イスラエル、パレスチナ問題はとにかく複雑だ。
聖地エルサレムを巡る長年の宗教対立に加え、世界中の国々がこの土地と結びついてしまっていることも、問題を難しくしている。
第2次世界大戦後、「ユダヤの独立」としてイスラエルが建国され、パレスチナ難民が生まれた。
イスラエルからすれば国家をいかに守るかという自衛権の問題、
パレスチナ人にとっては一方的に奪われた郷土をいかに取り戻すかの問題になる。
パレスチナの地にあるエルサレムには、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、3つの宗教それぞれの聖地がある。
イスラエルとパレスチナの間の対立において、エルサレムは常に大きな問題であり続けてきた。
それは、この街がユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって、それぞれの聖地であることによる。
1948年にイスラエルというユダヤ人の国ができた。
その後は、この土地の中で〝将来、パレスチナ人の国家になりたい地域(東エルサレム・ヨルダン川西岸・ガザ地区)を総じて、パレスチナと呼んでいる。
日本から9千キロ以上離れた中東のイスラエル、パレスチナで大規模な戦闘が続いている。
発端はパレスチナ自治区ガザを実効支配している「ハマス」というイスラム組織が、10月7日にイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けたことだった。
2023/10/28、イスラエル軍の空爆後、がれきの中に立つパレスチナ人
イスラエル側は報復攻撃に乗り出し、これまでに計8千人以上が命を落とした。
犠牲者には幼い子どもや、紛争とは関係のない観光客も大勢含まれている。
そもそもイスラエルとパレスチナはなぜ対立しているのか。
争いの火種はいつ埋め込まれたのか。
エルサレム旧市街にあるユダヤ教聖地「嘆きの壁」。左上はイスラム教聖地「岩のドーム」
【イスラエル建国とパレスチナの抵抗】
イスラエルとパレスチナが紛争を続ける「パレスチナ問題」の発端は、第2次大戦直後の1948年にまでさかのぼる。
イスラエルが建国されてユダヤ人が集まってきたことで、
もともとそこに住んでいたアラブ人約70万人が自宅を追われ、難民となってしまった。
そうしたアラブ人は「パレスチナ難民」と呼ばれている。
イスラエルの占領に反発し、独立国家を求めるパレスチナの抵抗の歴史が今に続いている。
イスラエルの建国を決めたのは、1947年の国連総会決議だ。
パレスチナの地をユダヤとアラブに分割し、聖地エルサレムを国際管理下に置くと決めた。
1948年、決議に基づいてイスラエルが独立を宣言したが、
これを認めない周辺のアラブ諸国は宣戦を布告し、一斉にイスラエルに攻め込んだ。
これが第1次中東戦争と呼ばれ、その後、双方は1973年までに4度の戦火を交えることになった。
中でも1967年の第3次中東戦争をイスラエルは「奇跡」と呼ぶ。
わずか6日間で圧勝し、エジプトのガザ地区、ヨルダンの東エルサレムとヨルダン川西岸などを占領したためだ。
第3次中東戦争でエジプト軍に向かって進軍するイスラエル軍部隊=1967年6月
パレスチナ人が占領に不満を強めていた1987年12月、ガザから反イスラエル闘争の「インティファーダ」が始まった。
投石するパレスチナ人と圧倒的武力で抑え付けるイスラエル側
この抵抗の中核として生まれたのがイスラム組織のハマスだ。
住民への福祉事業も実施し、貧困層を中心に根強い支持を得ていった。
イスラエル軍の空爆で死亡した親族を悼む女性=10月23日、ガザ地区南部ハンユニス
【はかなく消えた「希望の光」】
一方、パレスチナ人の代表として国際社会で認められていたのが1964年創設のパレスチナ解放機構(PLO)だ。
イスラエルと秘密交渉を進め、PLOのアラファト議長とイスラエルのラビン首相が
1993年9月、歴史的な「パレスチナ暫定自治宣言(オスロ合意)」に調印。
ガザとヨルダン川西岸を自治区とし、聖地エルサレムの帰属や難民の扱いはその後の話し合いで決めることにした。
インティファーダは収束し、パレスチナ国家樹立に希望の光が差した。
1993年9月、暫定自治宣言の調印式で握手するイスラエルのラビン首相(左)とPLOのアラファト議長(右)中央はクリントン米大統領=ワシントン
だが和平の機運は長続きしなかった。
ラビン首相は1995年、和平に反対するユダヤ教過激派に暗殺され、1996年にはハマスなどによる自爆テロが頻発した。
和平交渉は2000年に決裂し、ガザとヨルダン川西岸全土で自爆テロが繰り返される第2次インティファーダが巻き起こった。
和平交渉はその後もアメリカ政府の仲介などで繰り返されたが、いずれも頓挫した。国際社会はイスラエルとパレスチナの「2国家共存」を提唱しているが、実現の見通しはない。
【ガザは「天井のない監獄」】
ハマスは2006年、自治区の評議会選で圧勝したが国際社会に承認されず、2007年にガザを武力制圧した。
イスラエルはガザとの境に壁を建設して封鎖。
人の出入りも制限されたガザは「天井のない監獄」と呼ばれている。
イスラエルはヨルダン川西岸の占領地でユダヤ人入植地を建設し、事実上の領土拡張を続ける。
