小関順二公式ブログ

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私の野球殿堂入りは宇佐美徹也と横山正健

2012-01-14 16:30:42 | 雑感記

 2012年、北別府学、津田恒実(ともに広島投手)が野球殿堂入りした。広島がまだ強かった80年代、2人は次のような成績を残している。

 

<北別府学>

82年 20  8敗、防御率2.43

83年 1213敗、防御率3.96

84年 13  8敗、防御率3.31

85年 16  6敗、防御率3.57

86年 18  4敗、防御率2.43

87年 1014敗、防御率4.37

88年 1112敗、防御率3.13

89年   910敗、防御率5.48

 

<津田恒実>

82年 11 6敗、防御率3.88

83年   9 3敗、防御率3.07

84年   34  1セーブ、防御率4.64

85年   23  1セーブ、防御率6.64

86年  4622セーブ、防御率2.08

87年   3418セーブ、防御率1.64

88年   5920セーブ、防御率3.86

89年 12528セーブ、防御率1.63

 

 北別府は7681年まで62勝、9094年まで42勝、通算213141敗、防御率3.67、津田は90年以降の2年間で01敗しか挙げていないので、80年代に記録した494190セーブ、防御率3.31が生涯を通じた全成績である。

 

◇スポニチ⇒まさに記憶に残る投手だった。太く短い野球人生。

◇スポーツ報知⇒記憶に残るストッパーだった津田氏が、永遠に野球殿堂に名を刻むことになった。

◇日刊スポーツ⇒元気であれば、記憶だけではなく、記録にも残る名ストッパーとして語り継がれるはずだった。

 

 以上が津田に対する代表的なスポーツ紙の賛辞である。「記憶」という言葉を強調しているのは、平凡だった通算成績を見ればおわかりいただけると思う。記録より記憶に残る名投手。言い得て妙である。両投手、おめでとうございます。

 

 ここから先は非常に個人的な話である。北別府と津田の野球殿堂入りを見て、私にとっての野球殿堂入りは誰か考えて見た。

 

■宇佐美徹也……元報知新聞記録部長、日本野球機構コミッショナー事務局・BISデータ本部初代室長

■横山正健……編集プロダクション「デポルテ」社長。

 

 スポーツ報知のWebサイト「蛭間豊章記者のBaseball inside」を読んでいたら、今回、特別表彰候補者として“記録の神様”の異名を取る宇佐美徹也さんの名前が1票あったと書かれていた(http://weblog.hochi.co.jp/hiruma/2012/01/post-96a7.html)。とにかく野球が好きな人で、酒が飲めないのに夜遅くまで居酒屋に付き合い、野球の話をしてくれたことが強く印象に残っている。

21年すい星のように現れ、戦後プロ野球復興の原動力となる本塁打ブームを巻き起こした大下弘(セネタース)の20本塁打はリーグ総本数の9.5%に当る。その後、ラビットボールの使用で本数は増えたが、それは全体的な傾向で、24年藤村富美男(阪神)の46本は5.3%、25年小鶴誠(松竹)の51本は5.5%にしかならない。(中略)これらを総合してAクラスの評価ができる本塁打王を拾ってみると、前記21年の大下に28年の中西太(西鉄)、3738年の野村克也(南海)、3941454849年の王貞治(巨人)、6061年の落合博満(ロッテ)、バース(阪神)、平成1年のブライアント(近鉄)というところが挙げられる」

『プロ野球記録大鑑』(改訂版)の文庫版『プロ野球データブック』(講談社文庫)からの引用で、大好きな箇所だ。宇佐美さんの記録分析はこういう覚めた目線から得たものが多く、感情に走らない。それでいて稲尾和久の日本記録・78試合登板(1961年)を伊藤敦規(阪神)が破ろうとしたとき、野村克也監督に「ワンポイントで最多登板なんて、やめてくれないか」と直訴するなど、熱い心を持っていた(このエピソードも蛭間氏のブログから引用した)。2009517日没、享年76

 宇佐美さんの友人で、私が勤めていた編集プロダクション「デポルテ」の社長が横山さんだ。95年に声をかけていただいて社員になり、01年までの6年間、野球本や雑誌の編集でともに汗を流した。

 横山さんの特徴は「野球」と「仕事」の境がきわめて曖昧なところだった。好きな野球を見て、好きな野球人に話を聞いて(酒を飲んで)、それでお金になればいいじゃないか、という思想の持ち主で、お金を得るために野球の仕事を考えて、大した情熱もないのに野球の仕事をする、という人間とは対極にいた。多分、「お金を得るために野球の仕事を考える」という人間の存在を考えたことがなく、そういう人間がいれば「あの人は野球が好きだ」と信じてしまう危うさがあった。

 灰田勝彦の歌『野球小僧』が好きで、牛込柳町の酒場「安さん」で飲めば必ず歌っていた。苅田久徳、千葉茂、青田昇、川上哲治という往年の名選手に話を聞けたのは横山さんのおかげだし、今も続いている『スカウティングレポート』、雑誌『ホームラン』(廣済堂など)の仕事に携われるのも横山さんのおかげだ。あれほど子どもっぽい心で、純粋に野球を好きだった人は、私の知る限りでは横山さんしかいない。

 脳梗塞の発作を2度起こして言葉を失い、好きだった酒が飲めなくなり、横山さんは昨年1125日に永眠した。今となっては「ありがとうございます」という言葉しか出てこない。享年78歳。


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