「つくつく日記」

NGO代表、空手家、学校の講師とちょっと変わってる私の日々の雑感をお届けします。

社会化見学「靖国神社へ行こう!」~その2~

2005年06月30日 | 「靖国神社へ行こう!」



午後1時、市ヶ谷駅に集合です。38人ともなると流石に大人数。全員揃ったところで神社に向かいます。市ヶ谷駅から靖国神社までは靖国通りをまっすぐ、10分の道のりです。

神社には正面の門からではなく、南門から入ります。南門の入り口では狛犬が出迎えてくれました。まずは靖国の概要説明と集団参拝をするために、参集所という建物にむかいます。入口横には「NPO法人ACTION様」と書かれた紙が貼ってありました。



参集殿は靖国神社設立130周年記念の時に立て替えられた新しいもので、中は広くとても綺麗です。最初に宮司さんから簡単な説明があり、その後靖国神社の概要に関するビデオを20分ほど視聴する事となりました。小学生向けに制作されてあるビデオだったので、分かりやすく靖国神社の歴史が説明してありました。



靖国神社は1869(明治2)年、明治天皇の意志によって、戊辰戦争での官軍の戦死者らを弔うために建てられました。当初は東京招魂社という名前で、10年後に靖国神社と改称されます。「靖国」とは「国を安(靖)らかにする」という意味をこめて明治天皇が名づけました。

靖国神社の「神」は、戦死や戦病死した軍人・軍属と、それに準じる人々。明治維新に貢献した坂本竜馬や吉田松陰らも祭られています。西南戦争で賊軍となった西郷隆盛や会津藩の白虎隊は祭られませんでしたが、後年敷地内に慰霊碑が建立されています。ただ、その西郷隆盛や白虎隊等に関しては説明の中では触れられていません。

新たに戦死者が出るたびに「祭神」に加える合祀の手続きがとられ、現在は250万人近い人たちがまつられています。基本的には天皇のために亡くなった軍人や軍属を祭る場所だと言う事でしょう。



ビデオを視聴している間に遺族会の方々が参拝をしに私たちの横を通り過ぎていかれました。人数にして70~80人でしょうか。通り過ぎる時に私たちを不思議そうに見ていたのが印象的でした。本当は説明をして色々お話を伺いたかったのですが、、。

本殿に参拝するにあたり、一人500円の玉串料を集めます。そして参集所から本殿へと続く廊下の入口で口と手を清めます。そこで38人が私を先頭に4列に並びます。そこから長い廊下を渡って本殿へ。

本殿の横では宮司さんによるお清めがあります。その後、本殿へ参拝です。全員が本殿にあがった後、私が神前に玉串を置き、2礼、2拍、1礼を全員で行います。そして退出。それだけでした。神道なので、念仏を唱えたりはしませんし、通常神社に行った時と同じと言えばそうなのですが、「靖国参拝」というイメージが先行していたせいか、多少拍子抜けした感もありました。通常の参拝では拝殿までしか入れないそうです。



私は特に何教徒というわけではありませんが、神社の持つ独特な雰囲気を感じましたし、ここがまさしく小泉さんが参拝をしている場所で、その事がこれだけ大きな問題になっている事を思うと、不思議な感じがしました。

参拝をしたこと自体はひとつの神道における儀礼的な事で、なんら特別な事ではありません。しかし、それが靖国神社という場所だと他の政治的、歴史的意味を持つ。そんな場所に自分がいる事が不思議だったのが率直な気持ちです。

参拝をしているときは、フィリピンで色々な形で縁のあった日本兵の方々や、12年に渡り支援をしているジャイラホームという孤児院の土地は、もともと日本軍の駐屯地だったため、そこで亡くなったであろう方々。多くの日本兵との良い思い出を話してくれたフィリピンのおじいちゃんやおばあちゃんの事が頭に浮かびました。

参拝を終え、参集所に戻る時には一人づつ本殿のほうを向いてお神酒を頂きました。さて、これから靖国神社付属の遊就館見学へと向かいます。


社会化見学「靖国神社に行こう!」~その1~

2005年06月28日 | 「靖国神社へ行こう!」

つくつく社会化見学第一弾 靖国神社へ行こう!

