金剛山四季の花

金剛山(1125㍍)で撮影しました、四季折々の山野草を中心に
登山、催し、花など、宝石箱のような忍者のブログです。

幻に終わった五新鉄道②

2023年01月28日 12時26分32秒 | 金剛山ぶら~り花散歩!

幻の五新鉄道の2回目です。
五新鉄道はどうなったのでし
ょうか?

戦争で中断していた工事は、
戦後の昭和29年1月から再
開されました。

線路を敷くための路盤跡。生
子(おぶす)付近で。

現在は立ち入りが禁止の
「生子トンネル」

昭和34年までには、西吉野
村城戸まで路盤が完成。

昭和35年に入ると当時の国
鉄が、採算面で疑問を持ち
始め、バス路線に方向転換
を表明。再び工事が中断。
地元でも鉄道か、バスかで
対立。近鉄、南海なども乗
り入れを表明、混迷します。

結局、工事は続け、完成後
に鉄道に切り替えると言う
案で決着。昭和40年、五條
~西吉野村城戸間の国鉄
バスによる運
行を開始。42年
から鉄道工事
も再開されます。

ところが、、、、
昭和54年建設予算が凍結。
昭和57年には国鉄再建法
施行で、
全面凍結に。
そして昭和62年、国
鉄民営
化(JR西日本)で、五新鉄
道建設は廃止が決定。
多くの人達の夢と期待を乗
せた五新鉄道は、幻と消え
てしまいました。


国鉄バスの運行も(のち西
日本JRバス)周辺の道路が
整備され、生活環境も変わ
り乗客が減少。平成14年に
撤退してしまいます。

奈良交通が自治体の委託を
受け、運行を続け
ましたが、
さらに乗客が減り、トンネル
の状況悪化などで、平成26
年、バスの運行も幕を閉じま
す。(生子バス停跡)


さび付いた国鉄バス専用道
標識。

実際に使っていた当時のバ
ス時刻表。運転手さん用だ
そうです。


賀名生(あのう)バス停跡

国鉄バス時代の観光案内板

賀名生は、南朝時代の皇居
跡が残る、歴史的な所。その
すぐ側を、五新鉄道の路盤
が走っています。
(左の茅葺き屋根が皇居跡)


賀名生皇居跡の茅葺き門 

皇居の扁額。皇居の文字は
天誅組・吉村寅太郎が書い
たと、伝えられています。


バスの乗車券類





鉄道工事起工式記念で配布
された、陶芸家・松田正伯の
「梅型菓子器」など。

鉄道計画は中止になりまし
たが、夢の名残が各所で見
られます。足を運んでみよう
と思われる方は、立入禁止
やトンネル、橋脚が傷んで
いたりしますので、気を付け
て下さい。


(五條市立民俗資料館、ま
ちなみ伝承館のスタッフの
皆様、お世話になりました)






















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