■こならの森88号■1995.8発行
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森9月号■
おぞねとしこのポエム…ほおずき………3p
その他の情報…/猫バス……4p
知らんの5つの市/ディスク=…5p
海棠市子の映画評……………6p
書評・絵本紹介………………7p
創作童話 第4回………8p
結婚しました…平塚鉄也さん&優子さん…95/7/23
JC・JOURNAL………………10-11p
公園探偵団………12-17p
インタビュー……丸山…18-21
インフォメーション9………22-25p
現代国語/カクテル………26p
杜 @皇が占う今月の運勢…………27
協賛店マップ………28-29p
新・こならの森から…………………30p
■■■■■■■■■■■
【本文抜粋記事】
インタビュー
須藤敏夫さん
■PROFILE:1954年、葛生生まれ。
趣味は碁と将棋、ボーリング。座右の銘は、『三歳の童も導師なり』『窮鼠猫を噛む』の二つという。
@高校中退者は年間10万人を越えている
高校中退者に対して相談するところというと教育相談所とか自分の出身校の先生とかになりますが、出身校の先生というのははっきり言って相談に乗りません。現実に、卒業生が過ぎ去って3年4年経ちますとその子自体が何を考えているか分かりません。本当は本人は何かしたいということは分かっている、自分で決めているはずなんだけれど、最終的な決断が今一歩踏み出せない。それは、仲間がいないからで、仲間がいないということは指導者がいないということです。
この二つだけで決まってしまっている。小学校、中学校までは、仲間もいたし先生もいた。ですが中退すれば、その先は自分の責任です。そのことが誰にも伝わらないはがゆさがある。
すべての答えはどこにあるかと言えば、それは本人にある。特に子どもの場合は、はじめに答えが出ている。その念を押すんです。先生など第三者に念を押して、同じ答えを求める。例えば、高校へいきたいのに全部落こってしまった。でも本人は「高校へいきたいんだ」、ということを言いません。しゃくにさわるから、俺は「就職してもいいんだ」と言う。就職してもいいんだということは高校へ行きたいということですから、それを読み取ることです。こいつは本当は高校へ行きたいんだなと。「おまえは本当は答えが出ているんだろう」、そういってやると、素直に『うん』といっちゃう。ここなんです問題は、そのために何とか高校へいけるようしてあげる。
今までの僕だったら自分で考えろといいましたが今度は大検を始めましたから、自分で考えろとは言えない。ですからその結論に乗ってあげる、しかし、それが悪さをしたいとかそういう結論では困ってしまいます。でもたいていちゃんとした答えは出している。それに念を押した、我々の答えを待っている訳ですね。
@正直な子を救えない
今はいいですよね公的機関を利用したカウンセリングコーナーができていて、昔は無かったですからね。昔でも今でも悩んでいる人はいるんです。まして今はこの不景気でしょう、働き盛りの大人が悩んでいるんですからね。
何をやっても中途半端になってしまうという中退者が実際に年間10万人を越えている。
逆に素直で正直すぎるためにそうなってしまう。我々の方がずるいですよ。いいところに乗っかって社会人としてやっているようなふりをしていますけれど、これは上手に世の中を渡って来ているだけです。挫折する方が普通なんです。しないというのはどこかでずるさを植え付けられているからです。それは一つには学歴でしょう、ないよりあった方がいいということでね。
そういう正直な子を救えない、そうした制度がないというのはおかしいんですよ。アメリカだったら大変です、社会問題になってしまう。40年くらい前アメリカでも、そういうことがありました。しかし、そういう子たちを救済する制度を国が決めている。日本には何にもない。こういう大検という制度が昭和26年にできたんですが、実際に浸透しているかというとそうでもない。研修会などをやって、周知したぐらいでは駄目なんですよ、それをうまい具合に利用して活かして初めて生きる訳ですからね。ですから、これを使うべきところで使ってもらいたい。理想的には一つの県で1500人くらいの受験者がいてもおかしくない。ですが実際にはその五分の一、不思議な状態なんです。 毎年10万人の中退者がいるということは、昨年10万人なら今年も10万人。単純に5年間で50万人という計算です。しかし、こういう人達が独力で大検を受けようとしてもなかなか受からない。試験が難しいというのではなくて学校を辞めて何年も経ってしまっていますからね、本当は簡単なんですよ、4教科7選択ですからね。例えば数学ですと高校の1年までですから、下手すると、高校2年でやめた人は数学など取る必要無いんです。 悪く取りますと中学を卒業したら高校へは行かずに、そのまま大検の学校へ行ってしまう。毎年8月に試験がありますから、万が一全部受かってしまったとしたらそれで高卒資格が取れる。 文部省から認定書が来ますが、一般社会ではまだ認められていません。何が優先されるかというと、これは大学を受験する準備が整ったということです。
