繰り返しにはなりますが、
昨今、念仏を、通夜・葬儀・法要の添えものぐらい理解が時代の風潮のように感じます。
また、念仏は、(自分に関係なし)とも思っているような気配すら感じます。
これは、大いなる誤りではないでしょうか!
「蓮如上人御一代聞書」の言葉。
「臆念称名、いさみありて」(報恩講私記)とは、
称名はいさみの念仏なり。
信のうへにはいさみて申す念仏なり。
そうです。
念仏は、喜びいさんで称える仏恩報謝の念仏のことです。
昨晩は、念仏道場in願海庵でした。
ご参加は、音◇さん、本◇さん、ボクの三人。
*正信偈・草四句目下げ
* 三淘念仏 浄土和讃十九
をうたいました。
井戸端の後は、『仏説無量寿経』の読誦。
本◇さん曰く、
「皆さんとご一緒にお経の読誦が出来るのが有り難いです。
一人ですと、なかなかお経の読誦はできません」と。
お経の読誦・念仏・和讃のお仲間を増やしたい。
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