A collection of epigrams by 君塚正太

 君塚正太と申します。小説家、哲学者をしています。昨秋に刊行されました。本の題名は、「竜の小太郎 第一話」です。

病人の扱い方1

2007年02月15日 09時50分06秒 | 精神医学
 まず、率直に病人の扱い方を説明したいと思う。病気には大きく分けて、身体疾患と精神疾患がある。前者はすでに外科医の領分であるために私は口を出さない事にする。私がおもに述べたいのは、後者である。精神疾患とはほとんどの場合、本人の自覚症状が無いままに進行する。これは癌と同じであるが、精神疾患の場合、その処遇がより厄介である。いきなり患者に精神疾患であると、告げてはいけない。そんな事をすれば、患者は困惑してしまう。ほとんどの患者が精神疾患である事を受け入れられない。これはまがう事ない事実である。私もそのような現場にいたことがある。患者はヒステリーに似た症状を示し、必死に自己弁護を行おうとする。しかしこれをおかしい事だと思ってはいけない。もともと人間は利己的で自分中心に物事を考える生き物である。その利己心は激しい葛藤の中で、現れてくる。ともあれ、この利己心は誰しもがもつものである。例えば、戦時における強迫神経症がある。彼はいやいやながら、戦場に向かう。だが戦争となると、意識下にあった現象が明白になる。彼は弾丸や大砲の音に過敏に反応するようになる。そして最後は狂ったようになってしまうのである。これが戦時における強迫神経症である。しかしこの病に関しては、すでに有効な精神療法が成り立っているため、そんなに悩む事はない。特殊な状況下においてのみ、発症する強迫神経症は環境による影響が大きいため、適切な治療をすれば、解消される。
次に改善できない精神異常を述べよう。精神疾患のその多くは遺伝によるものである。そして私はこれから、それらの患者の適切な治療方法を模索したいと思う。話はそれるが、ヒポクラテスの時代にも同様の精神疾患をゆうするものがいたのは彼の著述からも明らかである。その時の精神疾患は神聖病と呼ばれていた。神が天空から舞い降りた気分に対してもこの言葉は使われた。したがって精神疾患が最近のできごとではないのが分かる。そして魔女狩りの起源もそこから容易に汲み取れるのである。精神異常者を処刑し、彼らを人とみなさない。この現象は中世のヨーロッパに見られた。健全な精神、それはすばらしいものである。しかし非凡なるもの脆弱性、それを完全に取り除く事はできないのである。じかし健康とはすばらしい。ある時には精神異常者を牢獄に縛りつけ、また他の時には彼を英雄扱いをする。前者はヘルダーリンらが経験した事である。その牢獄はヘルダーリンの塔と呼ばれていた。そしてクレッチュマーこう叫んだのである。
 「聖者の述べた言葉、それは、狂気の言葉ではないだろうか?」と。

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