1月29日 (月曜日) ② 晴れ 穏やかな日
〇照ノ富士が横綱の貫録を示して優勝した。・・13勝2敗同士で決定戦「琴の若」
大相撲初場所千秋楽は28日、東京・両国国技館、
横綱・照ノ富士(32)=本名・杉野森正山、
モンゴル出身、伊勢ケ浜部屋=が4場所ぶり9度目の優勝を決めた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^
初場所の優勝は初めてで、年6場所が定着した1958年以降で史上11人目の全場所制覇を達成した。
●最近は家内と一緒に相撲は見ることが多い。互いにぼんやり暇人だ。
共通の応援するお相撲さんは“宇良”関だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
又朝TVの共通項は
NHKの連続テレビ小説『ブギウギ』だ。
これからの新たなキャストが1月22日に発表されると、
その1人に同ドラマの視聴者たちがザワついた。
ヒロイン・スズ子(趣里、33)が出会う「若手スター歌手/水城アユミ」なる
新キャラクターを若手女優の吉柳咲良(19)が演じることが発表されるや、
〈この子が美空ひばりなのでは!〉〈いよいよ美空ひばりの登場ってことよね?〉
と沸き立ったのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇スズ子のモデルとなった“ブギの女王”笠置シヅ子を語る上で欠かせないのが、
天才少女として名を広め、“ベビー笠置”として人気を博した美空ひばりの存在だ。
後にライバルとしての「因縁」も語り継がれる昭和の2大スターだからこそ、
『ブギウギ』の物語に登場するのか・・・・・・・
楽しみだ!
===================
★毎日新聞 余録
今から50年前の1974年…
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
石油価格の高騰に伴い、
節約しようとネオンが消えた東京・銀座=1973年11月8日午後9時撮影
今から50年前の1974年、高度成長が続いていた日本は石油危機に襲われ、
戦後初のマイナス成長に陥った。これを機にゼロ成長への転換を促したエコノミストがいた。
池田内閣の所得倍増論を立案した下村治だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲ひょう変が世間を驚かせたが、
石油の大量輸入が難しくなった以上、
政策を見直すべきだと主張した。
~~~~~~~~~~~~~~
だが政府は成長優先を変えず、バブルとその崩壊を招いた。
アベノミクスも「戦後最大の経済」を
目指して予算を大盤振る舞いし、
巨額の借金を残した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲最新の政府の調査で「生活に満足」と答えた国民は半分止まりで、
半世紀前とほぼ変わらない。
「高所得は必ずしも幸福をもたらさない」と米経済学者が唱えた
「イースタリンの逆説」が思い起こされる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲岸田文雄首相は年頭の記者会見で
「今年は所得増と成長の好循環に移行するチャンス」と強調した。
所得減税をアピールしたのだろうが、
借金頼みで経済を拡大させても生活不安が和らぐとは思えない。
▲地球温暖化や福島原発事故はエネルギーを浪費する社会の危うさを浮き彫りにした。
脱成長を説く思想家、斎藤幸平さんの著書が相次いでベストセラーになったのも、
経済規模に表れない暮らしの安心に関心が高まっている証左だろう
▲下村は成長に固執しなければ「設備投資に使われた資源が生活の充実や福祉の向上に解放される」と語った。
能登半島地震で政府の支援が届かず、
寒さに震えた被災者の姿から見えたのは、
下村の言葉と正反対の経済大国の貧困である。
===========================
メモ:
〇1960年代の高度成長を的確に予言した下村治氏の「下村理論」は、
現代貨幣理論(MMT)にも通じているという
戦後日本の高度成長に寄与した池田勇人首相側近であり、
不世出のエコノミスト、下村治氏。彼は当時どのような理論を提唱し実現していったのか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇このたび『日本経済学新論 渋沢栄一から下村治まで』を上梓した中野剛志氏が、
戦後最悪ともいわれるコロナ危機における「下村理論」の有効性を解き明かす。
独自の成長理論を編み出す
前回で述べたとおり、下村治は大蔵官僚として、
終戦直後のインフレ処理に従事したが、このときの激務がたたって体調を崩し、
1948年から1年間、病床に伏せることとなった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇その病床の中で下村は、ジョン・M・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』を
読みふけっていた。そして、ケインズの理論は需要面に焦点を当てており、
供給面の分析が不足していることに気づいた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そこで、下村は、ケインズの理論に生産力の理論を加味し、
独自の成長理論を編み出したのである。
世に名高い「下村理論」である。
それは、ハロッドやドーマーが成長理論を確立したのとほぼ同時期であった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇昭和30年代、下村は、日本経済は年率10%以上の成長率が可能であると主張し、
大来佐武郎や都留重人といった経済学者たちと大論争を繰り広げた。
大来や都留は、そんな高い成長率はありえないと批判したのである。
しかし、周知のとおり、日本経済が実際に高度成長を成し遂げたことで、
この論争は下村に軍配が上がった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
当時、下村に対しては、「高度成長はインフレを招く」という批判もあった。
これに対して下村は、生産能力が十分にあるのでインフレにはならないと反論した。
「インフレになるかならないかということを決定するものは、
基本的には生産能力と需要との相互関係である。
これだけの条件ははっきりしておく必要があるということであります」
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〇照ノ富士が横綱の貫録を示して優勝した。・・13勝2敗同士で決定戦「琴の若」
大相撲初場所千秋楽は28日、東京・両国国技館、
横綱・照ノ富士(32)=本名・杉野森正山、
モンゴル出身、伊勢ケ浜部屋=が4場所ぶり9度目の優勝を決めた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^
初場所の優勝は初めてで、年6場所が定着した1958年以降で史上11人目の全場所制覇を達成した。
●最近は家内と一緒に相撲は見ることが多い。互いにぼんやり暇人だ。
共通の応援するお相撲さんは“宇良”関だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
又朝TVの共通項は
NHKの連続テレビ小説『ブギウギ』だ。
これからの新たなキャストが1月22日に発表されると、
その1人に同ドラマの視聴者たちがザワついた。
ヒロイン・スズ子(趣里、33)が出会う「若手スター歌手/水城アユミ」なる
新キャラクターを若手女優の吉柳咲良(19)が演じることが発表されるや、
〈この子が美空ひばりなのでは!〉〈いよいよ美空ひばりの登場ってことよね?〉
と沸き立ったのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇スズ子のモデルとなった“ブギの女王”笠置シヅ子を語る上で欠かせないのが、
天才少女として名を広め、“ベビー笠置”として人気を博した美空ひばりの存在だ。
後にライバルとしての「因縁」も語り継がれる昭和の2大スターだからこそ、
『ブギウギ』の物語に登場するのか・・・・・・・
楽しみだ!
