ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

気負わず、気取らず、ありのまま。
ゆるりと思ったことを書いていってます。
お気に召したらうれしい限り。

歌詞を考える 柴田淳 『HIROMI』

2015年01月24日 00時30分48秒 | 歌詞を考える
こんばんは、ジニーです。


調子に乗って二週連続で書いています。
個人的な趣味趣向をぶちまけるコーナーです。


本日は柴田淳の『HIROMI』
歌詞はこちら



これ、めっちゃいい曲ですね。
大好きです。

個人的な柴田淳の好きな曲ベスト3をやるとすれば、
毎回常連のように顔を出す教区です。
ものすごい名曲だと思います。


さて、歌詞の話に移りましょう。

この歌の歌詞は失恋の場面を切り取っています。
登場人物は一方的に恋を終わらされてしまう女性と、
一方的に恋を終わらせる男です。

始めてこの歌を聴いた時の衝撃と嫉妬は忘れもしません。
この歌は男には書けない歌です。
かけたとしてもここまでの臨場感は出せないと思う。

そう、この歌には別れの場面の臨場感を半端ないほど感じるのです。

まず出だしでやられます。(個人的に大半の名曲は出だしでKOされます)
「こんな幼稚な嘘で 終わった」
ズバッと切り捨てております。
本当に男は幼稚なんですよ。
男はね、大概なんでもうまくやれていると思っている人種なんです。
それをね女性が「可愛い」と思ってくれるうちは華なのですが、
こういう嫌悪感が出てきてしまうともう収拾付きません。

1番の歌詞は女性が、自分勝手な別れをまるで自分も被害者のように
装っていく男に対して「あなたのわがままに付き合ってあげる」とでも言うかのような
スタンスで淡々と繰り広げられています。
まるで自分が演出する男の姿が目に浮かぶようなリアリティです。
男として、聴いててなんだかいたたまれない気持ちになるほどです。


ところが2番になると少し状況が変わってきます。

「虚しさだけが ここに残って
素敵な思い出にさえ させてくれなかったね
残されたカップを 見つめてた
ずっと ずっと ずっと 見つめていた
軽やかな足音が 聞こえなくなるまで」

一転して弱々しさが顔を出してくるのです。

「虚しさだけが ここに残って」とあるように
自己演出に酔いしれた男は部屋をあとにしたのでしょう。
すると、残ったのは虚しさだけ。
相手を目の前にしていると強気でいられた「私」も
一人になってしまうとどうにもダメになるのでしょう。
弱気の波が一気に押しおせてきます。

いくらこんな自分勝手な男でも
「あなたしか見えなくて 夢中で恋を」したほど好きだったのです。
そんなに直ぐに嫌いになれるわけないじゃないですか。
ましてや相手に併せる形で半ば一方的に終わった恋。
割り切れるものではないはずです。

場面転換とともに心情の変化もさせてしまう。
しかもなんの強引さもないんです。
こんなにもすんなりと心情の変化が馴染んでくるのは
そこに確固たるストーリーがあるからなのだと思います。
歌を聴きながらその場面がドラマのようにイメージできていて
歌とともに映像が流れていきます。
その流れに逆らわず、全体を一つの物語で連動性を持たせているから
違和感を感じないのでしょう。

いやはや、ホントスゲー歌詞だ。


そしてラストの大サビを迎えます。

次は自分の手元に場面が移っていきます。
「いつかくれた指輪は サイズが合わなかった
ブカブカで重たくて・・・
でもそれでよかった」
よく「ものではない、気持ちだよ」という言葉を聞きますが
まさにそうだったのでしょう。
相手はおそらく最初から自分勝手な男だったんだと思います。
だけど、そんな自分勝手な男が「私」のことを思って選んでくれたリング。
サイズが合わないってことは何かのプレゼントでサプライズで買ってきたのでしょう。
そんなね、時折垣間見える優しさに愛を感じていたんでしょう。
「不器用に騒がしい薬指をいつも
いじることが 好きだったの」
「愛」とは形に見えないものですが、こういったものや行動で感じることができます。
この主人公にとってサイズの合わないリングをいじることが
「あなた」を思い出させる鍵であり、愛の証明だったのだと思います。
しかし、これはもう苦い思い出しか呼んでくれなくなる。
悲しいですね。



先ほど、最初から最後まで確固たるストーリーが出来上がっていると書きましたが。
そこにもうひとつ加えさせてください。
この歌詞には主人公の視線の動きがとてもリアルに感じられます。
さいしょ「あなた」を見ていた視線は「呆れ」を連れています。
つぎにカップに視線は移ります、そこには「寂しさ」が去来するのです。
最後自分の薬指に視線は移ります、ここでは指輪をっとして過去と未来とを見ています。
この視線の動きがこの歌詞に臨場感をもたらしているような気がします。
そこに一つの別れの歌として深い感銘を受けます。



最後に、

「みっともなくなるほど あなたを愛した私を
いつか許せる時が 来ればいいと思う」

という歌詞。
これは男には書けない表現だと思います。
この歌の主人公である「私」は自分勝手に演出した別れに酔いしれる
アホみたいな男を最後客観的に見ることができ、
そんな男を愛してしまった自分に腹を立てているのだと思います。
「なんでこんな人を好きになっちゃんたんだろう」と。
だからそんな自分を「許せる時が来ればいいと思う」と繋がっていきます。

男はね、この歌のような別れをした直後は気楽なもんです。
自分が下した決断の重さに気づくのはずっとずっと後になってからなのです。


なんかそういうところまで見透かされた気がして
痛いのを通り越して逆に清々しさを覚えてしまうほどです。

うん、名曲ですね。



今回も長いことお付き合い頂きありがとうございました。
また気になる歌詞があったらこんな風に考えて発表してみたいと思います。
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