■こならの森50号■1992.6発行
C・o・n・t・e・n・t・s
3… 結婚=坂上さん夫妻
4…9 特集「50号」
10-13世界の料理 「スリランカ」
14-15p情報コーナー
16…モータースポーツ
17…青春の断想・きれい瞬間
18…映画情報/本10
19…書評・絵本紹介
20-21情報
22…カラムコラム・街角の肖像
23 オープン「絵夢」
ミステリーワールド
24-26=インタビュー「京谷博次さん」
27-29p=MTBツーリングレポート
30…こならの森から~
31…協賛店MAP
【本文抜粋記事】
こならの森50号の思い出
なんとなく本人も気がつかないうちに50号となってしまった。そこで今回は、その50冊の軌跡を追ってみたい。
1 記念すべき創刊号。
とにかく何がなんだが分からないうちに、始まった手探り状態のタウン誌づくり。キリがいいところで4月創刊、と思って来たのだが、慣れない状況下で遅れに遅れ、5月創刊ということに………。表紙は、ヘアータイムMの看板娘だった、飯塚さん。創刊号にもかかわらず、地味な色使いだった。
2 モノトーンの渋さを表したかったのだが、またしても地味な表紙となってしまった。表紙にご登場願ったのは、この月の特集「結婚について考える」にふさわしい、結婚式の記念すべき写真。
この当時から、いまの国際化を見越した各国語講座とも言うべき、タイ語-日本語-英語教室は、今でも好評を博している。
3 今までのイメージを一新、表紙の色使いも斬新?。各地方紙に紹介されたこともあってか、売上も急上昇かな。
4 この時表紙に登場願った、未婚女性3名は、こならの森発刊後にすぐに結婚がきまってしまったた。このころから、こならの森に登場すると、すぐに結婚が決まるというジンクスが読者の中で、ささやかれるようになった、とか。
5 少々疲れも出て来たのか、夏バテなのか、内容があまりなかっなと反省。だが、浴衣美人はこならの森が一番だと、評価をもらう。
6 ちょっと硬めに、国際交流を研究。しかし、突っ込みが甘かったのか、他紙の特集の素地(アイディア提供)にしかならなかったようだ。
7 エアロビックスのいきいきした女性を、表紙に載せたのだが、回りの評判は今一だったように思う。そのためか、内容もイマイチだった。しかし、今葛生でも話題の、産業廃棄物処理場問題に鋭いメスを入れた硬派の記事は、社会派「こならの森」を印象づけた。が、以来売上は愕然と落ち込んでしまう。
8 佐野市内のパーティ、新年会情報は、時節を反映し、それなりの反響を得る。
9 新年ということもあり、表紙のデザインを変えてみる。また、ちょっと見ただけでは分からないが、表紙の写真もモノクロのダブルトーンから、二色分解となり、色の幅が広がった。内容も、当時盛んに開催された「食」をテーマとした博覧会をモチーフに、下野の食を考えてみた。また、今回から、ヒストリートリップと題して、田中正造の軌跡をこならの森流に追ってみた。新シリーズとしては地域の有名・無名を問わず芸術家を紹介する「若き芸術家の世界」企画がスタートする。
10 二十歳のポートレートと題して成人式を特集。しかし、それが今の議論の下地になっていたとは全く思ってもいなかった。
11 当時話題となっていた、二カ国語を話すバイリンガールを特集。田中正造の連載もあちこちで、評価を得る。
12 今月の特集はバイリンガールの2回目。そのためか、読者の関心も今一つだったように思う。内容は、佳境に迫り円熟味を帯びたのだったが、世界各地のトイレの話題が内容に会わなかったのか、売上も今一つ伸びず。
13 1周年記念号。今号より、表紙も2色分解とし、版形も一回り大きくする。表紙も紙質も多少よくした。若き芸術家は田沼町の尾花さん。看板娘の誌上コンテストも開催した。
14 葛生の工業山神祭の花火のアップ写真をあしらった、大胆な表紙。特集は、お見合いについてだった。また、芭蕉が奥の細道に旅立って三〇〇年という事もあって、「芭蕉・もうひとつの細道」と題して、佐野市内に残る芭蕉の句碑を追ってみた。
