念仏は、声有(ショウウ)の坐禅。
坐禅は、声無(ショウム)の念仏。
ボクの造語です。(笑)
ご意見・ご教示よろしく。
以下、『毎田周一全集 第六巻』からの引文
親鸞聖人が念仏を「易行」といはれたのは周知のことであるが、
道元禅師も亦坐禅を「易行」とされてゐるのである。
まことや、口に称名することは三才の童子でも出来るやうに、
単に坐ることも亦何人にも出来ることである。
道元禅師の坐禅とはかくの如きものであった。
若しも坐って何か深刻なことを、
真実な又崇高なことをでも考へよといふことが、坐禅ならば、
誰にでも出来ることではない。
何も考へないでよいのである。
正に「痴の如く兀(ゴツ)の如く」である。
馬鹿のやうに坐れといふのである。
だから賢い人にも愚かな人にも、
斉しく出来る坐禅である。
《声明カウンセラー・くりのみ》は、
念仏と坐禅の学習会を主宰しています。
ぜひ、皆さまのご参加をお待ちしています。
毎田周一師の言葉をお届けします。
念仏は、悩みなき(清々しい)表現である。
一切の苦悩の原因が唯一つ私達の思い上りにある以上はである。
『歎異抄』は遂に私達にこの念仏即ち称名が、
出てくる処まで導いてゆくのである。
それは「念仏の書」である。
念仏が口称念仏であるといふことは、実に私達の心肝に銘すべきことである。
こゝ迄ゆく迄には、この口称といふ、何げない極点に到る迄には、
私達の中に巣喰ふ悉ゆる高慢心が打砕かれねばならない。
その自我をどこ迄も掃蕩し尽くすのが、この『歎異抄』である。
それは「内省の書」である。
この内省の極みが、口称念仏となる。
その過程を審さに見てゆかなければ、この書をよんだことにはならない。
『毎田周一全集』第六卷 84頁
明日、午後6時30分~8時30分。
本郷3丁目《願海庵》、
『歎異抄』うたと語りあい
です。
ぜひ、お立ち寄りください!
里村専精師の「浄土真宗にようこそ」No79をお届けします。
バーミヤンの大仏が破壊されて、空しさが残っています。
これを阻止しようとした物語が、NHKから放映されました。
それなりに悲しい物語でした。
なのに、何かこれに似たものが日本の現代に感じられます。
それは、文部省の宗教政策です。
学校では、一般には宗教は歴史のかすかな残滓としてしか登場しないのです。
これがどうも、見事に大仏破壊と同質なものではないかと考えられます。
教育は、理性のみを鍛練します。
が、生命に根差した叡知は忘れられています。
国家に有用な人間が必要だとしても、その前に健全に生きる人間こそ大切なのです。
それは理性の届かない、人間存在そのものの尊厳を見落としたものがあります。
もっとも、卑俗な宗教は理性を汚したりします。
が、少なくとも現代だけではなく、永遠に尋ね明かされなければならない真実を…、
私たちは忘れてはならないのです。
五十年にわたって、日本の宗教政策は破壊されてしまいました。
理性が獲得する成果は、エゴと言われてよい自我です。
人は理性の上に自我を建てるのですが、こういう自我が展開する社会でよいのでしょうか。
もう一つ深い存在そのものの尊厳は、永く闇に葬られています。
新しい年を迎えても、この重大な厳密な人間学としての宗教が見えないなら…、
それは大仏破壊と同じ行為が、人間を阻害し続けるものと何も変わらないのではないでしょうか。
仏道を浅い理解で退けて、宗教から逃れた文部省と大仏を爆破したタリバーン。
何かが、重大な根源において似通っています。
二十世紀は、廃仏・廃宗教の時代でした。
《声明カウンセラーくりのみ》が主宰している学習会のご案内です。
ぜひ、お出かけください。
◇カウンセリング研究会【くりのみ】 *タワーホール船堀
◇(願海庵)やさしい仏教塾 *本郷三丁目「願海庵」
◇『歎異抄』うたと語りあいIn願海庵 *本郷三丁目「願海庵」
日程はコチラから。
↓
http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~kurinomi/calendar/calendar.htm
どちらの会場も、『教行信証』『歎異抄』『正法眼蔵』の音読&楽談が充実です。
毎田周一師の言葉をお届けします。
念仏し坐禅し、坐禅し念仏する、
これが仏道である。
念仏の法と、坐禅の人と、
まさしく人法相即、一如である。
この二つを分離し対立せしめる人は、
具体的な仏道を味はない人といはねばならぬ。
(念仏の境涯が坐禅である。)
~『毎田周一全集』第六集 p637~
