2010年の1月から稲荷町の法善寺様に出かけて、里村専精先生の『正信偈』の講義をお聞きしてきました。
本日が、『正信偈』講義の最終回。
講義の最終部分を、逐語的にまとめてみました。
お読みください。
曽我量深先生が時々お話してくれたことの一つに、江戸時代の華厳宗のすぐれた学僧・鳳潭《承応3年(1654)-元文3年(1738)》のエピソードがあります。
鳳潭という人は、比叡山で得度しその後、中国・インドに渡ろうとしましたが鎖国のためにその目的を果たせませんでした。
南都で華厳を極め、浄土宗・浄土真宗・日蓮宗の僧とも議論をしたようです。
鳳潭が、はじめて親鸞の親鸞の著作に読んで、(親鸞という人は、よほど頭の悪い人なんだろう―)と思ったんですね。
しばらくして、『教行信証』を読み深め、(アッ これか!)とびっくりした。
通仏教的な見方で親鸞を読んでも、親鸞は理解できない。本当の仏教の根っこのところは分からない。
ようやくにして、これまで日本になかった仏教の根源的な教えが見えたのでしょう。
さて、これまで、この講義では、『教行信証・行巻』の最後にある、60行 120句の『正信偈』を読んできました。
仏教全体を見回してみましても、この『正信偈』に匹敵するほどの文章はないだろうと思います。
『正信偈』が読める、『正信偈』に親しんでいるということは、それだけでもすごい仕事だろうと思います。
一日に一回でも『正信偈』を読めれば、世界に対して、きちっとした仏道として護持されていることになります。
また、混沌とした今の世界のままですむことでないわけですから、そのような世界に対しても大きな意味をもってくるだろうと思います。
ぜひ、大事にしてもらいたいなーと思います。
『正信偈』の講義が終わるのにあたって、これ程の文章はないわけですから、『正信偈』が残るだけでも世界を変えていく力になります。
それ位の、意味がありますので、皆さんも自信をもって『正信偈』を読んでください。
いま、ヨーロッパをはじめとして仏教を学び始めたすごいグループが出てきました。
これ等の方々は、漢文が読めないので猛烈に勉強しています。
『正信偈』は、人類の手引きになる書物です。
そういう意味で、読めるだけでもいい。
一日一回でもいいです。
『正意偈』に親しんで大事にしていってもらいたいものです。
『正信偈』の読誦は、【くりのみ会・親鸞とカウンセリングコース】で、できます。
また、お声をかけていただければ、(聞者くりのみ)がご一緒させていただきます。
ご連絡ください。