タイトルにある「社会化見学」という漢字を見て、漢字が間違っているよと思った方は多いのではないでしょうか。実は間違っていません。社会科見学ではなく、社会化見学なのです。




社会の課題や問題をテレビや新聞の報道だけで捉えるのではなく、それが自分にとってどういう問題であるのかを捉える。自分と社会の関わりを考えると言う事は、ある意味自分を社会化しなくてはなりません。その為に様々な場所を訪問しようと言う事であえて「社会化見学」と名づけたのです。

ACTIONの学生が様々な企画をしていくなかで、そのやる気に触発され、私自身による企画をしようと思い立ちこの「社会化見学」を思いつきました。そして、その記念すべき第一弾は「靖国神社訪問ツアー」です。

私が生まれたのが1976年。その2年後の1978年にA級戦犯と言われる人たちが靖国神社に合祀されました。それ以降、様々な形で政治の表舞台に登場し、最近は靖国という言葉が新聞やテレビに出ない日はありません。

私自身は靖国神社に行ったことがあったのですが、まわりの学生に話を聞くとそのほとんどが行った事がないと言います。でも、靖国神社に対して興味はあるようなのですが「右翼がいそう」「気軽に行けなそう」「一人では怖い」などの理由で行けないということです。

じゃあ、俺が連れて行くから行きたい人は一緒に行こう!とACTIONの掲示板に案内を出しました。最初、10人ぐらい集まって、遊就館という博物館や境内を案内すればよいと気楽に考えていました。しかし、集まったのは38人!茨城や大阪からも申し込んでくれました。小学校一クラスと同じぐらいの人数です。

これだけの学生が集まるという事に、靖国に対する世間の関心の高さが伺えました。それだけ集まると、単に境内を回って「はいおしまい」というわけにはいきません。そこで、靖国神社に連絡をして事情を説明し、神社の概要説明と集団参拝をさせて貰う事になりました。

そして、参拝のあとは市ヶ谷駅近くの会議室を借りて、靖国神社に関してのディスカッションを行う事にしました。靖国神社訪問は6月26日。さて、靖国神社を初めて訪れる靖国神社に学生達はどんな感想を持つのでしょうか。

「土曜学校」~その3~

2005年06月27日 | 「土曜学校」

さて、ここからはピナットの出口さんにバトンタッチ。クイズ、「これ何だろな~」です。

・ココナッツを半分に割って乾燥させたもの
・カンナみたいな鉄製の箱
・乾燥した竹の筒
・大きい布の端と端をつなげて作った筒状の布

こどもたちは4グループに分かれます。そして、こどもたちは一斉に目を閉じて待っています。そこへ上記のものをそっと置いてから目を開けると、これはなんだ?となります。



そこで、出口さんから二つの質問。「それはどこの国のものでしょう?」「何に使うものでしょう?」他のグループがどれを持っているかが気にならないほど、自分たちのグループに配られたものを触ったり、匂いをかいだり、叩いてみたり。

乾燥させたココナッツには、たわしとか、帽子とか、どんぶり、コップと色々な意見が出されます。カンナみたいなものには、文字通りカンナや何かの機械、カキ氷機等削るものだという意見が多くでます。他のものにも色々な意見が出されました。

その様々な意見をボランティアの学生が模造紙にまとめ、各グループから発表です。そして種明かし。自分たちが出した意見の中に正解があると、やったーという声。なかった場合はへぇーと言う声。みんな楽しそうに見ています。ちなみに正解は、、、。

・ココナッツを半分に割って乾燥させたもの/床磨き
・カンナみたいな鉄製の箱/ハロハロカキ氷機
・乾燥した竹の筒/トンガトンというカリンガ族の楽器
・大きい布の端と端をつなげて作った筒状の布/マロンと言って100通りの使い方がある布

