ksfactory kumiのブログ

湘南平塚をホームに活動している、ボディ・エネルギーワークの山田久美子のブログです。
ぼちぼち更新(^^)お願いします!

2020.9.16 東京《祐天寺》へ。

2020年10月02日 | 仏様
今晩は、久美子です。
今日も観に来てくださって、ありがとうございます😊

10月もスタートとなりましたね!
2020年も後2ヶ月😱❗️
頑張って参りましょう〜❗️

さて、先月の事。(^◇^;)
りょうこさんと東京の《祐天寺》に行って来ました。

というのも、その前に伺った《護国寺》で見つけた、桂昌院さんが主役の漫画のチラシでした。



桂昌院様が頼りにしていた『祐天上人』の高弟が祐天上人の遺言で念仏の道場として作ったお寺。
開基は祐天上人となっています。

《祐天上人》は元々、12歳で芝増上寺に入門。
お師匠につくも、経文が覚えられず破門されてしまう。
自殺を試みるも助けられて、成田山新勝寺で修行をし、修行中に不動明王から智慧を授かり、浄土宗の大僧正にまでなりました。
江戸幕府の中枢《桂昌院様》や《徳川綱吉公》の覚えもめでたく、頼りにされていた様で、今で言う、『エクソシスト』(悪霊払い)のお役目をしていた様です。

そして、祐天上人の墓所もこのお寺の敷地内にあります。

《祐天上人》の逸話は色々ありますが、有名な物は『累』(かさね)の話し。
歌舞伎の『累ヶ淵』の元になったお話です。


累(かさね)の物語

〜下総の岡田郡羽生村に百姓で与右衛門という男がいました。
後妻に入ったお杉は助という醜い顔の連れ子がいましたが
与右衛門は助が嫌いで邪魔になり
川へ投げ捨て殺してしまいました。

時は経ち、与右衛門とお杉は子供をもうけ累(るい)という名を付けました
しかし累(るい)は助とそっくりだったことから
村人たちは祟りだと恐れその子を「るい」とは呼ばずに“助”と重ねて「かさね」と呼んだそうです。

累は両親をたて続けに亡くし独りになってしまいました...
谷五郎という病人を看病している内に好かれ
嫁に入るも醜い顔の累が段々と疎ましくなり
谷五郎は川へ累を突き落として殺してしまったそうです。

谷五郎はその後も何人も嫁を貰うが次から次へと亡くし
6人目の嫁との間にやっと子供を授かることが出来ました
この子供は菊と名付け大切に育てられたそうです
ところが累の怨霊が乗り移り菊は狂ったように暴れ回りました。

この話しを聞き付けた祐天上人は怨霊と対峙し
累の霊を成仏させたといわれています。〜
《ネットからお借りしました🙇‍♀️》

こう書くとおどろおどろしい感じになりますが、
驚く程軽い感覚でした。
側ではママ友さん達が楽しそうにお喋りしていました。

祐天寺の本堂には、

『大慈悲』の額。
仏教用語ですね。

画像はネットからお借りしました。🙇‍♀️

《人は人でしか救われない》。
りょうこさんに降ろされたメッセージ。

伺った直後にブログを書き始めたのですが、どうしても書けない😱
何度書きなおしても、途中で止まってしまっていました。

でも何故か今朝《祐天寺》の事を書かなきゃ❗️
と(^◇^;)

まだまだ、奥が深く理解は充分では無いのだけれど、こうして、少し書く事が出来たと言う事は、少しは腑に落ちのかな?

実はまだまだ書いて居ない寺社がありますので、ポツポツ書いて行きますね!