「つくつく日記」

NGO代表、空手家、学校の講師とちょっと変わってる私の日々の雑感をお届けします。

1996年に大学広報誌に連載していた紀行文を発見!~その1~

2005年07月19日 | 「Weblog」

最近、仕事が忙しくてブログの更新が出来ません。なんかネタにならないかなーと探していたら、休学中に大学の広報誌に連載をしていたアフリカ紀行を見つけました。

文章が今よりもシンプルに書かれていて、若さを感じます。確か、1996年に書いたものです。今こうして読んでみると、その時の記憶が甦ってきます。


昨年の3月中旬にケニアへ向かった。ケニアは熱いというイメージが強かったが、首都であるナイロビは高度3,000メートルに位置する都市で、セーターが必要なほど冷えこんでいたのには驚いた。空港から市内へ向かう風景は、広大なサバンナや活気ある人々が目に入ってきて、子どものころ写真で見たアフリカそのものだった。
   
ケニアを訪れた目的は孤児院を訪ねること。日本で入手した情報を基に孤児院を探した。私が向かった孤児院は、ナイロビからバスで40分ほど行ったソエトという電気も水道もないスラム地区にあった。ここでおよそ2万人が生活をしていた。

孤児院の名前はBETHLEHEM(ベツレヘム)。もともとは学校だったが、親の離婚や虐待などで、家に帰らない子どもが出てきた。そのため近所の家を借り、子どもたちをそこに住まわせたことから孤児院が始まったそうだ。現在この学校には(小、中、高合わせて)500人の子どもが学んでおり、そのうち130人が孤児院の子どもである。

孤児院と連絡が取れたとき、院長のメリー氏は「孤児院で何をしてくれるのか?」と言った。ケニアでは孤児院に対する政府からの援助はなく、ほとんどの孤児院は寄付(主に外国から)によって運営されている。したがって食事などに余裕がないため、飛び込みでスタッフになることは難しい。

体力に自信があること、大学の全沖縄拳法空手道部に所属しているので空手を教えられることを話すと、メリー氏は「ケニアでは空手の人気は非常に高く、子どもたちの良い経験になる」と快く受け入れてくれた。

簡単な作業や空手教室をしながら、5月上旬までの1ヶ月半ほど滞在した。途中、体調を崩したり、電気・水道がないので多少不便さを感じたが、いつも子どもたちに励まされた。

子どもはどこの国でも同じだと思う。本当に人なつこくて笑顔がきれいだ。そして、歌が大好きで、子どもたちは毎日いろいろなケニアの歌を聞かせてくれた。夜は教会での礼拝があるが、その前にダンスの時間があり、ノリのいい歌と手拍子に合わせて元気いっぱいに踊っていた。

そんな子どもたちが孤児院に来る理由はさまざまだ。大半の子どもは両親がおらずストリートチルドレンとして生活をしていた。残りは片親などの経済的な理由である。ストリート出身である彼らは、タバコやシンナーの癖が抜けなくて、先生にたびたび罰を受けている子どももいた。

孤児院に来る理由は国によっても異なり、フィリピンでは経済的な理由が8割を占め、ルワンダでは内戦孤児が多くを占めている。これは、ある意味で孤児院がその国の一面を反映していると思う。

ケニア全体を見ると貧困やAIDS、犯罪率の高さなどさまざまな問題が残っている。日本に生活していると、これらの事はあまり感じないが、現実として彼らに接してみると、生きていく事のたいへんさ、またその中で精一杯生きる事のたいせつさを感じさせられた。

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