なかでもトンガトンという楽器にこどもたちは興味津々。ということで、実は講座前に練習していた即席トンガトン隊の登場!竹が醸し出す絶妙なハーモーニーにみな思わず聞き入ってしまい、終わって後には盛大な拍手がありました。



さて、あっという間に2時間の講座も終わりです。最後にこども達は「今日一番楽しかったこと」と「もっと知りたいフィリピンのこと」を色紙に書いて模造紙に貼って行きます。それは次回紹介します。

最後に次回の講座(7月2日)の簡単な説明をして、第一回の土曜学校を終えたのでした。講座の始まる前のこども達の雰囲気と後の雰囲気は大違い!それを見る限り、緊張もほぐれて、これから始まるビデオレター交流へむけて良い一歩だったと思います。



みなさん、お疲れ様でした!

「土曜学校」~その2~

2005年06月26日 | 「土曜学校」

土曜学校「世界を知る会」はグループで作業をするため、今回はこどもたちの仲を良くするプログラムが中心です。まず、市役所の担当の方から挨拶があったあと、講師として私が紹介されました。

25名の参加者のうち、8名が学校の行事などで欠席。17名の初めて会うこども達に最初の一言。「武蔵境のイトーヨーカドー知っている人!」「ハーイ!」とほぼ全員が元気良く手を挙げてくれました。JR中央線武蔵境駅南口にはイトーヨーカドーが西館・東館とあり、別名ヨーカドータウンと呼ばれています。

そして次に「武蔵野赤十字病院知っている人?」「ハーイ!」と今度は3分の2ぐらいが手を挙げています。「その病院で生まれた人?」と聞くと「ハーイ!」と3人のこどもが手を挙げてくれました。導入部分で地元の話が出来るのは、こういった地域密着型の講座ならではです。



「ACTIONの事務所はその病院の向かい側にあるんだよ。」と話をつなぎ、多少リラックスした所で、今回一緒に手伝ってくれている先生やNGOの方、ボランティアの学生の紹介にうつりました。

今回は一緒にビデオレターの授業をしている西葛西中学校の佐藤先生、同じフィリピンの支援活動をされていて事務所も近いNGO「ピナット」の出口さん。そしてACTIONのボランティア学生5名。

見学で世田谷区の中学校の小暮先生とACTIONの事務所と同じ町内にある境南小学校の秦先生です。佐藤先生、小暮先生、秦先生は今年の夏に一緒にフィリピンに行くことになっています。



早速、最初のプログラムが始まりました。最初は佐藤先生による「世界地図が描けるかな?」です。書けないよ~、書けるよ~と言った声があちこちからあがります。中には地理マニアなこどももいて、世界の人口やどこがどの国かを教えてくれます。

世界地図を描くといってもただの地図ではありません。5秒で描ける世界地図なんです。え~、そんなの嘘だと言っている間に、佐藤先生はヒョイヒョイと本当に5秒で描いてしまいました。しかも、ほぼ一筆書きで。それを見てこどもたちも「すげえ、すげえ」言いながら何度もまねをして書いています。



地図を書き、こどもたちの緊張が多少取れたところで、全員後ろのスペースに移動し、ゲームを始めます。手を叩いたり、キャッチと言うゲームをしたり、ぞうさんという踊りを踊ったりします。最初は恥ずかしがっていたこどもたちも、学生ボランティアのうまいフォローもあってだいぶほぐれてきました。

「土曜学校」~その1~

2005年06月25日 | 「土曜学校」

土曜学校開校!

