2024 9月7日 (土曜日) ② 晴れ
新潟日報 日報抄 記事
平安時代の「枕草子」と鎌倉時代の「徒然草」は随筆文学の双璧とされる。
不思議なことに、
この二つの作品は台風についての書きぶりが同じなのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼秋の嵐をかつては野分と言った。
〇枕草子は「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」。
〇徒然草も「野分のあしたこそをかしけれ」だ。
共に台風の翌日を「をかし(趣がある)」と評している。
台風一過は晴れたかもしれない。
しかし大きな被害が出ていたかもしれず、
そんな状況に心引かれたのはなぜなのか
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼気象庁予報官だった平沼洋司さんは、そこに日本人の風流を感じるという。
自然は時に優しく、時に牙をむく。
自然のそうした営みを「すべて受け入れた後のあきらめからの感情なのでしょうか」と
「空の歳時記」に書いている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼決してあらがえない気象を宿命と捉え、やりすごす。
自然への畏敬もあったろう。
とはいえ現代の台風は風流などと言っていられるだろうか。
地球沸騰時代の野分である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
列島の6~8月は2年連続で過去最も暑い夏となり、
猛暑日の延べ日数は昨年から3割も増えた
▼温暖化により大気の流れが変化し、
台風の移動速度が遅くなっているという研究結果もある。
8月下旬の台風10号は鹿児島に上陸してから行き先を失ったように迷走した
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼台風の寿命は平均5・2日
10号は10日以上の長寿となり、
風雨被害を広げた。9月は本土への上陸が増える。
新米やブドウ、ナシなどの出来秋でもある。
どうか穏やかに。「をかし」の時代は過ぎた。
=================================
そういえば、昨年ものろのろ台風があったなあ~。ニュース記事をとっておいた。
昨年ごろから完全異常気象だ・・・
=====================================
上毛新聞のコラムには 英治忌
▼今年の吉川英治文庫賞を受賞した阿部智里さん(前橋市出身)は、
編集者に大事に育てられた一人だという。
高校生の頃から世話になり、叱咤激励されて今があるそうだ。
受賞会見では「一番お礼を申し上げたいのは編集者」と述べていた
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼吉川英治自身が編集者の支えで世に出た作家だった。
勤めていた新聞社が関東大震災で解散。
生活苦の中「あらゆる境遇と人間の心に会い、卒然と文学の業の意義深きことを感じた」と
作家を志した
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼講談、滑稽小説、任侠(にんきょう)ものに花柳情話と、
当初は編集者に言われるまま。才にまかせて書きまくり、
研鑽と模索を重ねて地歩を築いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼後ろ盾となったのが野間清治(桐生市出身)創設の講談社である。
野間が長年の夢を具現化した雑誌キング創刊号から
小説「剣難女難」を連載して一躍人気に。
後の「宮本武蔵」「三国志」「私本太平記」といった代表作は、
なお読み継がれている・・
★野間 清治(のま せいじ、1878年〈明治11年〉12月17日 - 1938年〈昭和13年〉10月16日)は、
講談社創業者であり、
元報知新聞社社長。「雑誌王」とよばれ、
〇昭和時代前期の出版界を牽引した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼〈悪の密雲は、上層ほど濃い。
(中略)政治にかくれ、権力にものをいわせ、
公然と合理づけた悪を行って、恥ずるを知らない〉(新・水滸伝)。
~~~~~~~~~~~~~~
作品が古びず今も引き付けるのは、
どの時代にも通じる人間の業や欲など普遍的なテーマを描き、
大衆性と教訓性に富んでいるからだろう
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼吉川は読者の心の糧になるよう、
努めて希望的な小説を心がけたという。
きょうは英治忌。
〇吉川英治(本名:英次)氏は1962(昭和37)年9月7日死去。
その後、1977(昭和52)年3月に吉川英治記念館が吉野村(現在:青梅市柚木町)の
旧住宅敷地内に開館しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇初見の方も、元気になれる一冊に出合えるといい。
新潟日報 日報抄 記事
平安時代の「枕草子」と鎌倉時代の「徒然草」は随筆文学の双璧とされる。
