お久しぶりです。
また間隔が空いてしまいましたね(> <)
頑張って書いていかないと!!
えっと今日のテーマは「存在証明」です。
「存在証明」・・・まぁ平たく言ってしまえばIDということになるでしょう。
これはこの情報化社会において切っても切れない重要な鍵です。
でも、今日はそういったものではなくもっと人間的な「存在証明」の話をしてみようと思います。
突然ですが、人は何のために生きていると思いますか?
お金を稼ぐため、おいしいものを食べるため、好きな人を守るため、罪を償うため、前世の約束を果たすため・・・。
考え出したらどんなことだって言えそうですよね。
ただ、どんなことを生きる理由に掲げても人はいつしか死んでいきます。
これは極論でしかないけれど、人は死ぬために生きているのです。
いきなりなんてネガティブなこと言ってるんだと思う方もいるかもしれませんが、これは事実だから仕方ない。
僕の尊敬する人が人生を円にたとえていました。
人の一生は円を書く作業であり、死を迎えるときその円は閉じられるということです。
そこに僕なりの解釈を織り込んみながら話を続けていこうと思います。
人の一生は円を書く作業です。ただその円はその人にしかかけない世界に二つとない円だと思うのです。
なぜならきっとどんな人であってもきれいな円を書くことはできないから・・・。
ノートに鉛筆できれいに円を書こうとしたとき、どうすればきれいに書けるかとあれこれ考えるより思い切ってスっと書いてしまう方がきれいに書けたりしますよね?
どこかで迷いが生じると円は歪になってしまいます。
でも、この世の中に迷わない人なんてきっといないから、人の一生はきれいな円にならないと思うのです。
だけど、それは悪いことではないはずです。
どんなに歪な円だってそれはその人が一生懸命生きてきた軌跡なのだから。
では、人は何故迷うのでしょう?
その要因の一つが「存在証明」にあるのだと思うのです。
人は意識的にも無意識的にも自分の生きている意味を求めています。
いわば人生とは自分という存在の証明を探していく旅なのです。
人は一生の中で様々な人と関わって生きていき、その中でやはり様々な形の「存在証明」を見つけていきます。
(例えば友達。どんなにつらいときでも友達と一緒にいれば自分がそこにいるということを認識することができます。)
そして、人は時々その存在証明を見失ってしまうことがあります。
そのとき自分が何をするべきかを決めきれず、迷ってしまうのです。
ただ、先にも述べたとおり迷うのは悪いことではないと思うのです。
むしろいっぱい悩んで、いっぱい考えていくことは大切なことではないでしょうか。
きっと迷って悩んだ分だけ円は歪になっているのだけど、どんなに整ったきれいな円よりもそれは美しいはずです。
人は死を向かえるその瞬間まで自分の存在の証明を探し続けます。
そして、最後の最後に自分は何のために生きていたかを悟ることができると思うのです。
円の完結は、存在証明の完結なのです。
大切なのは悩むこと迷うことから逃げないこと。
どんなときだって自分の力になってくれる人は必ずいるのだから。
今日、今この瞬間も「存在証明」を求める旅は続いています。
いつか自分だけの円を完成させるそのときに向けて。
きら。さん>劇団に入ろうとしていた過去があるなんてはじめて知りました。
どちらにしても自分を表現するもの。実はかなりの目立ちたがり屋ですか?
また間隔が空いてしまいましたね(> <)
頑張って書いていかないと!!
えっと今日のテーマは「存在証明」です。
「存在証明」・・・まぁ平たく言ってしまえばIDということになるでしょう。
これはこの情報化社会において切っても切れない重要な鍵です。
でも、今日はそういったものではなくもっと人間的な「存在証明」の話をしてみようと思います。
突然ですが、人は何のために生きていると思いますか?
お金を稼ぐため、おいしいものを食べるため、好きな人を守るため、罪を償うため、前世の約束を果たすため・・・。
考え出したらどんなことだって言えそうですよね。
ただ、どんなことを生きる理由に掲げても人はいつしか死んでいきます。
これは極論でしかないけれど、人は死ぬために生きているのです。
いきなりなんてネガティブなこと言ってるんだと思う方もいるかもしれませんが、これは事実だから仕方ない。
僕の尊敬する人が人生を円にたとえていました。
人の一生は円を書く作業であり、死を迎えるときその円は閉じられるということです。
そこに僕なりの解釈を織り込んみながら話を続けていこうと思います。
人の一生は円を書く作業です。ただその円はその人にしかかけない世界に二つとない円だと思うのです。
なぜならきっとどんな人であってもきれいな円を書くことはできないから・・・。
ノートに鉛筆できれいに円を書こうとしたとき、どうすればきれいに書けるかとあれこれ考えるより思い切ってスっと書いてしまう方がきれいに書けたりしますよね?
どこかで迷いが生じると円は歪になってしまいます。
でも、この世の中に迷わない人なんてきっといないから、人の一生はきれいな円にならないと思うのです。
だけど、それは悪いことではないはずです。
どんなに歪な円だってそれはその人が一生懸命生きてきた軌跡なのだから。
では、人は何故迷うのでしょう?
その要因の一つが「存在証明」にあるのだと思うのです。
人は意識的にも無意識的にも自分の生きている意味を求めています。
いわば人生とは自分という存在の証明を探していく旅なのです。
人は一生の中で様々な人と関わって生きていき、その中でやはり様々な形の「存在証明」を見つけていきます。
(例えば友達。どんなにつらいときでも友達と一緒にいれば自分がそこにいるということを認識することができます。)
そして、人は時々その存在証明を見失ってしまうことがあります。
そのとき自分が何をするべきかを決めきれず、迷ってしまうのです。
ただ、先にも述べたとおり迷うのは悪いことではないと思うのです。
むしろいっぱい悩んで、いっぱい考えていくことは大切なことではないでしょうか。
きっと迷って悩んだ分だけ円は歪になっているのだけど、どんなに整ったきれいな円よりもそれは美しいはずです。
人は死を向かえるその瞬間まで自分の存在の証明を探し続けます。
そして、最後の最後に自分は何のために生きていたかを悟ることができると思うのです。
円の完結は、存在証明の完結なのです。
大切なのは悩むこと迷うことから逃げないこと。
どんなときだって自分の力になってくれる人は必ずいるのだから。
今日、今この瞬間も「存在証明」を求める旅は続いています。
いつか自分だけの円を完成させるそのときに向けて。
きら。さん>劇団に入ろうとしていた過去があるなんてはじめて知りました。
どちらにしても自分を表現するもの。実はかなりの目立ちたがり屋ですか?
というか、自己表現能力が乏しかったんですよ、昔は。
円を描く一生かぁ・・・。
「今も遠くも 人は誰も まっすぐ伸びた円を描く♪」
って感じですよね。
ジニーさんは、『なぜ生きる』という本を知っていますか?凄く頭を使う本なんです。だって、この問いに対してしっかりと答えを提示出来る人なんて、ほとんどいないからです。最も基本的なことなのに、最も難しい…。私は、人生の意味なんてまだまだ分かりません。それを知るために生きているんだって思っていきたいですヾ(◆*'U'*)ノ゜