武蔵野市では土曜日に小学生向けの講座として「土曜学校」というのを開催しています。柔道や合気道、サッカー、野球といった武道・スポーツから、サイエンスクラブといった学校の授業を発展させた講座もあります。その中で、私は「世界を知る会」という講座の講師をしています。

6月25日から12月24日まで13回に渡って実施される「世界を知る会」では、フィリピンのピナトゥボ火山被災者の再定住区にある小学校のこどもたちとビデオレター交流を行います。この講座ではビデオレターを実施するとともに、こども同士がパートナーを作り手紙や物の交換も行います。

そして、この講座のもうひとつの売りは、JICA(国際協力機構)の協力を得て国際テレビ電話会議システム(JICAネット)を通してリアルタイムで交流をするという所です。ビデオレターで顔や名前がわかってきた上でリアルタイムでの交流。一体どんな展開になるのか楽しみです。

さて、この「世界を知る会」には市内在学の小学校4~6年生25人が参加をしています。参加者のうち20人は4年生です。講座を実施するにあたり、私だけの力では小学生の興味の対象も良くわかりませんし、講座の進め方も限界があります。

そこで、武蔵野市国際交流協会の「教員ワークショップ」を通して、協働で授業作りをしている先生やNGOの方々に協力して頂く事になりました。小学校の先生や中学校の先生、高校の先生、同じくフィリピンでNGO活動をされている方と豪華な顔ぶれです。

なお、この講座をテレビ東京の番組で放送したいとの取材依頼があり、半年間に渡って取材が入る事に+なりました。放送は来年の1月か2月を予定していますので、詳しい放送時間等は改めて皆さんにお伝えします。

この土曜学校の特色は市内全域からこどもたちが集まっている事。そう、こども同士もほとんどが初めて会うのです。ビデオレター交流はグループを作って作業を行うため、こども同士のコミュニケーションは不可欠。

しかし、私にはそのノウハウがありません。そこで、小学校の先生がクラス替えしたばかりで、緊張しているこどもたちを和ませる為のテクニックが活躍する事になるのです。

土曜学校は武蔵野商工会館の会議室で行われます。時間は10時~12時の2時間。私や市の担当者の方、ACTIONのボランティア学生や協力してくれる先生やNGOの方々は9時に集合し、打ち合わせ。そして、10時になり土曜学校が開校したのです!

台湾への旅 「気功と台湾」~その3~

2005年06月23日 | 「台湾への旅」
さて、2回に渡って気功についてお伝えしました。台湾では気功が盛んなのかなぁという漠然としたイメージがあり、台北で早速ホテル近くの公園に気功をしにいってみました。すると、いますいます。太極拳らしきものや、社交ダンス、健康体操、気功をやっている方たちもいました。

ほとんどの方が年配の方。私たちの年代はほとんど見ませんでした。そして、10人ほどの気功をしているグループの横を通り過ぎた瞬間、、、、。きたのです。手にビリビリと痺れる感覚が!彼らの方に手のひらを向けるとさらに痺れてきます。恐らく、沢山の気が彼らから出ていたのでしょう。

不思議なことに、その場を通り過ぎると痺れも収まったのです。

さて、私たちも気功をしようと適当な樹木を探します。大きな木からは良い気が出ていると、以前先生に聞いたことがあったので大きめの木の前に立ち気功を始めました。

気功と言っても、特別な動きはあまりありません。腹式呼吸で立っているだけです。多少、手の位置等は動きがありますが、はたから見ていると立っているだけなのでとっても地味です。

皆さんは座禅って聞いたことがあると思います。座禅は座って行うのに対して、気功では立って行う禅、立禅を行います。もともと、仏教の修行の一つの方法が禅で、気功もその一種のようです。

立禅を行うと、見た目は止まっているのですが、体の中の血流や細胞が活発に動き、体がむずむずします。思いっきり体を動かしたいのに動かせない。そんな不思議な感覚です。

さて、気功を始めて15分ほど立ったでしょうか。目の前に不思議なものがいました。なんと、リスだったのです。木の上から降りてきて、ちょうど私の目の高さの所で止まっています。リスはとっても臆病なので人には滅多に近づきません。時間にして10秒ほど。その間はじっとこちらを見つめていていました。