一般企業の9割が認めていますが、一割くらいは認めていない企業も一部にはある。
私が今まで塾などで拘わって来た生徒の中には、二十人以上が現在海外へ出てしまっています。そういう生き方を浸透させましたから、『ちまちました生き方はしないでくれ』と。日本を馬鹿にしているわけでは無いのですが、まず視野を広くして、若いうちは理屈抜きで行動しなさい、理屈なんて後からついてくるから。ということはお金だって後からついてくる。そういうものはあてにしないで、知識に対して貪欲であれとね。
@死ぬというのは勇気がいりますよ
自分も登校拒否をしていましたし、軽い重いは別にしてもあらゆる社会問題を体験して来ました。そして、いわゆるいじめも受けました。そこで自分が悪いのだということに気が付いたのは中学の2年の頃です。その時には『遅かったかな』と思っています。だから、高校生になってからは様変わりをした。ですからおもしろくなかったですよメリハリがなくって、今までは挫折してしまって泣き笑いがあったのが高校からは、友達の多い普通のハッピーな高校生になってしまった。変なもんですよね。起伏が合った方が人生生きていて楽しい。ですから、いじめられた頃を懐かしんでしまったりして(笑)。先天的にのんきな性格で深刻には考えないんですね。ですから今まで生き延びてこれた、ということはあると思いますよ。
そういった経験もありますから、大検を初めたいがいの相談には乗れるのでは無いかと思います。中学生でも高校生でもね。 おかしなもので、いじめた子もいじめられた子もまた中学や高校へ行き直している、そういう夢をよく見ます。大検もやり直しですから似ていますね。同じ夢が十何回も続きました。ですが、大検をやろうと思い始めてからは見なくなりました。
その中ではいじめはないんで
す。みんなと仲良くやっている。 いじめの自殺にしても、つまり弱虫だという言われ方をされていますが、その結果を親や先生にいいたくないんです。俺は強い子なんだ、その裏返しとして死んじゃうんです。矛盾しているんじゃ無いかと普通の人は思うのですが、死ぬというのは勇気がいりますよ。それを簡単に選ぶというのは勇気があるんですよ。それだったらしゃべればいいじゃ無いか、自分が困っている、いじめられているということを親に言えばいいじゃ無いか。……それは勇気じゃ無いんです。それを言えば相手に迷惑をかける。親に対して、余計な心配をさせたくないんです。人のことを思ってこれ以上の心配をかけたくない、俺はこれで限界なんだ、自分で何とかしようと思っていたけれども、やっぱりここで人に相談に乗ってもらうのもいやだから俺は命を断つ。そうすればみんな丸く収まる。でもって、自分の意思の強さで死ぬ、自殺を選ぶんです。そう考えた方がいいんですよ。ですからけして意志が弱いからじゃ無い。弱かったら他人にしゃべります。弱虫の子ってみんなそうですよ。誰々ちゃんにいじめられたよって言いつける、そのまんま大人になればいいんですが、無理に大人の格好をするからいけない。自然に任せるというのがいいが、それが欠如しているために子どもが変に大人になってしまった。親にも先生にも相談できない、まして友達にはいじめられている訳ですから相談できるはずが無い。その結果どうなったかと言えば、俺が我慢すればいいんだ、俺がいなくなればいいんだ。それが道として一番正しいんだ………。
ですから、自殺した人はみんな文章が達者、達筆でしょう。書くことにはものすごく慣れている。逆にいえば言えないんです。ですから意志が弱い方がいい。
めちゃくちゃ意志の弱い子か、めちゃくちゃ意志の強い子を育てればいい。中途半端に育てるから、言い方はおかしいですけれども、結果がああなっちゃう訳です。私はいじめられる側の問題としてしか考えていませんが、被害者側として見た場合には、学校の責任もありますが、そういうふうに育ててしまった親の責任もあると思います。
相談する側は、話を聞いてもらう人が欲しいんです。ですから聞く人も聞いてもらう人も、自殺とかは考えない。つまり自殺する人は相談する相手がいないんです。相談できる人はまだいい。ですから、その門扉を開かせて、その人の持っているカーテンを「開いてください」という体制を整えてあげたい。
@よく我慢しているなと思います
