正直に書きますと、
松田聖子さんも神田正輝さんも、テレビからの情報でお顔とお名前ぐらいは承知はしています。
また、神田沙也加さんのお名前と聖子さんと正輝さんの長女さんである位の理解の老爺であります。
そんな老爺から。
どんなことがあろうとも死んではいけません。
周囲に相談できるお仲間がいなかったのかと、
本当に本当に残念です。
南無阿弥陀
ところで、TVのニュース番組でしたでしょうか!
事件の報道の最後に、「いのちの電話」などの連絡先が表示されていました。
この一連の報道に、ボクは「不自然さ」を感じていました。
マアマア、厚生労働省もテレビ局も「いのちの電話」も善意なのでしょうが、
何か、ボクにはお上の「やっている感」「正義感」「自己正当性」のようなものを感じてしまいました。
たぶん、この電話番号に全国から相談が寄せられたらどうなるのでしょうかねー?
ボクは、このような上下関係でのアプローチより、生活の中での “つながり” のようなものが大事だと考えます。
マア、言語化するのは難しいですが、
『歎異抄』にある「念仏には、無義をもって義とす。不可称・不可説・不可思議のゆゑに」を大事にしてもらいたい。
どうも、昨今の世相は、「わかる」「できる」「ただしい」「きめつける」etcといった方に傾きすぎのように思います。
一歩先は、「不思議な時空」が用意されています。
「自分」を、「自分の相い」を、固定しないことが大事です。
『仏説無量寿経』には、「身心柔軟」「触光柔軟」の教えがあります。
特にお若い方は、即に、『歎異抄』の音読をお勧めします。
分からなくても良いのです。
只只、音読です。
「不思議な世界」が啓かれましょう。
厚生労働省のホームページから相談窓口を見つけるのも一方法ですが、
先ずは、ご自分の身近に、雑談ができる《井戸端》を見つけることが大事です。
この記事『週刊誌を読む』を執筆された(月刊『創』編集長・篠田博之)さんも、
記事の最後で、テレビ報道を(奇妙)と記しています。