なんとも不思議な経験です。目の前40センチぐらいのところでリスを見たのは、もちろん始めてです。

日本に帰って来てから、先生にこの出来事を話しました。すると、体から良い気が出ていると動物はそれをもらいに近づいてくるそうです。先生も、山の中で気功をしていると鳥が近くに来たりするそうです。なるほど、仏教は悟りを開くのが目的です。その為には自然と一体化する事も大切でしょう。

中国の仙人の絵で方に鳥などが止まっているのを見たことがあります。恐らく、仙人の体から出ている気が自然の気そのものだったからなのかも知れません。お釈迦様は「あって七癖(欲)」という言葉を言っていたそうです。

人間である限りは最低でも7つの癖があるという事らしいです。お釈迦様もそうだったそうです。仙人はその癖や欲がない人の事を指しているので、仙人の名前は一切残ってないそうです。

名前を残したいという欲があった時点で、仙人ではないですから。現代に仙人は果たしているのでしょうか。

台湾への旅 「気功と台湾」~その2~

2005年06月21日 | 「台湾への旅」

昨日は気の概念についてお伝えしました。

それを踏まえた上で台風と地震です。「気」というのは元々太陽と月と地球のエネルギーです。先生はその中でも地球の中から湧き上がるエネルギーを感じるそうです。そして台風の進路というのはどうも地下のマグマの動きと連動しているそうなのです。

詳しい理論は省きますが、マグマの対流とその方向と台風の進路がかなり一致していると言う事です。昨年、日本には例年よりも大型の台風が多く上陸しました。フィリピンや東南アジアでも同じく例年以上の台風が発生し大きな被害をもたらしています。

そして多くの地震が発生しました。台風がマグマの動きによって引き起こされているとしたら台風が多い年はマグマの動きが活発な時です。マグマの動きが活発な時は地震が多く起きます。大地震が起きた新潟にも台風が上陸しました。

福岡でも例年になく多くの台風が上陸し地震がその後起きました。フィリピンも昨年は例年以上に台風が上陸し多くの方がなくなりました。そして体感できる地震の回数が確実に増えています。

これらはもちろん私の推測に過ぎませんが、今年の台風の進路や上陸地点を見守る事により多少の予測が立つかもしれません。今年、例年並みの台風であれば恐らく地震も少ないでしょう。もし昨年よりも多くの台風が発生すれば、昨年よりも多くの地震が起きるかもしれません。もちろんそうならない事を願います。

現在、気功の練習を少しずつ始めているのですが立って数分間気功呼吸をしているだけで手のひらや足が痺れてきます。そしてその私の手を触った当会のスタッフも痺れを感じています。先生に雨の日は空気中の気が強いよと言われていたのですが、今週の雨の日には痛くて仕事がしにくくなるほど手足が痺れました。

同じ「空気」を吸っていても吸い方によってこれだけ違うとは驚きです。自然のパワー、潜在能力にはただただ驚かされます。環境破壊・自然破壊が単に科学的な理由ではなく、人間の生きる源である「気」という側面から考えてみてもやはりいけないことなのだと一人納得をしている今日この頃です。

さて、明日は本題の「気功と台湾」についてお伝えします。

台湾への旅 「気功と台湾」~その1~

2005年06月20日 | 「台湾への旅」

さて、今回から3回ぐらい台湾への旅番外編をお送りします。それは、気功について。台湾で気功に関わる思いしろい経験をしたので、それについてお伝えしたいと思います。

その前に、気功がどういうものかを知って頂いたほうが分かりやすいと思うので、以前にメルマガに自分で書いた原稿を載せますので、目を通してみてください。

~以下、ACTIONメールマガジン11号より~

みなさんは気功を体験した事がありますか?実は私は最近空手で痛めた肩を治す為に気功治療に通っており、その先生から気功を習っています。

気功?テレビで見る人が飛ばされたりするやつ?あんなのはやらせだよ。気功で痛みをなおす?私もありえないと思っていました。自分が体験するまでは、、。半信半疑で気功治療に臨んだのですが、先生が肩に手をかざすだけで肩全体が痺れてきます。

