2,024 8月26日 (月曜日) 晴れ
イチジクをいただいた。Kさんから
綺麗で大きい。冷やしていただく様にした。
カミさんの仲間でKさん・・嫁ぎ先が大農家で庭にはいっぱいの野菜等・・
一度だけ伺ったことがあるネギが専門で、旦那さんがいろいろ作っている。
本人は塾の先生をしたり、スポーツもこなして
いろいろな趣味を抱えてやっている。。
話をしても気持ちのいい人である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日は”ブドウ狩り「買い」に栃木の大平台ぶどう団地に出かける。
今日はえらく遠く感じた運転。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1時間20分程かけて埼玉⇒群馬⇒栃木と・・暑い暑いR50号を走って久々にはなぶさ園に着。
子供が小さいころからお世話になっているお店だ。
おばあちゃんが”もう疲れたのでやめようと思っていたら
今年は実の着きがよくって随分元気だという。”
9月に入っても収穫できると言っていたので
電話して又来ますよ・・・と。
巨峰とシャインマスカットをメインに6㎏分ほど買って帰路へ途中
三毳山「みかもやま」道の駅によって小物を買い込んで
佐野の行きつけのラーメン店”やまや分店”にて
どうしても食べたいという家内の注文に応えて
混んだ駐車場にようやく車を停めて・・・ここは混雑するので実は通過してしまおうと思ったが・・
チャーハン・ラーメン・餃子を少しづついただく。
更に満足した連れ合いは機嫌がよくなったらしい。
食べすぎた感あり。
==================================
群馬 上毛新聞 三山春秋
▼幕末の1853年、米国のペリー提督が率いる黒船が浦賀に来航した。
艦上での交渉時に江戸幕府の役人へ振る舞ったのが、
日本に初めて伝えられた炭酸飲料(ラムネ)とされる
▼開栓した時の音に「さては新式の銃か」と勘違いした役人たちは、
いっせいに刀の柄に手をかけたとか。
「ラムネ」の名称はレモネードがなまったとの説が有力だ
▼〈ラムネといふもの、不思議になつかしく愉快なものだ〉。
萩原朔太郎も随筆につづるほど好物だったようだ。
同様に懐かしむ方は多いことだろう。祭りや花火大会、峠の茶屋。
出かけた際に飲むことが多かったから、余計に思い出深いのかもしれない
▼最後に味わったのはいつのことか。
清涼飲料水の多様化に加え、コロナ禍も追い打ちをかけた。
国内市場は縮小傾向にあるという
▼ところが、この夏の風物詩はいま、世界で大人気なのだそうだ。
「和食」のユネスコ無形文化遺産登録がきっかけとも言われる。
瓶の製法も中身も舶来ものなのに、
日本の文化として海外で脚光を浴びるとは、なんとも不思議である
▼ちなみに、三好達治は名称の「なまり説」には
否定的だったと坂口安吾が随筆で紹介している。
〈ラムネー氏なる人物が発明に及んだ〉との珍説を主張。
フランスの辞書に載っているのを見たと、いきまいたという。
安吾が後日その辞書を調べたが、
やはりラムネの項は見いだせなかったそうだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~
★三好達治氏では思い出すこともある。
私の上司であったO氏は厳しい経営者で技術者でもあった・
何故か随分、私ごときの面倒を見てくれた。きつかったことも多かったが
〇奥さんが三好達治氏の娘さんで何度か行き会った。
新潟の半導体製造工場時代も社長で・・私も呼ばれて出向したので
一緒に頑張った。そんな時期に文豪;達治氏の人柄を聞いてみたりした。
通常は普通の人だが、その道に入ると流石に凄い人だと言っていた。
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メモ:
夏を代表する飲み物の一つに「ラムネ」がありますね。
ガラス玉(一般的には「ビー玉」と呼ばれています)で栓のされた、
清涼飲料水のラムネ。最近はあまり見かけなくなったため、
少し懐かしい感じがします。
しかし一方では、飲んだことも、見たことすらもないという、
若い人や子供たちもいるかもしれませんね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇ラムネとは、どんな飲み物なのでしょうか。
「レモネード」がなまって「ラムネ」になった?