ぼくの領解。
坐禅は、声のない念仏
念仏は、声のある坐禅
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*宗教的自覚と哲学的自覚と人間的自覚と、
色々の自覚があるのであるか。
否、自覚は一つしかない。
自己が自己を知るといふことがいくつもあつて溜るか。
*宗教の本質は信にあるといわれる。
何を信ずるのか。
その信とは何か。
私は宗教の本質は、自覚にあるといふ。
人間にある得べき唯一の自覚の意味に於いて。
~「毎田周一全集」第六卷より~
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毎田周一師の言葉をお届けします。
◆親鸞聖人は浄土系の思想のみを学ばれた。
道元禅師は禅宗系の思想のみを、内村鑑三先生はひとへに基督教系の思想のみを。
人間といふものは個性的なものらしい。
◆個性と個性とが会うところに、人間的普遍性が出てくるのだ。
師匠は唯一人だ。プラトンはソクラテスにしか学ばなかった。
◆人と人とが出会ふのは、唯一点で出合ふのだ。
それを一句子ともいふ。閃光ともいふ。
◆人と人との間を人間といふ。
人間存在の本質は関係にある。
そこからも固定した自我といふものののない無我説が成り立つ。
夕方、伊豆稲取から東京に戻りました。
第八回納涼鈴かめ寄席&大人の寺子屋。
東京からは、11名の方々参加してくださいました。
また、鈴かめ寄席には、地元の方々が大勢参加してくださいました。
この夏も、大勢の皆さまと出会うことができました。
ありがとうございました。
毎田周一師のことば(『毎田周一全集』第九卷 p613より)
釈尊は菩提樹下で何を悟られたのか。
人間は、一生学ぶべきものと。
毎田周一師の言葉をお届けします。
*秘密があるといふのは、その人がその人として生きてゐる所以だ。
*感情問題は、理性でも意志でも解決されないが、
たゞより高い感情によってのみ克服される。
*黙ってみてゐるといふことは、容易なことではない。
*お互いに路傍の石であればこそ、路傍の名もなき草の花にも、
ふと見とれるものではないか。
(声明カウンセラーくりのみ)は、
*親鸞とカウンセリングコースで、『教行信証』を音読しています。
*道元とカウンセリングコースで、『正法眼藏』を音読しています。
*「歎異抄」うたとかたりあいで、『歎異抄』を音読しています。
毎田周一師の言葉をお届けします。
親鸞を歴史的に知る、といふことは頓馬なことだ。
そんなことでどうして親鸞の主体にぶつかることが出来るのか。
歎異抄あるひは教行信証で、厳然として親鸞は私の前に立って居られる。
その親鸞に会ふ以外に何があるのか。
歴史を媒介とすれば、すでに対象論理になつてしまふ。
だから真宗の学者の中に、親鸞の仏教史的な見方をする者があるが、
これなども戯論である。
成程、親鸞も歴史的に、仏教史的に存在したのであろう。
しかし、その歴史の中に親鸞をみたところで、
今の私の主体的問題と何の関りがあろう。
もつと直接に、現前に、
いまの私の前にその智慧と慈悲を以て、
全面的に立つてゐられる親鸞に会はうではないか。
カウンセリング研究会【くりのみ】
*親鸞とカウンセリングコースでは、『教行信証』の音読をしています。
*道元とカウンセリングコースでは、『正法眼藏』の音読をしています。
「歎異抄」うたとかたりあいでは、『歎異抄』の音読をしています。
毎田 周一師(書) 「悠」
毎田周一師の言葉をお届けします。
☆身は心の(極限点での)限界表現だ。
☆身といふものは汚いものか。身は心の表現として清浄の極みだ。
☆身心一如とは、身が完全な心の表現となること。
心が身に於いて自在を得ることだ。
3月のカウンセリング研究会のご案内
◇カウンセリングと坐禅コース
*日 時:3月31日(金) 午後6時30分~8時30分
*会 場:タワーホール船堀(都営新宿線・船堀駅前)
*内 容:『現成公案・坐禅箴』音読/坐 禅/『正法眼蔵』音読&語り合い
*会 費:1000円
☆坐禅がありますので、楽な服装でお出かけください。
◇カウンセリングと念仏コース
*日 時:3月25日(土) 午前10時~12時
*会 場:タワーホール船堀(都営新宿線・船堀駅前)
*内 容:『教行信証・総序』音読/『嘆仏偈』読誦
/『正信偈』草四句目下げ/『教行信証・ご自釈』音読&語り合い
*会 費:500円
皆さまのお出かけをお待ちしています。