足が痺れるのと同じ感覚です。その後、気功針というものを指で打ってもらいました。指を軽く当てている所から何かが出て行く感覚がありズキズキと痛みます。30分ぐらいの治療後、上がらなかった方が上がるようになりました。

とにかく驚きでした。しかし先生の説明はとても納得いくものでした。人間が生きていくために必要なものは何か。食事は1日摂らなくても大丈夫。水も一日飲まなくても大丈夫。でも呼吸を1日止めたら誰でも死んでしまいます。

という事は当然の事ですが人間が生きるために一番必要なのは呼吸ですね。呼吸では空気を吸っています。「空」にある「気」と書いて空気と読みます。気の概念は元々中国から来たもので漢字も中国から。気という概念があり、気を体に取り込む事が生きていく上で大切だったからこそ「空気」という言葉が生まれたそうです。

これを踏まえた上でもう少し話を進めます。人間は「空気」という「気」を無意識に吸って生きているので、多かれ少なかれ体の中には「気」があります。その本来体の中にある「気」がストレスやスポーツで減ってくるといわえる「邪気=ウィルス等」が入ってきやすい状態になります。

邪気がはいると「気」が「病」んできます。そして「病気」となります。「病気」を様々な方法(西洋医学や東洋医学)で治療をすると「気」が「元」通りになってきます。そして「元気」になります。

スポーツ選手は体のケアに気をつかっています。巨人の清原選手はきちんとウェイトトレーニングをして自分専用のトレーナーも雇いすべての面において管理をしています。しかし毎年キャンプ中に肉離れ等を起こし、戦線を離脱しています。サッカーや他のスポーツ選手も同じような事が起きます。

ストレスが溜まったり力を思い切り出すようなスポーツでは知らないうちに体内の「気」が放出されるそうです。肉体的な疲労は食事やサプリメント等で補えますが、一度出て行ってしまった「気」はなかなか補充する事ができません。

肉体的にはメインテナンスが出来ていても「気」のメインテナンスが出来ていなければ「気」が弱り、上記にあるように「病気」にかかりやすくなるのです。スポーツ選手の体は強いですが、それが健康に結びついているかというとそうでもないのが現状なのです。

山や自然は「気」を多く出しています。山に行きたいな~、自然の中でのんびりしたいな~と思うときは体の中の「気」が減ってきている時のようです。都会人が休日は自然の中でのんびりしたいのも当然の行動ですね。自然の中でも特に「気」が強いのは屋久島だそうです。

そしていつもとっても忙しい大手企業の社長さん達の別荘が一番多いのも最近は屋久島です。何か関係があるのではないでしょうか。さて、簡単ですが以上が「気」の概念です。

台湾への旅「私立紅十字育幼院で出会った洪さんと宣さん」~その6~

2005年06月19日 | 「台湾への旅」

さて、宣さんに日本統治時代の事を聞いてみました。宣さんは体験から親日か反日かというと、反日にあたるそうです。宣さんのお父さんは農民を率いて日本に対して蜂起をしたリーダーで有名な方だったそうです。

そして、宣さん自信は日本人から苛められた体験もあります。しかし、強い反日の感情はないそうです。宣さんはこう続けます。

「戦争=悪となってしまうのは短絡的です。当時の状況を良く考えて歴史を判断する必要があります。日本は当時そうせざるを得ない状況もあったはずです。」

「当時の人々が何を考えて何を思っていたのか。日本とアメリカの状況をきちんと見なくてはいけません。日本にも面子がある時代が来るように願っています。」

先祖が本当に悪だったのか?そうすれば、その日本人の血が流れている今の日本人も悪なのか?それはそうではないでしょうと宣さんは言ってくれました。そして中国の反日活動に対しての対応の弱さも指摘しつつ、台湾に対しての中国の対応を批判します。

