さて、私自身の待望のコカコーラのお手伝いの最終日を無事に事故も無く終わりました。 これも郡山市民の若者・お年寄り・あらゆる職業人のこの上も無い超強力なご指導?の賜物・・ジョークですよ!!
むしろ、真剣に反省したほうがいいですよ・・・ヒントは無数にあげていたので、もちろんもうあげません。これは、全国・世界中の皆さんにも同じですのでご安心ください。
マタイによる福音書4章続き
ガリラヤで伝導を始める
イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
異邦人のガリラヤ、
暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
****さて、長い間にいろいろな説教を聞き、いろいろ深く考えたが、なぜかプロテスタントの牧師は、その名のとおり(反抗するものたちの意)教皇や聖母マリアさまへの反発・反抗的な言葉を入れることもしばしばある。そして、当然のことながらユダヤ人・イスラエル人も同様にやりだまに上がる・・・ブッシュさんは、ユダヤ・イスラエル寄りになりがちのようですが、ある程度は正しいのかもしれない。しかし、基本的に聖書と言うものは、プロテスタント神学のように、神の言葉と言ってもいいのだが、細切れにして、切れ切れで、単純に従ったり、参考にするものなのではなく、何度も書きますが、ひとつの主題によって、書かれていることを基本に念頭において、真剣に考えることによって、ようやく何らかの答え?を導ける、そして、修正もいつも考え反省しなければいけない・・・そこに日本人の甘えが大きく問題になるのだが、・・・つまり、正しく修正しようとする信仰者・預言者を逆手にとって、自分の優位・年下でも年長者としての主張をする・切れ切れで、薄っぺらなうちにでも学問的に優位を主張しがちである。これは、日本人として、ヨーロッパ、北米の神父の差別と不正に耐えながらがんばった末に、日本人の大きな不正と裏切りに苦しんだ私だからわかるのだ。だからもう二度と他人を助けるなどと言う愚かな事は言わない。倒れた人に、手を差し出すぐらいの当然のマナーは別として。
********
では、恒例の日本人としての身勝手な比較文化として、昭和天皇陛下の歴史教科書(講談社版から)の写本
第三章 神武天皇の続き
二 東行
ワカミケヌノ命はご自身で三種の神器をささげもち、皇族やおおぜいの臣下をひきいて日向をたたれました。アメノコヤネノ命の子孫アメノタネコノ命やアメノオシヒノ命の子孫ミチノオミノ命らも兵をひきいて従いました。
豊の国と伊予の国との間の速吸の瀬戸では、クニツカミウズ彦がワカミケヌノ命の船団を出迎え、案内しました。豊の国の宇佐では、クニツカミウサツ彦・ウサツ姫が出迎えました。これより今の馬関海峡(関門海峡)をすぎ、いったん玄界灘にでて筑紫のオカノ湊につかれました。
ここからふたたび馬関海峡をへて、瀬戸内海に入って東へ航行し、安芸のタギリノ宮、吉備の高島の宮にしばらくとどまり、兵をやすませ食糧を補給されました。
さらに、播磨灘、明石海峡をへて難波の浦につかれました。
****もうしばらくは、この約1500年前くらいの話ですね。やっぱり新しい時代であり、イスラムといい勝負ですよね!!しかし、いのちの神が主なる神とすれば、人類みな一つです。でも、みんな兄弟姉妹、恋人同士としてしまうと、キリスト教での、神とその使える天使たちとご自分が、一人で向かい合わなければならない教えである上に、勝手な人間(あくまで自分以外のすべての人)たちの餌食になってしまいやすい状況から、きちんとしたマナーは、キリストの秘蹟を基準に成り立たせないと大変なことになって(だからマラナタと言う差別化が起こる)いつもだれもが気づかないうちに普通の人々は、それぞれ勝手にいい気分になってしまって、真実(の人)と別れ去るときには、地獄の始まりであったりします。(ありとキリギリス?イスラムも全く同じ苦しみによって戦争になっていることを忘れないようにね!!!そして日本は、その問題で?敗戦し無条件降伏していることも絶対忘れてはいけない・・洗礼を受けて一人前の働きを認められるまで・・私のようにね!)気をつけてマナーを自分なりに完成させつつ無垢な努力をお勧めします。それでも大変かもしれませんが、そこは自分で修正しつつがんばってください。*****
むしろ、真剣に反省したほうがいいですよ・・・ヒントは無数にあげていたので、もちろんもうあげません。これは、全国・世界中の皆さんにも同じですのでご安心ください。