不思議なことに、
この二つの作品は台風についての書きぶりが同じなのだ。
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▼秋の嵐をかつては野分と言った。
〇枕草子は「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」。
〇徒然草も「野分のあしたこそをかしけれ」だ。
共に台風の翌日を「をかし(趣がある)」と評している。
台風一過は晴れたかもしれない。
しかし大きな被害が出ていたかもしれず、
そんな状況に心引かれたのはなぜなのか
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▼気象庁予報官だった平沼洋司さんは、そこに日本人の風流を感じるという。
自然は時に優しく、時に牙をむく。
自然のそうした営みを「すべて受け入れた後のあきらめからの感情なのでしょうか」と
「空の歳時記」に書いている。
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▼決してあらがえない気象を宿命と捉え、やりすごす。
自然への畏敬もあったろう。
とはいえ現代の台風は風流などと言っていられるだろうか。
地球沸騰時代の野分である。
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列島の6~8月は2年連続で過去最も暑い夏となり、
猛暑日の延べ日数は昨年から3割も増えた
▼温暖化により大気の流れが変化し、
台風の移動速度が遅くなっているという研究結果もある。
8月下旬の台風10号は鹿児島に上陸してから行き先を失ったように迷走した
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▼台風の寿命は平均5・2日
10号は10日以上の長寿となり、
風雨被害を広げた。9月は本土への上陸が増える。
新米やブドウ、ナシなどの出来秋でもある。
どうか穏やかに。「をかし」の時代は過ぎた。
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そういえば、昨年ものろのろ台風があったなあ~。ニュース記事をとっておいた。
昨年ごろから完全異常気象だ・・・
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上毛新聞のコラムには 英治忌
▼今年の吉川英治文庫賞を受賞した阿部智里さん(前橋市出身)は、
編集者に大事に育てられた一人だという。
高校生の頃から世話になり、叱咤激励されて今があるそうだ。
受賞会見では「一番お礼を申し上げたいのは編集者」と述べていた
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▼吉川英治自身が編集者の支えで世に出た作家だった。
勤めていた新聞社が関東大震災で解散。
生活苦の中「あらゆる境遇と人間の心に会い、卒然と文学の業の意義深きことを感じた」と
作家を志した
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼講談、滑稽小説、任侠(にんきょう)ものに花柳情話と、
当初は編集者に言われるまま。才にまかせて書きまくり、
研鑽と模索を重ねて地歩を築いた。
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▼後ろ盾となったのが野間清治(桐生市出身)創設の講談社である。
野間が長年の夢を具現化した雑誌キング創刊号から
小説「剣難女難」を連載して一躍人気に。
後の「宮本武蔵」「三国志」「私本太平記」といった代表作は、
なお読み継がれている・・
★野間 清治(のま せいじ、1878年〈明治11年〉12月17日 - 1938年〈昭和13年〉10月16日)は、
講談社創業者であり、
元報知新聞社社長。「雑誌王」とよばれ、
〇昭和時代前期の出版界を牽引した。
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▼〈悪の密雲は、上層ほど濃い。
(中略)政治にかくれ、権力にものをいわせ、
公然と合理づけた悪を行って、恥ずるを知らない〉(新・水滸伝)。
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作品が古びず今も引き付けるのは、
どの時代にも通じる人間の業や欲など普遍的なテーマを描き、
大衆性と教訓性に富んでいるからだろう
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▼吉川は読者の心の糧になるよう、
努めて希望的な小説を心がけたという。
きょうは英治忌。
〇吉川英治(本名:英次)氏は1962(昭和37)年9月7日死去。
その後、1977(昭和52)年3月に吉川英治記念館が吉野村(現在:青梅市柚木町)の
旧住宅敷地内に開館しました。
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〇初見の方も、元気になれる一冊に出合えるといい。