15 今回から、新たなシリーズとして、地域社会を考えると題して、佐野の著名人にインタビューを試みる。第一回は、佐野商工会議所専務理事である小林正作さん。いらい、各界の代表者にインタビューをし、好評シリーズとなる。
16 輝けるベストセラーともなった、安佐の滝を見に行くという特集。大変な取材の苦労が実を結んだ記念すべき作品。だが、これに味を占め同じような企画を何回か試みて読者にそっぽを向かれてしまう、という苦い失敗も経験した教訓とも言うべき号だった。
17 表紙は、2色刷りの傑作とも言える作品。いまだかって、2色印刷でこれだけきれいな印刷を見たことがないと思えるほどの出来栄え。だれもが、4色刷だと思って信じて疑わなかった。それにも、まして、いい特集内容。題して「ネーミング文化論」。
18 こうした、いい作品ができた後は、スランプが襲ってくるもので、今号の内容は悲惨の一言、そのためが売上も散々だった、と記憶する。
19 今回の特集は、その後、長期の連載になるとは思いもよらなかった、その当時としてはブームに乗りかけていた、MTB(マウンテン・バイク)による峠道の走破記録で、記念すべき第一回「塩坂峠をゆく」だった。
20 こなら語録は、地域社会を考える総集編だった。
表紙は鈍い西日がちょうど斜めに差し込んだときの、影澤医院。
21 今号は、記念すべき九〇年代に突入する年。そこで、老若男女90人(日)、90年を語ってもらった。ミニ特集は、地域社会を考える新春スペシャル。
22 90年代は健康の時代。そこで健康対談を企画した。ミニ特集は、世紀末を考えると題して環境問題等をあつかう。
23 地域社会というものを安佐地区の飲食業界の代表者10名の方からうかがった。若き芸術家の世界第6回は、スピンナーの山崎任一さん。
24 こならの森が総力を結集して編集した、渡良瀬遊水池の特集。JICC出版発行の「田舎暮らしの本」にも掲載され、日本全国からの反響があっが、開発の波を止めるというところまではいかなかった。
25 一冊全部「みかも山」とも言うべき特集。編集者自身があらためて、その自然のすばらしさに感嘆する。
26 身近かな自然探究シリーズその2。唐沢山。またしても、驚かされることばかりだったが、みかも山の後だったのかイマイチ盛り上がらなかった。地域社会を考えるは、和光産業代表取締役山野井武夫さん。
27 佐野市の駅南にスポットをあてたQ&Aを企画して見た。表紙は、相生町の石川薬局前にある、アジサイの花ごしに見た、旧50号の風景。苦労して場所を探した割りには、出来栄えはまあまあといったところ。
28 表紙はブルーを基調とした、佐野藤岡インターチェンジの夜景を、三毳山山頂から撮影。また、特集も安佐地区の名勝風景を編集した労作だったが、一般読者の目はシビアだった………残念。また機会があれば、特集したい。
29 雑誌の特集企画というのは、何が当たるのか分からないものだと、つくづく思い知らされた一冊。もちろん手を抜いて取材した訳ではなく、きちんとしたものに仕上がったと思っていたが、予想していたより多くの反響があり、ベスト10でも8位にランクされた。佐野にはまだまだ再発見すべきところがたくさんあることを痛感するし、それにスポットライトをあてて欲しいと望む人が多い事に気づかされた。
30 今回から、新シリーズとして町案内をスタートさせる。記念すべき第一回。前々から思っていた、町中の「巨大迷路」。まちそのものが、迷路だという人もいるが、この一角はまさしく迷路そのものだった。もっと反響があってもよかったと思ったが、メインの特集が、暗い、ク・サ・イ、(もちろん「クサイ」は「臭い」の意味ではない)カッコ悪いの(本来なら3Kというより30K、つまり小汚い、感心ない、関係ない、金だけ出す、感じない、寄付だけ取る、勝手にやってる、ケッタルイ、健康的でない、感心は示すが全くその実情をしらず何もしない………などおよそ、一般社会生活を送る人間によっては関係ない社会のできごとなのだ)3Kを代表する「ボランティア(社会性イコール人間性)」だったために不発に終わった。だから、ぜひとももう一度取り上げて見たい企画といえる。
