九里 【九里】を探して三千里

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森氏 と 木田氏

2023-06-17 | 清和源氏

森岡先生の系図では、

https://office-morioka.com/myoji/genealogy/genpei/seiwa_genji_overview.html

 

源満仲の息 頼光から土岐氏

同じ満仲の息 頼信-頼義ー義家ー義隆…森氏となる。

 

一方

満政の系が浦野氏となる。

http://www.md.ccnw.ne.jp/rekishi_tajimi/%E5%B0%BE%E5%BC%B5%E5%9B%BD%E3%80%80%E5%B1%B1%E7%94%B0%E9%83%A1%E5%9F%9F%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%AE%89%E6%9C%AB%EF%BD%9E%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%88%9D%E6%9C%9F%E3%81%AB%E6%96%BC%E3%81%91%E3%82%8B%E3%80%80%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%B0%8F%E3%80%80%E3%81%AE%E5%8B%95%E5%90%91.html

 

満政-忠重ー定宗ー重宗ー重実ー重遠・・・浦野氏

 

 

満政の曾孫 重宗(中央政府 右兵衛尉という官職についている。)は、佐渡源太とも八島冠者とも名乗り、安八郡、方県郡、本巣郡に勢力を張り、その子孫は、”山田、葦敷(あじき)”、生津(なまづ)、小河高田、鏡、白川、小島、木田、開田の諸氏にわかれている。( 詳しくは、多治見市史 通史編 上 昭和55年 刊 参照 )

尚、重宗流源氏の略系図が、瀬戸市史 通史編 上 平成15年 刊 P、90にありますのであわせて参照されたい。

 

重宗流源氏についての概略 ( 以下の文は、瀬戸市史 通史編 上の要約であります。)
重宗には、重実・重長・重高・重時・重親という子がおり、はっきりするのは、

重時で、白河上皇に使え”検非違使”として警察能力を発揮した事。

重実は、鳥羽院武者所と言われ、美濃国河辺郡での狩猟が伝えられると。

其の重実の弟、重長は、美濃国木田郷に居住し、木田三郎とも名乗っていた。

その重実の子 重成は、鳥羽院のもとで活躍。

 

重実の子 重貞は、保元の乱(1156年)の時、後白河天皇方で戦功をあげている。

重実の長子 重遠は、美濃国を生国として、尾張国浦野へ進出し、居住。浦野を名乗ったのでありましょう。…

その後重遠の子 重直は、尾張国河辺荘に住み、山田氏を名乗ったという。


とあることからもわかるように、木田氏と浦野氏は一族の中である。

 

*****

上記の記述を読むと、柏原藩の九里氏とご縁の深い岡田氏は、ココにつながってくる。

柏原織田家臣系譜によると 

浦野を名乗った「源重遠」の妻は源義家の娘という。

その重遠の息 重直が 山田氏となり、岡田氏と変遷していく。

重遠の伯父に当たるのが、重長・重時となる。

 

 

 

 

2つ上にある系図の中の源斉頼は、源頼政の室の養父となっている。

つまり、ここで頼政と惟家(善積氏)が義兄弟であることになる。

という事は、善積惟家…

近江国の善積庄は中原信房と関係があったはずだが、今のところそことつながるのかどうかまではわかっていない。

 

柏原藩の九里氏とのつながりを感じる 満政流の岡田氏・木田氏

・・・・更には源満仲流の森氏 である。

 

森氏は、江戸時代中期から後期の九里政敬が逼塞を命じられた際に森氏の許に「お預け」となり、

お世話になっている。

 

和歌山の九里氏も大坂で商店を始めた際には「紀の庄」を称している。

 

土岐氏も紀氏とつながっていたように(石清水八幡宮の池田氏)

其の池田氏と頼政もつながっていた。

 

 

 

 

 

 


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