九里 【九里】を探して三千里

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宇都宮宗円

2019-12-04 | 宇都宮氏

宇都宮宗円(コトバンク)

中世の下野国の豪族。出自については,下毛野(しもつけぬ)氏,中原氏,藤原氏など諸説がある。家伝では大織冠藤原鎌足の後裔で関白藤原道兼の流れをくみ,道兼の曾孫宗円が前九年の役のとき下野国に下向し,宇都宮座主となったのにはじまるという。下野一宮の神主を世襲して下野国中央部に勢力をもち,宗円の孫朝綱は平氏に属し,さらに後白河院の北面をつとめたとされる。朝綱はのちに源頼朝に従って各地で戦功をあげ,宇都宮社務職を安堵されて宇都宮氏発展の基礎を築いた。…

宇都宮宗円 wikipedia
父母 父:藤原兼房 母:源高雅娘
兄弟 兼仲、宗円、左大臣家少輔、静範、円範
妻 正室:益子正隆娘
子 養子:八田宗綱、中原宗房

父の兼房
父母 父:藤原兼隆、母:源扶義の娘
兄弟 兼房、定房、円意、行禅、観円、慶増、敦平親王妃、源良宗室、女子二人
妻 源高雅の娘
大江匡子(江侍従)(大江匡衡の娘)
子 兼仲、左大臣家少輔、静範、円範、宗円?

===*===

この大江匡衡の娘匡子が産んだ子だったのではないだろうか?=宗円
その縁で孫である宗綱と宗房が中原氏へ養子に入ることになり…という事はないだろうか?


藤原兼房の父は兼隆で、妻が源扶義の娘。
この源扶義の息が源 成頼(みなもと の なりより)である。
平安時代中期の貴族。宇多源氏、参議・源扶義の長男。
官位は四位・近衛中将。古くから佐々木氏の祖とされ佐々木成頼とも記される。

===*===

佐々木氏とのつながりは後日とし、その宗円の養子が宇都宮中原宗綱と言われている。
八田宗綱のことである。

後白河院庁主典代の中原宗家。
藤原兼房の妻大江匡子が宗円の養子に宗綱(宗房もか?)を中原宗家から養子にと迎える手はずを整えたのかもしれない。

中原宗家の息宗綱が、藤原宗綱でもあり、宇都宮宗綱でもあり、中原宗綱でもあるのは、そのような理由によるものなのではないだろうか。
又宗綱の弟宗房も中原姓であり、宗円の養子である。

===*===

さらに、宗綱の子どもには、宇都宮朝綱・八田知家・寒河尼がいる。
寒河尼は小山政光の後室であった。
女房として近衛天皇に仕えた経歴をもっていたという。
(寒河尼は他の説では朝綱の娘というのもある。)

平貞能の母親が宇都宮氏であったことや朝綱を頼って東国へ来たことも含め、その貞能の母は寒河尼の姉妹かも知れないと思う。年代的にはもう一代前かもしれない。
寒河尼は1138年生まれと言われている。
貞能が東国に来た頃は、寒河尼は47歳、貞能はいくつだったのだろう。50代か60代だろうか。


小山政光と寒河尼の息に朝光がいる。
その朝光の息に時光・重光・朝村がいる。母親が千葉介業胤の娘とある。
千葉成胤のことと思われる。
朝村は出家法名を連忍という。結城上野十郎朝村ともいう。

さて、九里の祖 中原蓮忍入道と重なるのだろうか。
以前は別人と判断したのだが、周辺事情があってきた。

年代が1256年に出家とあったので別人としたが、、、、

追記だが、小山政光の養子に「宇都宮頼綱」がいる。実父は業綱(朝綱の息)と言われているようである。





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