神奈川県の鎌倉は、歴史上初めて誕生した、武家政権の鎌倉幕府の拠点となった場所である。
今でも当時の繁栄の歴史を垣間見る事が出来る、この原型は鎌倉幕府の初代征夷大将軍となった、源頼朝によって作られた。
その整備の際に、街の中心に据えられたのが、鶴岡八幡宮なのだ。
この八幡宮は源氏の氏神であり、幕府の守護社として鎌倉武士の精神的支えで有っただけでなく、様々な幕府の公式行事も執り行われた。
また、昭和40年代には初詣参拝数が日本一になるなど、時代を超えて庶民に愛され続けてきた。
そんな鶴岡八幡宮に2010(平成22)年3月10日、災難が降り掛かった。
前夜から吹きつけていた雪混じりの強風に耐えきれず、樹齢1000年と言われる大銀杏が根本付近から倒れてしまったのだ。
この大銀杏は「かくれ銀杏」とも呼ばれて、鎌倉幕府3代将軍の源頼朝が、大銀杏の陰に隠れていた、甥の公卿に殺された事が、名付けの由来である。
頼朝の次男である実朝が将軍になったのは、わずか12歳の時だった。
幕府の実権獲得を狙っていた北条氏が長男の頼家を修善寺に幽閉し、実朝を担ぎ上げて将軍に仕立て上げたのだ。
幽閉されて殺された父の無念を晴らそうとしたのか、公卿は26歳になった実朝の首を、この大銀杏の下で打ち落としたと伝えられている。
根本付近から倒れた大銀杏は、当初回復不可能と言われていたが、移植された明くる春には、古木の幹から鮮やかな新芽がふき、東日本大震災で沈んでいた多くの日本人の心を癒してくれたのだ。