国際法違反だと非難する国際社会の声を無視し、パレスチナ人の住宅をブルドーザーで押しつぶしている。
イスラエルとハマスは2006年、08~09年、12年、14年、21年と戦闘を重ね、多くの犠牲を生んだ。
一方で2020年以降には、アラブ首長国連邦(UAE)などのアラブ諸国がパレスチナ問題を置き去りにしたままイスラエルと国交を正常化した。
イスラエルの現代史
イスラエル軍による空爆を受け、ガザ地区から立ち上る煙=10月23日
【ユダヤ人、苦難の2千年】
歴史的経緯から極めて特殊で複雑な状況にあるイスラエル。
日本の四国程度の面積の2万2千平方キロに、約950万人が暮らす。
その約74%がユダヤ人だ。パレスチナ問題の背景には2千年を超えるユダヤ人の苦難が横たわっている。
紀元前10世紀ごろ、ヘブライ人(後のユダヤ人)の王国がパレスチナにできたが、
紀元前6世紀、新バビロニアに滅ぼされ、住民は一時とらわれの身になった。
さらに2世紀前半、古代ローマがユダヤ人を聖地エルサレムから追放し、世界各地に散らばった。
ディアスポラ(離散)と呼ばれる。
辛酸は近現代でも続いた。ヨーロッパのユダヤ人はキリスト教社会で差別に直面。
19世紀のロシアでの迫害もあり、国家樹立に向けた意識が高まった。
第2次大戦後には、独裁者アドルフ・ヒトラーが率いたナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の実態が明らかになり、ポーランド・アウシュビッツの収容所などで約600万人が殺害されたといわれる。
国が滅ぼされ、土地を追われ、民族離散の悲劇に見舞われ。
苦難の歩みを続け、安住の地を求めてきたユダヤ人にとって、イスラエル国家建設は歴史的悲願だった。
エルサレム旧市街のユダヤ教聖地「嘆きの壁」で祈る超正統派ユダヤ教徒ら=2012年7月
【閉じられていたふたが…】
イスラエルとパレスチナの憎しみの連鎖に終わりが見える兆しはない。
今からちょうど50年前の1973年10月6日、ユダヤ暦の祝日にエジプトとシリアがイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けたのが第4次中東戦争の始まりだった。
今回、ハマスがイスラエルを奇襲したのは10月7日、ユダヤ暦の祝日だった。
「開戦日」を合わせた攻撃だったとみられている。
パレスチナ自治区ガザからのロケット弾攻撃を受け、煙の上がるイスラエル中部アシュケロンの街=10月7日(
東京大の鈴木啓之特任准教授は「今回のハマスの奇襲は閉じられていた問題のふたを暴力的に開けた」と指摘。
パレスチナ問題の解決に取り組む必要性を改めて強調した。
【そもそも解説 「パレスチナ」って?】
東地中海とレバノン、シリア、ヨルダン、エジプトに囲まれた地域。
イスラエル領を除くと地中海沿岸のガザ地区と、主に乾燥した丘陵地帯のヨルダン川西岸から成る。
ガザ地区の面積は福岡市より少し広い365平方キロ、西岸は三重県と同じくらいの5655平方キロ。
パレスチナ中央統計局によると人口は約548万人。
パレスチナ人は「パレスチナ地方出身のアラブ人」の意。
西岸のラマラに、治安や行政権限を持つパレスチナ自治政府の議長府が置かれている。
議長はアッバス氏。
イスラエルの公用語はヘブライ語だが、パレスチナはアラビア語。
宗教は住民の約92%がイスラム教、約7%がキリスト教。
独自の通貨は持っておらず、イスラエルの通貨シェケルが使われている。
【ちょっと深掘り 中東の周辺国の動きは?】
パレスチナ人はアラブ民族で、大半がイスラム教を信仰している。
アラブ諸国に加え、ペルシャ民族のイランもイスラム教の国でパレスチナ支持だ。
ただ近年、アラブ諸国は中東でのイランの影響力を警戒し、「イランの敵」であるイスラエルに接近、
パレスチナ問題はほぼ棚上げにされていた。
今回のイスラエルとハマスの戦闘で、イスラエルへの怒りが再び民衆に広がっている。
アラブ諸国はイスラエルと4回交戦したが、1979年にエジプト、1994年にヨルダンがイスラエルと平和条約を締結。
2002年、アラブ諸国はパレスチナ国家樹立などが実現すれば和平を進めるとの案を採択した。
2003年のイラク戦争でイスラム教スンニ派のフセイン政権が崩壊し、イラクにシーア派政権が樹立された。
これに伴いシーア派大国であるイランの力が強まり、中東にシーア派の勢力圏を形成した。
イランと敵対するイスラエルは危機感をスンニ派のアラブ諸国と共有した。
2020年にアラブ首長国連邦(UAE)とバーレーンがイスラエルと国交を正常化。
大国サウジアラビアも正常化交渉に乗り出した。
イスラエルのネタニヤフ首相は今年9月の国連総会一般討論で「サウジとの歴史的な和平は間近だ」と演説した。
イランの核兵器開発を恐れるアメリカは、イスラエルとアラブの関係改善が「イラン包囲網」になるとして融和を歓迎した。
パレスチナ問題は事実上、置き去りにされていた。
ただ今回のイスラエル軍とハマスの戦闘で、パレスチナ人の犠牲が連日伝えられ、中東各国は衝撃を受けた。
サウジはイスラエルとの正常化交渉を保留。
イランもパレスチナに連帯し、中東に広がっていた融和の機運は一気に消えた。