いじめの克服というのは、『戦う人間』がいるかどうかということです。今の子供達は戦う姿勢がないんです。何に対しても戦うんだという気持ちがあればそこまで落ち込むことは無い。そうでなければ丸っきりあきらめて、泣きつく。どっちでも命は助かる訳です。ものすごく意志の強い子か、弱い子かということはそういうことなんです。中途半端が一番いけないんです。それが自殺症候群になってしまう。
いじめにおいては大半の子どもが自殺してもおかしくはない状況です。いじめにあっている人が一万人いるとすれば、九千人は自殺してもおかしくない。よくこんな数字で済んでいる、よく我慢しているなと思います。@相手を殺したに等しい
ことをやっている
私の経験では、クラス会とか同窓会をやるといじめた子たちは来ないんですね。しめたなと思いました。会いたくありませんから。いい大人になってからも私抜きでクラス会をやったりする。そういうふうに今でも尾を引いている。電車の中などで会いますけれども、やはり目を背けますよね。こっちはなんでもないし、無理に自分から接することも無い。
いい大人でもこれですからね、子どものいじめなんて当たり前なんですよ。最近は陰湿になっているということで、問題ですね。ですが陰湿なんていうのは昔からありました。同和問題などもそうでしょう。その延長から来ているんですよ。もちろん教育のシステムもある。ですから陰湿になっているといわれるが、私はそうなっているとは思っていません。自分も陰湿な経験をしていますからね。普通の気の弱い子だったら、泣いてしまうような経験です。よくそれで我慢できましたね、といわれます。大体の人は途中から聞かなくなってしまいます。親に話したらその場からいなくなってしまいました。それくらい聞く方はつらかったです。
テレビドラマなどでいじめの問題を扱っていますが、多分私のはドラマにならない。放送禁止になります。相手を殺したに等しいことをやっている訳ですからね。本当によく生きていたなと思っています。ちなみに将棋の駒を何個も飲まされました。そんなに将棋が好きなら駒を飲んでみろと言われて。でも、これはまだまだ言える範囲です。これなどはまだ我慢できますが、言葉の暴力、言霊になるようなものは我慢できなかった。行動よりも言葉の方が許せないという部分があります。
さっき同窓会に来ないと言った人達は、それをやらせた人なんですよ。ですから、同窓会でその話をされるのがいやなんです。酒がまずくなってしまいますからね。
別に俺は恨んでいない。俺だって会いたくない。しかし、その人はその人なりに、そのことを一生背負っていく。何も犯罪者意識をもつ必要も無いのに、一生持ってしまう訳ですから…。@いじめる子というのは
基本的には優しい
『中学生日記』などを見ても、いじめらる子というのは生意気なんです。いじめる子は普通なんです。いじめられる側はどこが異常なんです。ですから異常な子がいじめられるだけなんですね。出る杭は打たれる。もう少し言わせて貰えば、本当は自分が悪い。いじめた人を恨んでいないというのは、無差別にいじめている訳ではないからです。こいつは『いやだ』という意思表示をしていじめている訳ですから、自分にも原因がある。生意気になってしまったんですよ。小学生時代に入退院などで苦労した。そのせいで回りが生温い生活をしていると、馬鹿呼ばわりをしたくなる。そんな事して何がおもしろいんだ、お前たちの年齢で生きたくも死んでいる奴が何人もいる。それでこんなことをやっていて何がおもしろいんだと言ったんです。それが気に食わなかった。ですから言ったものにも責任がある。
いじめていた子も初めのうちは優しくしてくれた子が大半なんです。ですからいじめる子というのは基本的には優しいんです。優しくし過ぎる生徒がいますね。そういうのが後になっていじめる側に回っていくんです。優しくしてやってるのに、お前は俺に何を言うんだと言ってね。大検の学校、予備校というのは今は東京にしかない
将来的には、学校にするという事も考えますが、こじんまりとしたものでもいい。大それたことは何も無いし、生徒は何人でも、十人でも二十人でもいいからそれを必要とする人達が来てくれればいいということです。細々とそうした人達とコミュニケーションを持ちながら、なおかつ勉強も教え目的を持たせてあげるというのが一番の願いですね。そして気軽に相談に来られる環境を整えてあげたい。
大検受験の生徒には、「普通に進学した生徒をライバルと思え」という、いわゆる戦う精神を植え付けさせる。戦争をする訳ではないんですから、戦うと言ったって一向にかまいません。
大検の学校、予備校というのは今は東京にしかありません。うちでは個人専任性で、一年間で大検に受かるように教えていますが、それも生徒によって変わります。一回で全部は受かりっこ無いですから、受からなかった残りの科目はまた来年受験する。普通一年で受かる人はいないですよ。