31 表紙が、前号に引き続き、今号も同じような色使いだったためか、どうも暗いイメージを引きずってしまったようだ。しかし、走ってマイタウンというタイトルは受けると思ったのだが………。
32 古代史の宝庫「赤見町」にスポットをあて、古墳群を中心にレポートしてみた、歴史探検企画。新しい発見はなかったが、赤見町そのものを再認識した。
33 渡良瀬遊水池の自然を特集してから、一年あまり。だが、その間に関東の@釧路湿原@といわれた、この遊水池は大きく変貌した。建設省関東地方建設局利根川上流工事事務所の電話取材を含め、多大な編集努力の末発行にこぎつけたもの。もっと、身近にある大自然を自分の目で見つめて欲しいと、願った。
34 一般読者にはまだ、あまりなじみがないようだが、車社会からの脱却を少なからずも暗示したエコロジカルなマウンテン・バイクツーリングは今になって徐々に市民権を得て来たようだ。
35 もうひとつの散歩道と題して企画した、ミニ・再発見の旅。その町内に住んでいる人からさえも、ここは「いったいどこなんですか?」と質問を受けたほどの、傑作。
36 安佐とその近辺の、有名な
「木」を見つめてみた。そうすることによって、見えてくるものはこの地方の自然とのかかわりや、歴史の重みというものだった。
また、エコロジストでありネイチャリストでもある慶応大学の物理学者、藤田祐幸さんの、佐野市城北地区公民館における講演録も見逃せない企画だった。
37 「こならの森のここが嫌い」と、題打って特集したが、その企画そのものが、ダメ。と、言われてしまっった50号中最大の、駄作。言い訳が許されるならば、「ここ十年来ひいたこともない悪性の風邪に蝕まれ、月のうち半分は編集に裂けなかったというこの状況を分かってください。」とのこと。
38 今ほど、「埋蔵金」なるものが脚光を浴びなかったころの、宝探し企画。数々の確証を得ながらも、宝を掘りあてるまで行かなかった、継続審議中の企画。しかしながら、宝があるならば間違いなくここだという@まと@えており、今後が楽しみな企画の一つだ。
39 編集者本人が多大な力を入れても、その真意をくみ取ってもらえないということは大いにあるもので、この企画もその一つのようだった。
40 佐野のここがだめは、あちこちで反響をえた。善良な佐野市民にとっては耐え難い暴言だったに違いない。
本特集の双体道祖神を巡る旅は、なかなか好評だった。
41 近年まれにみる、低評価の特集。他の、企画もその影響を受けたのか受難のものになったようで、残念だった。表紙は、今は亡き三毳山に所狭しと咲き乱れるコスモスの花。
42 今回は、まちおこしと、町で見かけた不思議なことの二本立て企画。しかし、どれも的を射なかったのか、思ったよりも反響は無かった。
43 前回の無反響をあざ笑うかのように巻き起こった、田中正造旋風。この月の3日が、田中正造の誕生日である事もあってか、今までに無い反響があった。
44 亡国の構図の投げかけた波紋。町中の不思議。MTBツーリング・飛駒をゆく。と、ジャブを決めたが、これと言った決め手がなかったのか、相対的には不評に終わる。
45 女性問題を取り上げた、今までにない特集で、それなりの反響を期待したが、皆無だった。その辺は、編集努力が足りなかったのかも、と思えるが、同時にこの地域の関心度というものもうかがえた。
46 今号から加わった新シリーズ、世界の料理。国際化を背景に、それなりの評価を得る。若き芸術家の世界は、栃本の福田学さん。
47 今話題の、徳川埋蔵金にこならの森流の解釈を加えた企画。この後も、幾多かの波紋をえ、企画はまだまだ続く。
48 現代若者の意識は一体どこに。栃木県の青年意識調査にみる、青年あるいは青春の実像にせまる。世界の料理は、北アフリカ・チュニジアの料理を紹介。
49 「佐野発・ミニテレビ局」と題して、佐野ケーブルテレビを特集。これからの、メディアの中心的存在になると、期待され最も注目を受けているケーブルテレビを徹底取材。その実像に迫る。
50 祝 創刊50号
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