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★毎日新聞 余録
今から50年前の1974年…
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
石油価格の高騰に伴い、
節約しようとネオンが消えた東京・銀座=1973年11月8日午後9時撮影
今から50年前の1974年、高度成長が続いていた日本は石油危機に襲われ、
戦後初のマイナス成長に陥った。これを機にゼロ成長への転換を促したエコノミストがいた。
池田内閣の所得倍増論を立案した下村治だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲ひょう変が世間を驚かせたが、
石油の大量輸入が難しくなった以上、
政策を見直すべきだと主張した。
~~~~~~~~~~~~~~
だが政府は成長優先を変えず、バブルとその崩壊を招いた。
アベノミクスも「戦後最大の経済」を
目指して予算を大盤振る舞いし、
巨額の借金を残した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲最新の政府の調査で「生活に満足」と答えた国民は半分止まりで、
半世紀前とほぼ変わらない。
「高所得は必ずしも幸福をもたらさない」と米経済学者が唱えた
「イースタリンの逆説」が思い起こされる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲岸田文雄首相は年頭の記者会見で
「今年は所得増と成長の好循環に移行するチャンス」と強調した。
所得減税をアピールしたのだろうが、
借金頼みで経済を拡大させても生活不安が和らぐとは思えない。
▲地球温暖化や福島原発事故はエネルギーを浪費する社会の危うさを浮き彫りにした。
脱成長を説く思想家、斎藤幸平さんの著書が相次いでベストセラーになったのも、
経済規模に表れない暮らしの安心に関心が高まっている証左だろう
▲下村は成長に固執しなければ「設備投資に使われた資源が生活の充実や福祉の向上に解放される」と語った。
能登半島地震で政府の支援が届かず、
寒さに震えた被災者の姿から見えたのは、
下村の言葉と正反対の経済大国の貧困である。
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メモ:
〇1960年代の高度成長を的確に予言した下村治氏の「下村理論」は、
現代貨幣理論(MMT)にも通じているという
戦後日本の高度成長に寄与した池田勇人首相側近であり、
不世出のエコノミスト、下村治氏。彼は当時どのような理論を提唱し実現していったのか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇このたび『日本経済学新論 渋沢栄一から下村治まで』を上梓した中野剛志氏が、
戦後最悪ともいわれるコロナ危機における「下村理論」の有効性を解き明かす。
独自の成長理論を編み出す
前回で述べたとおり、下村治は大蔵官僚として、
終戦直後のインフレ処理に従事したが、このときの激務がたたって体調を崩し、
1948年から1年間、病床に伏せることとなった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〇その病床の中で下村は、ジョン・M・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』を
読みふけっていた。そして、ケインズの理論は需要面に焦点を当てており、
供給面の分析が不足していることに気づいた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そこで、下村は、ケインズの理論に生産力の理論を加味し、
独自の成長理論を編み出したのである。
世に名高い「下村理論」である。
それは、ハロッドやドーマーが成長理論を確立したのとほぼ同時期であった。
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〇昭和30年代、下村は、日本経済は年率10%以上の成長率が可能であると主張し、
大来佐武郎や都留重人といった経済学者たちと大論争を繰り広げた。
大来や都留は、そんな高い成長率はありえないと批判したのである。
しかし、周知のとおり、日本経済が実際に高度成長を成し遂げたことで、
この論争は下村に軍配が上がった。
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当時、下村に対しては、「高度成長はインフレを招く」という批判もあった。
これに対して下村は、生産能力が十分にあるのでインフレにはならないと反論した。
「インフレになるかならないかということを決定するものは、
基本的には生産能力と需要との相互関係である。
これだけの条件ははっきりしておく必要があるということであります」
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