「中国は台湾に対してミサイルを数百発撃てるように配備しています。それで友好と言ってきても信用できるわけはない。」



宣さんは小学校まで日本の軍国主義教育を受けました。そして、日本人からの差別を受け悔しい思いもあったのですが、それは仕方がないと思うように教育されたそうです。そして、終戦になり中国から国民党の兵がやってきたのです。

それからは国民党による共産主義拒否を刷り込む教育が始まります。学校では中国の歴史や地理を学んでいましたが、見たことも感じたこともないので実感がなく、試験のためだけにしていたそうです。

「本当に人間にとって大切な教育とは何ですか?幅広い視野を持って、自分自身に自信と価値をしっかりと持った人をつくる事ではないでしょうか。」

「台湾はこれまで様々な国に支配され、様々な困難に出会ってきました。しかし、そこで得た忍耐力が台湾にある限り、台湾の将来に希望が持てます。忍耐力。これが台湾の誇るべきものです。」

いま、台湾の若者は「苺族」と呼ばれているそうです。苺は触るとすぐに崩れてしまうからです。日本と同じ感じですね。そんな、若者のためにもなりたいとおっしゃっていました。宣さんは定年した今も精力的に様々なところで活動をしています。少しでも世の中が良くなるように。



食事を終え、宣さんと私は、これを機会に教育の問題に対して日本・台湾・フィリピンのネットワークで何かが出来れば良いですねと話し、すっかり暗くなった港をバス停まで歩いて行くのでした。また新しい出会いがあり、充実した一日となりました。


台湾への旅「私立紅十字育幼院で出会った洪さんと宣さん」~その5~

2005年06月18日 | 「台湾への旅」

洪さんと宣さんに案内されて向かったのは、高雄港が見下ろせる小高い丘にある旧イギリス領事館。現在はここがレストランとして使用されています。階段を100段上ると領事館が見えてきます。ちょうど夕日が落ちる時間。席に座ると、ちょうど夕日が見えます。



食事を注文すると、早速宣さんが話をしてくれました。

クリスチャンである宣さんは、1968年にキリスト教会の招待で同志社大学を訪れます。その時に出会った学生や多くの日本人に、これから日本を創って行くんだという意気込みを感じたそうです。

その後、日本は高度経済成長期を向かえます。物質的に豊かになった日本はその過程で大切なものを忘れて油断していたため、バブル崩壊に陥り、現在もその傷跡から立ち直れていないのではないかと宣さんは続けます。

「今が日本にとって大切な時、みんなが日本を良くしようと頑張らなければなりません。」

宣さんは今の日本に足りないところとして、いくつかの点を挙げてくれました。色々な意味で強い政治家がいないこと。吉田茂や田中角栄のような強いリーダーが日本には必要だと言う事です。

そして、日本の人々には経済を包括的に見る視点が足りないと言うことです。日本が今後も成長していくためには、圧倒的に就業人口が不足しているので、定年の時期を調節するなどの政策が必要であるわけです。



そして、これから日本が良い方向に向かっていく為には、あるものが必要だと言います。それは「日本精神」。台湾ではリップンチェンシンと呼ばれるものです。日本精神とは日本に古くからある、武士道をはじめとした規範、地域のつながり、助け合い精神といったものを総合しているもののようです。

「日本に日本精神があることは尊い。しかし、戦後米式の民主主義を追い求めるあまり、日本精神を失ってしまっている。それを取り戻さないといけない。」

不思議な感じがしました。これを私に話してくれているのは日本のお爺ちゃんではなく、台湾のお爺ちゃんです。日本でもこういう話をしてくれた人はいませんでした。宣さんや、李登輝前総統、他にも今の日本に対して警鐘を鳴らす台湾人は多くいます。



単に経済家が言うアドバイスではなく、何か日本に対する愛情のようなものを感じます。そんな台湾の声に日本はもっと真剣に耳を傾けるべきではないでしょうか。