浄土真宗にようこそ(008)
曇鸞大師は、北魏の国の滅亡に出会われました。
それはすぐに東魏と西魏に分断されます。
東魏の若くして擁立された孝静帝の要請で、玄中寺に住むようになられるのです。
ところが大師は、もう一人大切な皇帝に会っています。
それは揚子江の南を支配していた梁の国の帝王です。その名は武帝です。
ご承知のように曇鸞大師は、陶弘景という仙人に会うために今の南京に行かれました。
実際には南京の東南の郊外25キロメートル、句容山までゆかれたものです。
伝承では、武帝は生涯曇鸞大師を“鸞菩薩”と敬われていたといいます。
二人の皇帝は、曇鸞大師とは不思議な縁があるのですが…。
ともに曇鸞大師を師と仰がれています。
一方、武帝とボーディーダルマとの出遇いは、芳しいものではなかったようです。
武帝はボーディーダルマに散々に扱われたという伝承があります。
ところが曇鸞大師の場合、武帝は非常に大切に扱ったもののようです。
何かをそこに感じ取っていたのでしょうが、それは定かにしがたいことです。
南の国の皇帝が、北の国の一人の僧侶を菩薩と呼んだということは凄いことです。
おそらく曇鸞の回心と、そのサンガ世界に敬慕されたからではないでしょうか。
洛陽に帰られた大師は、ボーディールチ三蔵との出遇いをもちます。
永寧寺の責任者であった三蔵は、曇鸞大師に豊かな仏道を伝えました。
浄土の教えがそれでした。
大師は、無量寿経の文面からと「浄土論」から、サンガの意味を学ばれました。
そして流支三蔵の日常生活から、もっと大切な事実を学ばれたことでしょう。
サンガというものの実態に触れて、眼を洗われるような経験があったのでした。
*里村専精師の(提言008)をお届けします。
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