昨晩のフォルダとファイルのメタファーに続いて。最近は、どこが婚活ブログなんだと自分でも思うけど。
デスクトップ=机の上と、ウィンドウ=窓。どうなんだろうって思う。
コンピュータが簡単に使えない時代なら、ディスプレイが「机の上」で、その上に「文書」のファイルがある、文書ファイルにマウスカーソル(指先)を合わせてクリックすると、その文書が開く。ディスプレイが小さいから全体を表示できない。だから覗き込む「窓」があり、上下と左右にスクロールバーがある、というメタファー。このメタファーは、どれだけの間、変わっていないんだろうかと思う。スティーブ・ジョブズですら、メタファーを変えようと思わなかった(操作性は変えたけれど)。
しかも文書ファイルには、Microsoft Officeのアイコンがついている。クリックすると、Microsoft WordやMicrosoft Excelが立ち上がる。ワープロソフトや表計算ソフトを使うことがオフィスワーク=仕事をすることになってしまっている。生産性が高い=Microsoft Officeをうまく使える、という何だか変なことになってしまっている。誰も、そう思わないのかなぁ。まあ、思ったとしても、ないと困るぐらいに当たり前になっているんだけど。
しかも、表計算ソフトのはずなのに、議事録... 計算式がいっさいなしの表... 何だか変(日本だけらしいけど)。
もうそろそろ、このメタファーから解放されたい。コンピュータを、もっと「知的生産の道具」にしたい。
スマートフォンのアプリは、このメタファーからは解放されたといえるかも。でも、アプリを立ち上げないと中身はみれないし、アプリからアプリにデータを持ち運ぶこともできない。アプリごとにバラバラじゃあ、むしろ後退したともいえるかもしれない。スマートフォンを使って生産性を一気に向上させた人って、あまりいないんじゃないかな。どこでもすぐに検索できる便利さを享受している人たちは多いけど。
それでは、クラウドはどうか。こちらのほうがアプリよりは一歩先に進んだといえるかも。まだ、デスクトップとウィンドウ、フォルダとファイルのメタファーからは完全に解放されてはいないかな。クラウド上に「保存」される「文書ファイル」にタグをつけられるのは便利だけど、「タグ」もデスクトップと文書ファイルがあるから成り立つメタファー、フォルダに代わる(同レベルの)メタファーなんだよね。
どうすれば、このメタファーから解放されるのかわからない。あまりに馴染んだ発想を切り替えるのは、それだけ難しいということなんだろうなぁ。
デスクトップ=机の上と、ウィンドウ=窓。どうなんだろうって思う。
コンピュータが簡単に使えない時代なら、ディスプレイが「机の上」で、その上に「文書」のファイルがある、文書ファイルにマウスカーソル(指先)を合わせてクリックすると、その文書が開く。ディスプレイが小さいから全体を表示できない。だから覗き込む「窓」があり、上下と左右にスクロールバーがある、というメタファー。このメタファーは、どれだけの間、変わっていないんだろうかと思う。スティーブ・ジョブズですら、メタファーを変えようと思わなかった(操作性は変えたけれど)。
しかも文書ファイルには、Microsoft Officeのアイコンがついている。クリックすると、Microsoft WordやMicrosoft Excelが立ち上がる。ワープロソフトや表計算ソフトを使うことがオフィスワーク=仕事をすることになってしまっている。生産性が高い=Microsoft Officeをうまく使える、という何だか変なことになってしまっている。誰も、そう思わないのかなぁ。まあ、思ったとしても、ないと困るぐらいに当たり前になっているんだけど。
しかも、表計算ソフトのはずなのに、議事録... 計算式がいっさいなしの表... 何だか変(日本だけらしいけど)。
もうそろそろ、このメタファーから解放されたい。コンピュータを、もっと「知的生産の道具」にしたい。
スマートフォンのアプリは、このメタファーからは解放されたといえるかも。でも、アプリを立ち上げないと中身はみれないし、アプリからアプリにデータを持ち運ぶこともできない。アプリごとにバラバラじゃあ、むしろ後退したともいえるかもしれない。スマートフォンを使って生産性を一気に向上させた人って、あまりいないんじゃないかな。どこでもすぐに検索できる便利さを享受している人たちは多いけど。
それでは、クラウドはどうか。こちらのほうがアプリよりは一歩先に進んだといえるかも。まだ、デスクトップとウィンドウ、フォルダとファイルのメタファーからは完全に解放されてはいないかな。クラウド上に「保存」される「文書ファイル」にタグをつけられるのは便利だけど、「タグ」もデスクトップと文書ファイルがあるから成り立つメタファー、フォルダに代わる(同レベルの)メタファーなんだよね。
どうすれば、このメタファーから解放されるのかわからない。あまりに馴染んだ発想を切り替えるのは、それだけ難しいということなんだろうなぁ。