ここで、前の記事に書いた「中原宗家」に関することが出てくる。
彼の父は「中原宗政」である。
その宗政は中原広宗の猶子であった。
広宗の父は中原貞親であり、中原師任の養子であり、その中原貞親の実父は【尾張宿禰秋時】である。
中原広宗は、「…儒道より出身し,弁官,蔵人を経て大納言に至る家柄。古来,広くは名望ある家柄の意味に用いられた語であるが,平安末期の記録に勧修寺流藤原氏の蔵人顕頼や,大外記を世襲する中原広宗,清原信俊について〈累代の名家〉と書いているのは,代々故実を伝承し,才識をもって名を得ている家の意と解釈され,さらに顕頼の子光頼について〈数代弁官の家なり〉とする記述のあるのを考えあわせると,〈名家〉の語の系譜がほぼ推測される。室町時代の有職書《海人藻芥(あまのもくず)》には,〈名家は,日野,勧修寺,平家なり〉と見えるが,すでに《伏見院宸記》にも,〈凡そ日野,勧修寺,平家等の輩,労効に依りて立身起家す〉とあり,鎌倉末期以降ほぼ家格としての名家が成立したことがわかる。…」とコトバンクにある。
http://iwarehiko.web.fc2.com/page077.html
源頼朝の母由良御前の母、つまりは頼朝の祖母は尾張氏であり、尾張員職の娘である。
この辺りと、つながってくる。