2015年4月25日(土)から5月2日(土)まで、44年ぶりに釜山・慶州を訪れ、当時行った場所がどのような所だったのか、どのように変わったか確かめた。インターネットで予約した慶州のゲストハウスに3泊、釜山海雲台のゲストハウスに2泊、往復のフェリーにそれぞれ1泊した7泊8日のバックパッカー in 釜山・慶州。
必需品は、パスポートと日本円。44年前に必要だったビザ・ドル・イエローカードは不要。往復10,080円(学割で7,000円)だったフェリーの2等船賃は17,100円と、4倍以上になったJR運賃(広島・山口間 640円⇒2,640円)に比べ、割安だ。
広島より10年は遅れていると思った釜山は、50階以上の超高層ビルが25棟あり、107階と101階のビルを建設中で、広島より遥かに進んだ近代的な都市に変貌していた。
竜頭山(ヨンドンサン)山頂の土産物店で、壁に展示された1970年代の釜山港周辺の写真を見つけた。左側の正面にスロープがある建物が釜山駅で、当時このスロープで写真に写った。右側がフェリーの桟橋で、手前の禿山が竜頭山(ヨンドンサン)。
釜山駅前は、当時殺風景だったが、オブジェと噴水がある都会的な公園になっていた。
釜山駅裏の釜山港湾整備工事の仮囲いの鋼板に、1990年代ころの釜山駅の写真が張り付けてあった。スロープを撤去し、駅前広場を縮小し、ガラス張りの新棟を建設する大規模な増築工事が行われ、2004年に新駅舎になっていた。
竜頭山からは、公園の木々とロッテモールなどのビルに遮られ、釜山港を見ることが出来なかった。ロッテモールの屋上から漸く釜山港と釜山大橋を眺めることが出来た。振り返ると、ビルに囲まれた竜頭山公園が見えた。
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