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9/12-1 : 秋の風

2008年09月12日 23時35分01秒 | Marines08R-Season
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今日は昼間だいぶ暑かったですが、夜になると過ごしやすくなりました。

ただプロ野球となると、秋風がやってくるとともに、チームや球界から離れなければならなくなる季節でもあります。
それはどの球団でも必ずあること。 ドラフト候補の名前がより具体的になればなるほど、哀しい秋も近づいてきたということ。 もちろん、マリーンズも例外ではない。




去年は、9月にジョニー黒木の戦力外通告で(私は「やっぱりね・・・」だったが)衝撃が走り、10月には藤田で賛否両論、喧々囂々とあちこちのブログやコメント欄で論議された。

でも、私は一昨年(2006年)の方が何故か印象に残っている。 それは二人の選手の戦力外通告について。
恐らくこれまでの社会人人生の中でもっとも忙しかった年だったので、テレビで試合を見るどころではなく、せいぜい新聞で結果見るくらいだったはずなのに、何故か印象に残っている。




一人は、寺本四郎。
所謂「松坂世代」で、明徳義塾時代に松坂と甲子園で投げ合った。 1998年ドラフト4位指名。 投手で入団し、入団1年目から1軍登板の機会を得て、3年間で20試合を投げたが結局芽が出ず、2002年に野手に転向。 2003年にはプロ初安打、かつ、結果的に最後のヒットを放つ。
2006年にたった1度だけ観にいった浦和での試合で、やたら観客から声を掛けられていたのを覚えている。 
この年の8月に一軍登録があった。 ボビーがよくやる手法だが、一軍登録即日スタメン、だった。 だが、寺本は結果を全く出せず4打数ノーヒット。 そして翌日には登録抹消。
その後再び一軍に呼ばれる事はなく、10月に戦力外通告。

もう一人は、喜多隆志。
智辯和歌山時代は春・準優勝、夏・優勝を経験し、慶應大学時代にはいまだに破られていない東京六大学野球シーズン最高打.535を残して、2001年ドラフト1位指名で入団。
公式戦初安打がサヨナラ安打、そして次の試合もサヨナラ安打を放つという、新人では初(プロでは8人いるらしい)の2試合連続サヨナラ安打という偉業を成し遂げた。
しかし、2004年ボビーが監督就任後、一度も1軍には上がることはなかった。 2006年は特に象徴的だった。 この年、チームは早い段階で負けが増え、借金生活で優勝どころかCS争いからも脱落。 そういう事情もあったのか、投手・野手とも次々と1軍で「試験」の場は与えられた。 先ほどの述べた寺本もそのうちの一人。
でも、喜多は呼ばれることはなかった。 正確に言えば、この年「外野手登録選手」の中で1軍登録がなかったのは喜多だけだった。 
そして10月、戦力外通告。


先ほども書いたように、私はこの年はこれまでの人生の中で最も仕事で忙しかった年であったので、浦和には一度だけしか観に行く時間(というか余裕)がなかった。 だからこの2選手に特別な思い入れがあるわけではない。 でも、二人の処遇は非常に気になった。



同じ日に戦力外通告を受けた二人。
二人ともこの年に引退することになるのだが、寺本はすぐに引退決断して故郷に戻った。 もしかしたら、8月に1軍で出場した際に、自分の限界を自覚したのかもしれない。 今は焼き鳥屋(スポーツバー?)を経営しているらしい。 
喜多は、1度目のトライアウトまでは受験した。 だが、2度目のトライアウト前に引退を決意し、新たな夢へと進んだ。 高校野球の監督になる夢へと。

1度だけチャンスをもらえた者は野球から離れ、1度もチャンスを得られなかった者は違った形で野球にかかわることを決めた。




今年は分割ドラフトではなく、一本化され10月30日に開催される。 すくなくとも5人くらいの選手が指名されるでしょう。 
そして、ほぼ同数の選手が、その約1か月前に戦力外通告を受けることになる。 ごくごく一部の一流選手以外には、プロ野球の世界に飛び込んだ限りは必ず起こる人生の転機のとき。


一般社会とは違う別れの季節。 そして新たな人生が始まる時がやってくる。






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