一例で言えば定時制高校へ通いながら大検を受験して半分の年数や一年でそこを卒業をする。定時制はそれが認められています。定時制にしても通信制にしても大検に受かってしまえばそれでいいんです。
受からないと思うでしょう、でもやる気をもった連中ですからね受験者の手記を読む限りでは上り調子となって、思ったよりも簡単に受かるんですよ。
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森9月号■
おぞねとしこのポエム…ほおずき………3p
その他の情報…/猫バス……4p
知らんの5つの市/ディスク=…5p
海棠市子の映画評……………6p
書評・絵本紹介………………7p
創作童話 第4回………8p
結婚しました…平塚鉄也さん&優子さん…95/7/23
JC・JOURNAL………………10-11p
公園探偵団………12-17p
インタビュー……丸山…18-21
インフォメーション9………22-25p
現代国語/カクテル………26p
杜 @皇が占う今月の運勢…………27
協賛店マップ………28-29p
新・こならの森から…………………30p
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【本文抜粋記事】
インタビュー
須藤敏夫さん
■PROFILE:1954年、葛生生まれ。
趣味は碁と将棋、ボーリング。座右の銘は、『三歳の童も導師なり』『窮鼠猫を噛む』の二つという。
@高校中退者は年間10万人を越えている
高校中退者に対して相談するところというと教育相談所とか自分の出身校の先生とかになりますが、出身校の先生というのははっきり言って相談に乗りません。現実に、卒業生が過ぎ去って3年4年経ちますとその子自体が何を考えているか分かりません。本当は本人は何かしたいということは分かっている、自分で決めているはずなんだけれど、最終的な決断が今一歩踏み出せない。それは、仲間がいないからで、仲間がいないということは指導者がいないということです。
この二つだけで決まってしまっている。小学校、中学校までは、仲間もいたし先生もいた。ですが中退すれば、その先は自分の責任です。そのことが誰にも伝わらないはがゆさがある。
すべての答えはどこにあるかと言えば、それは本人にある。特に子どもの場合は、はじめに答えが出ている。その念を押すんです。先生など第三者に念を押して、同じ答えを求める。例えば、高校へいきたいのに全部落こってしまった。でも本人は「高校へいきたいんだ」、ということを言いません。しゃくにさわるから、俺は「就職してもいいんだ」と言う。就職してもいいんだということは高校へ行きたいということですから、それを読み取ることです。こいつは本当は高校へ行きたいんだなと。「おまえは本当は答えが出ているんだろう」、そういってやると、素直に『うん』といっちゃう。ここなんです問題は、そのために何とか高校へいけるようしてあげる。
今までの僕だったら自分で考えろといいましたが今度は大検を始めましたから、自分で考えろとは言えない。ですからその結論に乗ってあげる、しかし、それが悪さをしたいとかそういう結論では困ってしまいます。でもたいていちゃんとした答えは出している。それに念を押した、我々の答えを待っている訳ですね。
@正直な子を救えない
今はいいですよね公的機関を利用したカウンセリングコーナーができていて、昔は無かったですからね。昔でも今でも悩んでいる人はいるんです。まして今はこの不景気でしょう、働き盛りの大人が悩んでいるんですからね。
何をやっても中途半端になってしまうという中退者が実際に年間10万人を越えている。
逆に素直で正直すぎるためにそうなってしまう。我々の方がずるいですよ。いいところに乗っかって社会人としてやっているようなふりをしていますけれど、これは上手に世の中を渡って来ているだけです。挫折する方が普通なんです。しないというのはどこかでずるさを植え付けられているからです。それは一つには学歴でしょう、ないよりあった方がいいということでね。
そういう正直な子を救えない、そうした制度がないというのはおかしいんですよ。アメリカだったら大変です、社会問題になってしまう。40年くらい前アメリカでも、そういうことがありました。しかし、そういう子たちを救済する制度を国が決めている。日本には何にもない。こういう大検という制度が昭和26年にできたんですが、実際に浸透しているかというとそうでもない。研修会などをやって、周知したぐらいでは駄目なんですよ、それをうまい具合に利用して活かして初めて生きる訳ですからね。ですから、これを使うべきところで使ってもらいたい。理想的には一つの県で1500人くらいの受験者がいてもおかしくない。ですが実際にはその五分の一、不思議な状態なんです。 