神社を敬うことは生き残った者の責務であると考えています。従って靖国神社に参拝することは国家の代表者の努めでもあるはずです。

私は残された人生を、お国のために命を捧げた戦友の死を無駄にしないためにも日本の将来のために捧げたいと思っています。英霊を敬うことを教えられない子供たちに未来があるでしょうか。

カメラマンの本田達雄さん(64歳)は、小学生になったばかりのころ、父親がパラオで散華したとの通知を受けた。祖父が家裏の柿木にすがって泣いていたことを今でも鮮明に覚えている。

私は、日本人として、日本の国のために戦い死んでいった私の父や祖父のような人々を国が手厚く慰霊するのは当然であると考えています。そしてその場所は靖国神社しかないと考えています。父も祖父もそして大東亜戦争で日本のために戦った兵士たちは皆、魂は靖国に帰ると信じて戦ったのです。

それは今靖国を訴えている原告の親族で出征した方々も同じ気持ちであったのではないでしょうか。なぜ、それを「加害者にされて死んでいった」などと今生きている人の偏った考えで判断するのでしょう。それは死者に対する冒涜ではないでしょうか」

岩井益子さん(84歳)は、新婚1年半で出征した最愛の夫をルソン島での激戦で亡くした。終戦後、夫の死亡認定を受取り、唯なき続けたという。

先の戦争に対する考え方はいろいろあるでしょう。しかし、お国のために尊い命を捧げられた方々の御霊を偲んで慰霊することは日本人として当然のことだと思っています。それは、あの戦争の意味を問う以前のことです。

私は、原告の方々も靖国神社に参拝すべきだといっているのではありません。韓国の大統領に参拝をお願いしているわけでもありません。日本の総理大臣が、英霊との約束を守り、靖国神社に参拝するのは当然だと言っているのです。このままではもの言えぬ英霊があまりにも可哀想です。

さて、次回はこれとは反対の意見や視点を少しご紹介します。それらの意見を読んだ参加者達の考え方はどのようになるのでしょうか。

社会化見学「靖国神社へ行こう!」~その5~

2005年07月04日 | 「靖国神社へ行こう!」




さて、もうひとつの話があります。私の団体ではフィリピンでボランティア活動を3週間体験するワークキャンプというものを実施しています。3週間の間に、一般家庭でのホームステイを4日間入れています。

2年前の事です。学生は2人一組になってホームステイをします。私は様子を見るために、毎食ごとに家族をまわって、家の様子を聞いたり通訳をしたりしています。ある時訪れたホストファミリーはその地域では珍しい木造の家でした。

その過程でホームステイを受け入れてくれたのは65歳のおばあさんとその家族。夕食をともにしながら話していると、おばあさんはこんな事を言いました。「実はこの家、戦争中は日本軍の事務所として使われていたのよ。」

思いがけない言葉に私は思わずドキッとして家の中を見回しました。確かに、戦前からあるような重厚な作りの家です。しかし、ここが日本軍の事務所として使われていたとは。ここでひとつの疑問が起こりました。

ここが事務所として使われていたと言う事は、おばあさん達はここに住めなかったんじゃないかと。そして、家を追い出されていたと言う事は日本人に恨みがあるんではないか。なぜ、日本人のホームステイを受けいれたのか。その疑問を率直に投げかけてみました。

するとこんな返事が返ってきたのです。

「確かに家を追い出されて畑の中のボロ家に住んでいたよ。でも、そんな私たちを心配して若い兵隊さんたちが毎日食料やお菓子を持ってきてくれた。全然怖くなかった。」

「戦争が終わって家に戻った時も、家のものはしっかりと壊されずに残っていた。だから日本兵に悪い印象はなかったんだよ。だからみんなを見るとその時の事を思い出すよ。6歳だったけど、良く覚えているよ。」

その若い日本兵はどんな顔をしていたのでしょう。きっと優しい笑顔の方だったに違いありません。飾られた4000枚の写真の中にその人がいるかも知れません。やはり歴史はつながっている。良い面も悪い面も私たちにしっかりとつながっているのだと感じました。



この展示を見て感じたことですが、ここでは日本軍・日本兵と言ったカテゴリーではなく、そこに関わって亡くなった方々の「個」が存在しています。そしてその「個」には父や母、兄弟と言った家族がいます。単に250万人が祀られていると言っても、そんな数字だけで片付けられるものではなく、その「個」につながる歴史や家族があるのです。

