仕事に慣れてきた矢先、
2月の初旬に身内の不幸があり
(母と弟を亡くしました)
今まで生きてきた中で、一番辛い思いをしました。
帰る故郷がなくなってしまった。
仏壇は奈良に持って帰ってきました。
いずれ故郷の墓も、こちらに移すつもりです。
少しずつ元気になりつつありますが、
なかなか気持ちの整理をつけられずにいます。
「人間万事塞翁が馬」
生きているといろんなことがあって
それが人生なんだとつくづく思います。
家族や友人に支えてもらいました。
主人は常に私の気持ちに寄り添ってくれています。
そして、職場の皆さんに助けられました。
仕事は順調です。
仕事に救われたと思っています。
生きている私が、二人の分まで
精一杯生きていくことが
一番の供養だと思っています。

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この時期毎年送ってくきてくれます。
メロンといえば・・・
私が子供の頃、「スイカだけはどうしても
上手に出来ない」と言ってたのを思い出します。
今はスーパーでトマトを購入しています。
故郷のトマトの味が恋しい
亡くなる前、短い間に3回も
ルビートマトが送られてきました。
もう、二人の野菜は食べられない
と思ってたら、つい先日
二人がとても親しくしていた知人から
大量の野菜が送られてきました。
キャベツ、ジャガイモ、レタス
きゅうり、ズッキーニ。
とにかくどれも見事。
弟が植えた苗で野菜を作っている人達も
「これが最後かな」と言っているそうです。
味はどれも、本物の野菜の味でした。
今月百か日がきます。
百か日は、~故人が亡くなった悲しみに区切りをつける日で、卒哭忌ともいわれ、故人への悲しみのために泣き暮らしていたのを泣きやむ日を意味する~
とありました。
二人が亡くなった後、いろんな処理に追われていた時期
私は何故か、「泣けない」「涙がでない」ことに
自分はとても冷たい人間なのではないかと
思ったりしましたが、
周りの、同じように最愛の身内を亡くした
経験を持つ人にそのことを言うと
そういうものなんだよ、と言われました。
彼女は一周忌を終わらせたのがつい先日なのですが、一年が経ち、涙がぽろぽろと
泣けて仕方がないのだと。
遺影を見ながら仏壇に手を合わせると
何故かホッとする私がいます。
遺影の写真は、去年故郷に規制した時
花房一家と一緒に皆で撮った写真で
二人とも穏やかで、特に母の顔は
笑っているから。
私には妹がいます。
「私を天涯孤独にしないで。姉ちゃんだけが
頼りだから」と言います。
妹のためにも、しっかり生きていかないとね。
ゴン太さん、コメントありがとうございました。
いくら時間が薬といっても、なかなか~ではないでしょうか。
私は昨年4月に母が亡くなり、ちょうど1年。父も母もなく、兄弟姉妹なく、妻子なく、天涯孤独になりましたが、でもそれでも何とか生きています。
おっしゃるように、生きてあることの大切さをかみしめながら、亡くなった人間のぶんまで生きていくことが、残されたものの果たすつとめではないかと思います。
急がず、休まず(ゲーテ)、この唯一度で有限な人生を生き抜いていきましょう。