マタイによる福音書4章続き
ガリラヤで伝導を始める
イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
異邦人のガリラヤ、
暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
****さて、長い間にいろいろな説教を聞き、いろいろ深く考えたが、なぜかプロテスタントの牧師は、その名のとおり(反抗するものたちの意)教皇や聖母マリアさまへの反発・反抗的な言葉を入れることもしばしばある。そして、当然のことながらユダヤ人・イスラエル人も同様にやりだまに上がる・・・ブッシュさんは、ユダヤ・イスラエル寄りになりがちのようですが、ある程度は正しいのかもしれない。しかし、基本的に聖書と言うものは、プロテスタント神学のように、神の言葉と言ってもいいのだが、細切れにして、切れ切れで、単純に従ったり、参考にするものなのではなく、何度も書きますが、ひとつの主題によって、書かれていることを基本に念頭において、真剣に考えることによって、ようやく何らかの答え?を導ける、そして、修正もいつも考え反省しなければいけない・・・そこに日本人の甘えが大きく問題になるのだが、・・・つまり、正しく修正しようとする信仰者・預言者を逆手にとって、自分の優位・年下でも年長者としての主張をする・切れ切れで、薄っぺらなうちにでも学問的に優位を主張しがちである。これは、日本人として、ヨーロッパ、北米の神父の差別と不正に耐えながらがんばった末に、日本人の大きな不正と裏切りに苦しんだ私だからわかるのだ。だからもう二度と他人を助けるなどと言う愚かな事は言わない。倒れた人に、手を差し出すぐらいの当然のマナーは別として。
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では、恒例の日本人としての身勝手な比較文化として、昭和天皇陛下の歴史教科書(講談社版から)の写本
第三章 神武天皇の続き
二 東行
ワカミケヌノ命はご自身で三種の神器をささげもち、皇族やおおぜいの臣下をひきいて日向をたたれました。アメノコヤネノ命の子孫アメノタネコノ命やアメノオシヒノ命の子孫ミチノオミノ命らも兵をひきいて従いました。
豊の国と伊予の国との間の速吸の瀬戸では、クニツカミウズ彦がワカミケヌノ命の船団を出迎え、案内しました。豊の国の宇佐では、クニツカミウサツ彦・ウサツ姫が出迎えました。これより今の馬関海峡(関門海峡)をすぎ、いったん玄界灘にでて筑紫のオカノ湊につかれました。
ここからふたたび馬関海峡をへて、瀬戸内海に入って東へ航行し、安芸のタギリノ宮、吉備の高島の宮にしばらくとどまり、兵をやすませ食糧を補給されました。
さらに、播磨灘、明石海峡をへて難波の浦につかれました。
****もうしばらくは、この約1500年前くらいの話ですね。やっぱり新しい時代であり、イスラムといい勝負ですよね!!しかし、いのちの神が主なる神とすれば、人類みな一つです。でも、みんな兄弟姉妹、恋人同士としてしまうと、キリスト教での、神とその使える天使たちとご自分が、一人で向かい合わなければならない教えである上に、勝手な人間(あくまで自分以外のすべての人)たちの餌食になってしまいやすい状況から、きちんとしたマナーは、キリストの秘蹟を基準に成り立たせないと大変なことになって(だからマラナタと言う差別化が起こる)いつもだれもが気づかないうちに普通の人々は、それぞれ勝手にいい気分になってしまって、真実(の人)と別れ去るときには、地獄の始まりであったりします。(ありとキリギリス?イスラムも全く同じ苦しみによって戦争になっていることを忘れないようにね!!!そして日本は、その問題で?敗戦し無条件降伏していることも絶対忘れてはいけない・・洗礼を受けて一人前の働きを認められるまで・・私のようにね!)気をつけてマナーを自分なりに完成させつつ無垢な努力をお勧めします。それでも大変かもしれませんが、そこは自分で修正しつつがんばってください。*****