イラク戦争でも民間人が何人、米兵が何人と数字で見ると無機質に見えますが、実際には一人ひとりの人生や家族を取り巻く「個」が亡くなっているのです。1人が亡くなって悲しむ人が20人いるとしたら、250万人では5000万人が悲しむのです。

遊就館の展示を見ると、その事を強烈に意識させられます。もちろん、そこの展示のほとんどは日本人です。しかし、そこでしっかりと想像力を働かせればそれは日本人だけではなくどこの国でも同じだと言う事がわかるはずです。

戦争では「個」が埋没してしまいます。それが怖いところでもあります。靖国の展示は賛否両論ありますが、その「個」を意識させてくれるという意味ではとても良い展示なのではないでしょうか。そこから先は個々人の想像力になってしまいますが。



遊就館の展示を見終わって、参集所の前に再集合。これから市ヶ谷駅の前に借りてある会議室で、靖国神社に関するディスカッションです。私たちは家族やカップルで賑わう靖国神社を後にするのでした。

社会化見学「靖国神社へ行こう!」~その4~

2005年07月03日 | 「靖国神社へ行こう!」

展示も終わりに近づくと、靖国神社に神として祀られている方々の写真、約4000点が展示してある場所に近づいて行くのです。

遊就館の展示でも最後に位置する、靖国に祀られている方々の写真。もちろん、写真がほとんど残っていない戊辰戦争で亡くなった方の写真はなく、ほとんどが近代戦、特に大東亜戦争で亡くなった方々です。


特攻隊員とこどもの頃友好のあったフィリピン人画家の書かれた絵。本人と日本兵の遊んでいる様子です。靖国神社に展示してあるものではなく、ご本人から私がコピーを頂いたものです。

写真一枚が15センチ×10センチ程度。名前、年齢とともに戦死・病死された場所と年月日が記載してあります。多くの写真をパッと見渡して、やはり目に入るのはフィリピンで亡くなられた方々の写真です。ほとんどが私よりも若い方たち。一番多いのは20~25歳ぐらいでしょうか。

同じ日本人、戦後60年の間にそう日本人の顔が変わるわけもなく、自分のクラスにもいそうな顔が沢山並んでいます。私が普段フィリピンに連れて行っている学生とほとんど同世代です。そういえば、はじめてフィリピンに行った高校3年生の時こんな出来事がありました。

1994年、大学入学が決まり、時間のあった私は友人の紹介でフィリピンの孤児院を訪れる事になりました。当時17歳。英語もろくにできず、アポなしで訪れた私を施設の牧師さんをはじめ、こどもたちやスタッフは暖かく迎えてくれました。

1ヶ月少しの滞在の後半、フィリピン人の友人と近所を散策していた時の事です。ある家のおじいさんが声を掛けて来ました。日本人か?と聞いてきます。そうだと答えると色々な話をしてくれました。英語があまり分からなかったので、話し全部はわからなかったのですが、どうやらおじいさんの兄弟は戦争中に日本軍とアメリカ軍の戦闘に巻き込まれて亡くなったそうなのです。

そして、戦争中のイメージから日本に対するイメージは悪く、戦後も日本からの買春ツアーやヤクザに関するニュース、そしてエコノミックアニマルと呼ばれていた日本人のイメージが決して良くなる事はなかったそうです。

そしておじいさんは私にこう聞いてきました。「フィリピンに何をしに来たのか?」と。私は孤児院の壁を修復する作業をしている事や、こどもたちと毎日遊んでいる事を話しました。すると、おじいさんが目に涙を浮かべて手を握ってきたのです。私は思いがけないおじいさんの行動にビックリしてしまい、戸惑いました。

おじいさんは「君のお祖父さん世代は多くのフィリピン人を殺した。私の兄弟もそうだ。でも、その孫の世代の君はフィリピン人を助けに来てくれている。日本人は変わったんだ。死ぬ前にそれがわかって本当に良かった。」と言ってくれたのです。

それまで、戦争なんて私には関係ないと思っていました。教科書の上の出来事と思っていました。でもこのおじいさんの言葉を聞いて考えが変わりました。戦争を体験した人は日本人もフィリピン人もまだ大勢生きている。その孫だからこそ、お互いの国の理解と友好を深める為にできる事がある筈だと。

それ以来、多くのフィリピン人に戦争中の話を聞くようにしています。そして、その度にこのおじいさんの事を思い出します。その後は一度も再開する事がなかったおじいさんの事を。