デイリースポーツは12/26、金本知憲(阪神)の背番号「6」が永久欠番になることが内定したと伝えた。まず、各球団の永久欠番を見てみよう。
◇阪神……藤村富美男「10」、村山実「11」、吉田義男「23」
◇巨人……沢村栄治「14」、黒沢俊夫「4」、川上哲治「16」、金田正一「34」、長嶋茂雄「3」、王貞治「1」
◇中日……服部受弘「10」、西沢道夫「15」
◇広島……山本浩二「8」、衣笠祥雄「3」
パ・リーグに永久欠番が1つもないことがわかる。伝統ある背番号は、その時代を象徴する選手が背負い、時代ごとのファンによって支持されるべき、という思想がありそうだが、球団の身売りが頻繁に行われてきたことも見逃せない。親会社の意向で永久欠番が失効・消滅した例がこれまでにあるのだ。
近鉄・鈴木啓示「1」、西鉄・中西太「6」、稲尾和久「24」がそうで、経営を引き継いだオリックスなり太平洋クラブが鈴木、中西、稲尾に配慮できなかったのかなあ、と私なら思う。このパ・リーグにくらべ、セ・リーグの名選手は幸せである。
阪神の背番号に話を移すと――過去に名選手がつけていた背番号(永久欠番を除く)を現在誰がつけているのか非常に気になる。その主な変遷を見ていこう。
◇「 6」景浦将→藤田平→和田豊→金本知憲
◇「 7」金田正泰→並木輝男→真弓明信→今岡誠→俊介(藤川)
◇「16」三宅秀史→上田二郎→岡田彰布→安藤優也
◇「18」若林忠志→池田親興→藪恵壹
◇「19」西村幸生→土井垣武→小林繁→中西清起→ショウ一傑
◇「22」田宮謙次郎→田淵幸一→木戸克彦→藤川球児
◇「24」遠井吾郎→桧山進次郎
◇「25」別当薫→山本和行→新井貴浩
◇「28」江夏豊→中田良弘→福原忍
◇「29」江本孟紀→井川慶→小嶋達也
◇「31」掛布雅之→林威助
◇「44」ブリーデン→バース→フィルダー→甲斐雄平
◇「47」小山正明→上園啓史→?
こうして見ると、阪神の背番号には一定の法則・秩序があることがわかる。例外はあるが選手としてのタイプ、ポジションに配慮して背番号を決めているように思えるのだ。「6」なら、初代の景浦に敬意を表するように将来の中心選手に、という願いが込められている。当然、生え抜きに用意される背番号である。
金本の広島時代の背番号は「10」。これは藤村の永久欠番でつけられないので、阪神では移籍選手に多い「8」が用意されるのが当然だが、吟味すれば「8」はあまり活躍していない。それならば、阪神では縁起がいい「6」を用意して、過去10年連続Bクラスに沈んでいるチームの惨状を救ってほしい、そんなメッセージが「6」には込められていたと思う。その期待に金本は十分応えてきた。
[註]背番号「8」……山内一弘(64~67年)、田尾安志(87~91年)、本西厚博(98年)、佐々木誠(99~00年)、片岡篤史(02~06年)
ここで広島時代の11年間と、阪神に移籍してからの9年間の成績を比較する。
◇広島時代(92~02年)の通算成績
打率.287、安打1179、本塁打244、打点708、盗塁123
◇阪神時代(03~11年)の通算成績
打率.285、安打1268、本塁打226、打点783、盗塁41
24~34歳の広島時代より、35~43歳の阪神時代のほうが成績がいいことに驚く。この金本の勢いに後押しされるように、それまでBクラスを低迷していたチームが移籍1年目の03年にリーグ優勝を果たし、それ以降もBクラスはわずか2回、05年のリーグ優勝をはじめAクラスの常連チームに変貌した。これらの活躍を振り返れば、金本の「6」が永久欠番になるのは当然だと私は思う。