九里 【九里】を探して三千里

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九里十助の居場所は「又五郎の息」。其の「又五郎」は三人 

2020-11-04 | 佐々氏 バラバラ情報

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「又五郎の子」という部分 にこだわってみたい。以下想像で、まだ試行錯誤中。

前回の肥後国前野佐々氏系図・武功夜話の系図・柏原織田家臣系譜、どれもがバラバラのようで、どうもしっくりとこない。

又五郎は、忠勝の系についている呼び名で武功夜話の系図の中にも三人は見えている。

又五郎の息が九里嗣子となる。

又五郎は①「忠勝」、そして②忠勝養子で実勝長の息である「吉康」、更に名前はわからないが③吉康の息の又五郎が存在している。

①忠勝の息(男子)は無く、女子一人で其の婿が前野坪内宗兵衛尉為定である。武功夜話の詳細によるこの為定も又五郎である。

②一番怪しいと思われるのが吉康の弟の喜兵衛からなる系と成るのではないかと思う。武功夜話の系図である。
助七というのも七郎右衛門となったにふさわしい名と思えるのだ。
だが勝長が又五郎と名乗った事は書かれていない。吉康の弟の喜兵衛は忠勝の息なのだろうか?
武功夜話では勝長の息になっているのだが…

③吉康の息に九里十助(嗣子)がいたとするのが 肥後国前野佐々氏系図である。
とすると、
吉康長子 又五郎ー某 この人九州肥後熊本に住居仕る伝跡不詳
吉康二男 伝左衛門ー兵太夫・清兵衛 
前野伝左衛門、蜂須賀家政様似召し出され高麗陣に御供仕酢、伝左衛門末流は阿州にあり世臣なり。
この二人しか書かれていない。

柏原織田家臣系図の方は、名前が違っているのだが吉康の兄弟に九里十助がいることになろうと思われる。②と同じ位置である。
宗能の「能」は「やす」とも読める。
勝長の長子時代の名前が、宗直だったと思われる。
勝長自身が宗康の三男なので、勝長=宗直、そして息の吉康=宗能…と養子に入る以前は宗が付いていた可能性大である。(追記:吉康=宗直、又五郎=宗能であろうと11月5日に再度考え直した。)

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吉康の弟に(吉康は忠勝の養子だが、勝長の息である。)、=勝長の息に九里十助がいた事になるのではないだろうか。

しかし、勝長は又五郎は名乗っていないように見える。

忠勝と吉康の間にいる坪内為定が又五郎を名乗っていたとの情報もある。(武功夜話第4巻 236頁)

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更に、佐々氏と前野氏の関係だが、
丹羽氏からの養子 佐々平左衛門の娘が前野小兵衛勝長の妻となっている。

そのことで、柏原織田家臣系譜の佐々宗能 母佐々陸奥守成政姉とあるのだ。??

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九里嘉兵衛がわかった。長崎夜話にでてくる郡代の九里六左衛門かどうかは不明だが、九里加兵衛という名前がでてきておりその人物と思う。
さらに吉右衛門も登場していた。

又時代はわからないものの「九里加右衛門と九里加左衛門」が芸州の資料にも登場していた。



九里加兵衛は加賀藩の寛永4年(1627年)にその名があった。



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今自分の記事を見直して気が付いたことがある。
富樫の流れという坪内も又五郎ならば、その息として養子に入ったという事かもしれない。それならば吉康の兄弟という事になる。


何処かでボタンの掛け違いを起こしているかもしれない。明日にまたTRYしたい。
一代間違えているのかも。。。宗直が吉康になる?(肥後国の系図)


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