九里 【九里】を探して三千里

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古代の年代

2023-02-07 | 古代からのつながり

仁徳陵の被葬者は継体天皇だ 林順治 著 河出書房新社

古代の日本と加耶 田中俊明 著 山川出版社

などから、

神功皇后の年代が120年ずれていて201-270年を321-390年と考える、と良いようである。

例として、神功摂政五十五年(255年)に肖古王が崩じたとするが、…『三国史記』によれば、肖古王をさす近肖古王の死は375年で、120年の差ができている…と云う事で、120年の繰り下げで史実と合うのではないかという事のようである。

【日本書紀】は、卑弥呼と神功皇后をオーバーラップさせようとしたとのことである。

 

4期に渡って、繰り下げの年数が変わってくるのだそうだ。

(仁徳陵の被葬者は継体天皇だ 林順治 著 河出書房新社)

第一グループ 神武(初代)から孝安(六代)まで・・・・・370年

 

第二グループ 孝霊(七代)から垂仁(十一代)まで・・・・360年

       景行(十二代)          ・・・・ 60年

       成務(十三代)          ・・・・ 60年

       仲哀(十四代)から応神(十五代)まで・・・120年

       神功摂政期含む       第二G合計  600年

 

第三グループ 仁徳(十六代)から履中(十七代)まで・・・・ 95年

 

第四グループ 反正(十八代)から敏達(三十代)まで・・・・180年

 

       用明(三十一代)から皇極(三十五代)まで・・ 60年 

                 

                 第一Gから第四G 合計 1305年

 

なのだそうだが、そうなると、起点は紀元前から?となるはずである。

架空の天皇と実在の天皇が混在しているのが日本書紀という。

wikipediaの「日本書紀」の中ほどに神功紀の紀年と外国史書との対照という表があり、参考となる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80

 

が、釈然としない。

日本書紀と古事記の年代を比べている論文を見つけた。

古事記と日本書紀の暦日
満月の証明 谷崎俊之 著

この論文中の表1.での古事記と日本書紀との年代比較のほうが、私には分かりやすい。

 

久里双水古墳は、神功皇后よりも以前か、古墳の年代が321年以降か、になりそうだ。

いずれにせよ、はっきりした答えは今のところは出ないだろうな‥‥と思い、ココでこの話は中途なのだが終ろうと思う。

 

久里という名(もとは九里)が、鏡の製作に関わった場所(徐州)であったかもしれない‥‥という可能性が、少し開けたことが今回の収穫かも知れない。

 

 

 


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