毎田周一師の言葉をお届けします。
念仏は、悩みなき(清々しい)表現である。
一切の苦悩の原因が唯一つ私達の思い上りにある以上はである。
『歎異抄』は遂に私達にこの念仏即ち称名が、
出てくる処まで導いてゆくのである。
それは「念仏の書」である。
念仏が口称念仏であるといふことは、実に私達の心肝に銘すべきことである。
こゝ迄ゆく迄には、この口称といふ、何げない極点に到る迄には、
私達の中に巣喰ふ悉ゆる高慢心が打砕かれねばならない。
その自我をどこ迄も掃蕩し尽くすのが、この『歎異抄』である。
それは「内省の書」である。
この内省の極みが、口称念仏となる。
その過程を審さに見てゆかなければ、この書をよんだことにはならない。
『毎田周一全集』第六卷 84頁
明日、午後6時30分~8時30分。
本郷3丁目《願海庵》、
『歎異抄』うたと語りあい
です。
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