今、九条兼実の月輪殿、そして比企郡滑川の月の輪と関係があるのかどうかを調べている。
まず、九条兼実の息良経。妻が一条能保の娘であり、「頼朝の姪坊門姫」の娘でもあることになる。
同じ妻としての立場に藤原寿子(?-1222)松殿基房の娘がいて、その息(兼実の孫)に九条基家(1203-1280) - 子孫は月輪家…がいる。
その基家の息が月輪良基である。
妻は、一条高能の娘である。
(基家が生まれた年に比企能員の乱があったのでその後のこととなるが)
九条と一条、婚姻関係でつながっていたことがわかる。
そして時は前後するが、良経が38歳と早くに亡くなったために、兼実は孫道家を育てることに集中したそうである。
この道家、四代将軍藤原頼経の父となる人物であった。
玉日姫が本当に1254年にまで生きていたとすると、九条家の興隆も衰退も見たことになる。
五代将軍九条頼嗣のwikipediaに記述があるが、
頼経追放・頼嗣追放、そして九条道家の死、頼経の死、そして頼嗣の死をすべてを知っていたことになる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%A0%BC%E5%97%A3
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一条高能の娘の母は不明となっているのだが、同じ母の立場に糟屋氏の他に日野家の藤原兼光の娘もいる。
さて、この一条高能の周辺、源頼朝が亡くなった後に「三左衛門事件」などが起こる。
それが、一条家に対する冷遇によるものではないか…という論文があり非常に興味深いものであった。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/624/624PDF/siohara.pdf
下記は「武蔵国」頼の月輪氏に関する部分です。九条家の荘園かも…という事である。
↑ちょっと見苦しいのですが、つなげて読んでみてください。
kunori様
おお!凄いですね。
実は、10年来ためて、放置しているものに、九条良經があります。研究者は3人位マイナーですが。
漢詩の平仄(ひょうそく)が、どんなに覚えても理解出来ない。
昨夜の地震に心配しております。余震も油断出来ませんね。
拙句
平仄が合わぬ人にも梅の花
(見事な梅を見ると、杜甫の気分になるのですが)
ご心配ありがとうございます。地震の国であることをまた思い出しました。
平仄って、声に出す場合の事なのでしょうか?
それとも目で読んでいても、関係するのですか???
平仄を知らぬ我にも梅の花