ラムネは「レモネード」が転訛(てんか)した言葉といわれます。
レモネードの「レ」が「ラ」に聞こえ、
語尾が消えて、「ラムネ」といわれるようになったと考えられています。
〇ラムネは炭酸水に甘味料や香料などを加えた清涼飲料水。
ガラス玉で瓶に栓をしているのが大きな特徴です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇炭酸飲料は18世紀後半にイギリスで発明された
そもそも炭酸水とは炭酸ガス(二酸化炭素)の水溶液で、
炭酸飲料とはその炭酸ガスを含んだ発泡性の清涼飲料水です。
その炭酸飲料は18世紀後半にイギリスで発明されました。
炭酸飲料はその後、世界各地に広がり、日本には幕末に伝わりました。
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イチジクをいただいた。Kさんから
綺麗で大きい。冷やしていただく様にした。
カミさんの仲間でKさん・・嫁ぎ先が大農家で庭にはいっぱいの野菜等・・
一度だけ伺ったことがあるネギが専門で、旦那さんがいろいろ作っている。
本人は塾の先生をしたり、スポーツもこなして
いろいろな趣味を抱えてやっている。。
話をしても気持ちのいい人である。
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今日は”ブドウ狩り「買い」に栃木の大平台ぶどう団地に出かける。
今日はえらく遠く感じた運転。
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1時間20分程かけて埼玉⇒群馬⇒栃木と・・暑い暑いR50号を走って久々にはなぶさ園に着。
子供が小さいころからお世話になっているお店だ。
おばあちゃんが”もう疲れたのでやめようと思っていたら
今年は実の着きがよくって随分元気だという。”
9月に入っても収穫できると言っていたので
電話して又来ますよ・・・と。
巨峰とシャインマスカットをメインに6㎏分ほど買って帰路へ途中
三毳山「みかもやま」道の駅によって小物を買い込んで
佐野の行きつけのラーメン店”やまや分店”にて
どうしても食べたいという家内の注文に応えて
混んだ駐車場にようやく車を停めて・・・ここは混雑するので実は通過してしまおうと思ったが・・
チャーハン・ラーメン・餃子を少しづついただく。
更に満足した連れ合いは機嫌がよくなったらしい。
食べすぎた感あり。
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群馬 上毛新聞 三山春秋
▼幕末の1853年、米国のペリー提督が率いる黒船が浦賀に来航した。
艦上での交渉時に江戸幕府の役人へ振る舞ったのが、
日本に初めて伝えられた炭酸飲料(ラムネ)とされる
▼開栓した時の音に「さては新式の銃か」と勘違いした役人たちは、
いっせいに刀の柄に手をかけたとか。
「ラムネ」の名称はレモネードがなまったとの説が有力だ
▼〈ラムネといふもの、不思議になつかしく愉快なものだ〉。
萩原朔太郎も随筆につづるほど好物だったようだ。
同様に懐かしむ方は多いことだろう。祭りや花火大会、峠の茶屋。
出かけた際に飲むことが多かったから、余計に思い出深いのかもしれない
▼最後に味わったのはいつのことか。
清涼飲料水の多様化に加え、コロナ禍も追い打ちをかけた。
国内市場は縮小傾向にあるという
▼ところが、この夏の風物詩はいま、世界で大人気なのだそうだ。
「和食」のユネスコ無形文化遺産登録がきっかけとも言われる。
瓶の製法も中身も舶来ものなのに、
日本の文化として海外で脚光を浴びるとは、なんとも不思議である
▼ちなみに、三好達治は名称の「なまり説」には
否定的だったと坂口安吾が随筆で紹介している。
〈ラムネー氏なる人物が発明に及んだ〉との珍説を主張。
フランスの辞書に載っているのを見たと、いきまいたという。
安吾が後日その辞書を調べたが、
やはりラムネの項は見いだせなかったそうだ。
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★三好達治氏では思い出すこともある。
私の上司であったO氏は厳しい経営者で技術者でもあった・
何故か随分、私ごときの面倒を見てくれた。きつかったことも多かったが
〇奥さんが三好達治氏の娘さんで何度か行き会った。
新潟の半導体製造工場時代も社長で・・私も呼ばれて出向したので
一緒に頑張った。そんな時期に文豪;達治氏の人柄を聞いてみたりした。
通常は普通の人だが、その道に入ると流石に凄い人だと言っていた。
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メモ:
夏を代表する飲み物の一つに「ラムネ」がありますね。
ガラス玉(一般的には「ビー玉」と呼ばれています)で栓のされた、
清涼飲料水のラムネ。最近はあまり見かけなくなったため、
少し懐かしい感じがします。
しかし一方では、飲んだことも、見たことすらもないという、
若い人や子供たちもいるかもしれませんね。
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〇ラムネとは、どんな飲み物なのでしょうか。
「レモネード」がなまって「ラムネ」になった?
ラムネは「レモネード」が転訛(てんか)した言葉といわれます。
レモネードの「レ」が「ラ」に聞こえ、
語尾が消えて、「ラムネ」といわれるようになったと考えられています。
〇ラムネは炭酸水に甘味料や香料などを加えた清涼飲料水。
ガラス玉で瓶に栓をしているのが大きな特徴です。
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〇炭酸飲料は18世紀後半にイギリスで発明された
そもそも炭酸水とは炭酸ガス(二酸化炭素)の水溶液で、
炭酸飲料とはその炭酸ガスを含んだ発泡性の清涼飲料水です。
その炭酸飲料は18世紀後半にイギリスで発明されました。
炭酸飲料はその後、世界各地に広がり、日本には幕末に伝わりました。
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