里村専精先生の「浄土真宗にようこそ」No37をお届けします。
続高僧傳の作者である道宣は、善導大師を見たのでしょうか。
「山僧善導なるものあり、てんかを周遊し、道律を求法す」と書いています。
山出しの若僧ですが、「道綽の部衆に遇いて、ただ念仏弥陀の浄業を行ず」ともあります。
的確ですが、この善導大師の真実の姿を見たとは言えないでしょう。
「それがし今この観経の要義を出して、古今を楷定せんと欲す(総結)」と善導は書きました。
「古今楷定」という言葉は善導大師自らの発言ですが、重大な確信がここにはあります。
この確信を、道宣は知らないのです。
一人の山僧が、巨大な大唐の都長安で黙々とやり遂げた一大事業は、見えなかったのです。
それは道宣だけではなくて、その後の多くの中国仏教の大勢がそうだったのです。
そしてそれは、今も同じように無視され続けています。
五台山という歴史の古い山岳道場に行くと、中国仏教の大方の趨勢が見えます。
たとえば日本天台の座主が、はるばると中国を訪問します。
けれどもその評価は、中国仏教の孫か曾孫がやってきた、というぐらいの挨拶なのです。
実際に中国仏教の規模と歴史の厚みは、比叡山と高野山を合わせたもの数十倍はあります。
このような中国仏教の現況に、がっちりと取り組む必要を感じます。
善導大師の壮大な古今楷定の事業は、曇鸞大師以来の玄中寺のサンガを背景にしたものでした。
善導のエネルギーとその確信は、玄中寺に培われたものでした。
ほかに、このような善導大師の学業を導いたものを考えることはできません。
サンガの学びが、一筋に浄土三部経にまつわって一つの歴史を形成していました。
親鸞はそれを七祖の伝承と見るのですが、それは確かな歴史を貫くサンガ運動だったのです。
そのような歴史に出会い、そのようなサンガに育てられて、善導の古今楷定がありました。
それはいわば、中国の仏教界をあげての大切な事業でした。
その事業は、まだ完成されていません。
道綽・善導の学びは、日本にしか伝承していなかったのです。
改めて、中国の仏教との対話を必要としているように思われることです。
何よりも、中国の人で親鸞とそのサンガの意義を見つめる若い人が生まれて欲しいと思います。
カウンセリング研究会【くりのみ】5月の予定
◆親鸞とカウンセリングコース 5月23日(土)
『教行信証』の音読と楽談の学習会です。
◆『歎異抄』と声明コース 5月30日(土)
『歎異抄』の音読、親鸞和讃、楽談の学習会です。
皆さんのご参加をお待ちしています。