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備忘録

幸徳秋水没後100年+高知白バイ事件で平和ウォーク ~ 2011,1,24

2010-12-16 17:44:19 | 雑記録

2010/12/15

幸徳秋水没後100年+高知白バイ事件で平和ウォーク ~ 2011,1,24

幸徳 秋水

生年: 明治4年9月23日
(1871年11月5日)
生地:  大日本帝国、高知県
没年: 明治44年(1911年)1月24日

高知県幡多郡中村町(現在の高知県四万十市)に生まれる。幸徳家は、酒造業と薬種業を営む町の有力者で、元々は「幸徳井(かでい)」という姓で、陰陽道をよくする陰陽師の家であった。なお、妻師岡千代子の父は幕末の尊王攘夷運動で活躍し、足利三代木像梟首事件の首謀者とされている国学者の師岡正胤である。

幸徳事件とは、大逆事件の一つ。一般に「大逆事件」と言われる際は、この幸徳事件を指す。
明治天皇を爆裂弾で暗殺しようとした計画が発覚、この事件をきっかけに多くの社会主義者、アナキストに対して取り調べや家宅捜索が行なわれ、根絶やしにする弾圧を政府が主導し、捏造したとされる事件。戦後に関係資料が発見されて事件の全容が明らかになった。暗殺計画にいくらかでも関与・同調したとされているのは、宮下太吉、管野スガ、森近運平、新村忠雄、古河力作の5名に過ぎなかった。1910年5月25日に多数の社会主義者・無政府主義者の逮捕・検挙が始まり、1911年1月18日に死刑24名、有期刑2名の判決。1月24日に11名が、1月25日に管野スガが処刑された。
日本国憲法施行後、1960年代に復権の動きが起こり、「大逆事件の真実をあきらかにする会」を中心に、再審請求などの運動が推進された。2001年には新宮で犠牲者を顕彰する会が生まれるなど、今猶事件の検証と犠牲者の復権への運動は続いている。

幸徳井家(こうとくいけ/かでいけ)は、南都奈良を根拠地とした陰陽道を家業とする地下家の官人。安倍氏の末裔であるが、初代幸徳井友幸が賀茂氏の養子であったために、賀茂氏系とされるのが一般的である。
明徳2年(1391年)に安倍氏庶流の安倍友氏の次男として生まれた安倍友徳は、初め刑部卿兼陰陽助の賀茂定弘より陰陽道を学んでいたが、応永26年(1419年)にその養子となり「賀茂友幸」と名乗った。友幸は応永30年(1423年)10月に従五位下に叙任され、享徳2年(1454年)に従三位、寛正4年(1463年)には正三位となるが、後に奈良郊外の高畠幸村(たかはたさいわいむら)の幸徳井という地に居宅を構えて興福寺大乗院門跡尋尊に仕えた。尋尊のもとで友幸は陰陽道や暦道のことのみならず、政治顧問的な役目を果たしていたとされ、その居住地より「幸徳井」の家名を号した。文明5年(1473年)に友幸が83歳で没した後も、子の友重も尋尊に仕えてその推挙で正三位まで昇り、次の友延も従三位に昇った。以後、幸徳井家は興福寺と事実上の主従関係を結び、その力を背景に南都社寺への日時勘申を初め、陰陽師・声聞師の監督など南都に関する陰陽道・暦道に関する全てを取り仕切り、政情不安で機能停止した京都の陰陽寮に代わって幸徳井家による独自の暦(幸徳井暦)が編纂されたこともあった。

江戸時代に入って当時の安倍氏宗家の当主であった陰陽頭土御門泰重が度々の不手際による失意から辞意を表明するが、当時既に安倍氏と並ぶ陰陽道の元締とされていた賀茂氏宗家であった勘解由小路家は断絶していたため、元和4年(1618年)に幸徳井家9代目にあたる幸徳井友景が陰陽頭に任じられた。以後、友種・友傳と幸徳井家出身の陰陽頭が続くが、後に泰重がこれを後悔して幸徳井家より陰陽頭の地位を取り戻そうとした。だが、泰重が失った信頼が回復できずに土御門家は不遇の時代を迎える。

だが、寛文10年(1670年)に土御門泰福が陰陽頭の地位のみならず、全国の陰陽師・声聞師の支配権を主張して陰陽頭幸徳井友傳に相論を仕掛けたのである。友傳は興福寺の支援を受けてこれに抵抗するが、天和2年(1682年)に友傳が35歳で急死してしまう。後継者の友信は幼少であるために、土御門泰福が後任の陰陽頭に任じられ、翌年には諸国の陰陽師を支配・免許の権限が与えられて、幸徳井家が持っていた南都陰陽師の支配権も没収した。更に元禄2年(1699年)には幸徳井友信に圧力をかけて、土御門家のみを陰陽道宗家として幸徳井家はその配下となることを誓約させられた。以後、幸徳井家は代々陰陽助として土御門家の指示のもとに暦注のみを管轄した(ただし、宝暦4年(1754年)に土御門家内部の混乱から幸徳井保が陰陽頭に任命された例外がある)。ただし、土御門家といえども幸徳井家と興福寺などの南都社寺との関係に直接干渉することは出来ず、南都社寺への日時勘申などは引き続き幸徳井家が担当している。

明治維新後、歴代中公卿を6名輩出した実績を根拠に華族への取立てを請願するも、明治政府より却下されている。なお、明治の社会主義者・幸徳秋水は幸徳井家の傍流の子孫とする説がある。

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<中国>習副主席、日中関係改善に意欲 公明代表と会談

 【北京・成沢健一】中国を訪問している公明党の山口那津男代表は15日、北京の人民大会堂で中国の習近平国家副主席と会談した。習氏が10月に党中央軍事委員会副主席に就任し、胡錦濤国家主席の後継者に内定してから日本の政党幹部と会談するのは初めて。習氏は「中国は日本をライバルではなくパートナーとみなしている。中国は覇権を求めない」と語り、関係改善に向けて政党間や民間の交流を活発化させることの重要性を強調した。(毎日新聞)
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・ [映像ニュース]中国・習近平国家副主席、公明・山口代表と会談 日中関係修復への意欲示す - フジテレビ系(FNN)(12月16日)
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