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日記(8.9)

2024-08-09 09:20:21 | 日常
2024   8月9日  (金曜日)   晴れ

 朝の気温が少し涼しく感じる。
〇キュウリが沢山収穫できた。が出来具合が悪くなった。

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〇第2陣で植えておいた最後のスイカを収穫。球が大きくならない。

 昨日は幾分は涼しい日になると思って安易な気持ちで
 用事を済ませる為、出かけたがやっぱり
 午後2時ごろには急激に暑くなって参った。
 少々だるくなってしまった。早寝をする。
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★昨日は17時前に宮崎沖で震度6弱の地震発生

 津波注意報も発生した。幸い10時ごろには解除された。
 南海トラフとの関連も協議されて発表された。
「巨大地震注意」・・が出された。
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 東日本巨大地震もちょと前にマグニチュード7クラスが起きていたと聞く
 被害金額20兆円超えであったと。「福島の原発事故処理もまだまだ進まない」
 〇地震発生活動期に入った21世紀だ、どうか静まっていて欲しいと思う。
  今回は起きなければいいが、こればかりは自然のことで・・
  起きたらその十数倍規模の被害想定がだされている。
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毎日新聞  余録  

1945年8月9日、長崎に投下された原爆のキノコ雲
 「夏の太陽裂けしと紛(まご)ふ白閃(はくせん)にわが父母は焼け給(たま)ひけり」
 「掌(たなぞこ)に掬(すく)へばあはれ父母の白骨は脆(もろ)くわが膝に散る」。

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 被爆詩人、福田須磨子(ふくだ・すまこ)が残した歌だ。
 勤め先の長崎師範学校で被爆し、爆心地に近い実家で両親と姉の骨を拾い上げた
「私はこうした闘いの中で倒れるかも知れない。
  しかし私はそれをしなければならない。
  何故なら私は戦争と原爆を知っているからである」。

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自伝的小説「われなお生きてあり」の記述である。
 原爆の後遺症に苦しみながら執筆の傍らで原水爆禁止を訴えた。
 今年は没後50年に当たる。
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79回目の長崎の「原爆の日」。
 平和祈念式典で読み上げられる平和宣言で須磨子の詩が引用される。
 各国代表にも聞いてもらいたいが、鎮魂の場がにわかに騒がしくなった。
〇イスラエル大使が招かれなかったことを理由に欧米の主要国大使が式典欠席を表明した。
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▲国際政治の現実を前に核廃絶の願いを発信する必要性をいっそう痛感する。
 長崎の被爆者団体は須磨子の詩「原爆を作る人々に」の朗読に
 英語字幕をつけてきょうから動画投稿サイトで公開するという
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「原爆を作る人々よ! 暫(しば)し手を休め 眼をとじ給え」
 「もしもあなたの国で実験されたら……やはりあなた方は私達を笑うだろうか」
 須磨子は核廃絶の願いが国際社会に届かないことに憤っていた。
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被爆者の平均年齢は85歳を超えた。
 核兵器がもたらした惨禍の記憶をどう次代に引き継ぎ、世界に伝えていくのか。
 体験に基づく「原爆文学」の重みが増している。
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原爆の大きさと凄さがわかる写真だ!
巨大悪魔の爆弾だ・・・
ひとたまりもないなあ・・
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