毎年10万人の中退者がいるということは、昨年10万人なら今年も10万人。単純に5年間で50万人という計算です。しかし、こういう人達が独力で大検を受けようとしてもなかなか受からない。試験が難しいというのではなくて学校を辞めて何年も経ってしまっていますからね、本当は簡単なんですよ、4教科7選択ですからね。例えば数学ですと高校の1年までですから、下手すると、高校2年でやめた人は数学など取る必要無いんです。 悪く取りますと中学を卒業したら高校へは行かずに、そのまま大検の学校へ行ってしまう。毎年8月に試験がありますから、万が一全部受かってしまったとしたらそれで高卒資格が取れる。 文部省から認定書が来ますが、一般社会ではまだ認められていません。何が優先されるかというと、これは大学を受験する準備が整ったということです。
一般企業の9割が認めていますが、一割くらいは認めていない企業も一部にはある。
私が今まで塾などで拘わって来た生徒の中には、二十人以上が現在海外へ出てしまっています。そういう生き方を浸透させましたから、『ちまちました生き方はしないでくれ』と。日本を馬鹿にしているわけでは無いのですが、まず視野を広くして、若いうちは理屈抜きで行動しなさい、理屈なんて後からついてくるから。ということはお金だって後からついてくる。そういうものはあてにしないで、知識に対して貪欲であれとね。
@死ぬというのは勇気がいりますよ
自分も登校拒否をしていましたし、軽い重いは別にしてもあらゆる社会問題を体験して来ました。そして、いわゆるいじめも受けました。そこで自分が悪いのだということに気が付いたのは中学の2年の頃です。その時には『遅かったかな』と思っています。だから、高校生になってからは様変わりをした。ですからおもしろくなかったですよメリハリがなくって、今までは挫折してしまって泣き笑いがあったのが高校からは、友達の多い普通のハッピーな高校生になってしまった。変なもんですよね。起伏が合った方が人生生きていて楽しい。ですから、いじめられた頃を懐かしんでしまったりして(笑)。先天的にのんきな性格で深刻には考えないんですね。ですから今まで生き延びてこれた、ということはあると思いますよ。
そういった経験もありますから、大検を初めたいがいの相談には乗れるのでは無いかと思います。中学生でも高校生でもね。 おかしなもので、いじめた子もいじめられた子もまた中学や高校へ行き直している、そういう夢をよく見ます。大検もやり直しですから似ていますね。同じ夢が十何回も続きました。ですが、大検をやろうと思い始めてからは見なくなりました。
その中ではいじめはないんで
す。みんなと仲良くやっている。 いじめの自殺にしても、つまり弱虫だという言われ方をされていますが、その結果を親や先生にいいたくないんです。俺は強い子なんだ、その裏返しとして死んじゃうんです。矛盾しているんじゃ無いかと普通の人は思うのですが、死ぬというのは勇気がいりますよ。それを簡単に選ぶというのは勇気があるんですよ。それだったらしゃべればいいじゃ無いか、自分が困っている、いじめられているということを親に言えばいいじゃ無いか。……それは勇気じゃ無いんです。それを言えば相手に迷惑をかける。親に対して、余計な心配をさせたくないんです。人のことを思ってこれ以上の心配をかけたくない、俺はこれで限界なんだ、自分で何とかしようと思っていたけれども、やっぱりここで人に相談に乗ってもらうのもいやだから俺は命を断つ。そうすればみんな丸く収まる。でもって、自分の意思の強さで死ぬ、自殺を選ぶんです。そう考えた方がいいんですよ。ですからけして意志が弱いからじゃ無い。弱かったら他人にしゃべります。弱虫の子ってみんなそうですよ。誰々ちゃんにいじめられたよって言いつける、そのまんま大人になればいいんですが、無理に大人の格好をするからいけない。自然に任せるというのがいいが、それが欠如しているために子どもが変に大人になってしまった。親にも先生にも相談できない、まして友達にはいじめられている訳ですから相談できるはずが無い。その結果どうなったかと言えば、俺が我慢すればいいんだ、俺がいなくなればいいんだ。それが道として一番正しいんだ………。
ですから、自殺した人はみんな文章が達者、達筆でしょう。書くことにはものすごく慣れている。逆にいえば言えないんです。ですから意志が弱い方がいい。
めちゃくちゃ意志の弱い子か、めちゃくちゃ意志の強い子を育てればいい。中途半端に育てるから、言い方はおかしいですけれども、結果がああなっちゃう訳です。私はいじめられる側の問題としてしか考えていませんが、被害者側として見た場合には、学校の責任もありますが、そういうふうに育ててしまった親の責任もあると思います。
相談する側は、話を聞いてもらう人が欲しいんです。ですから聞く人も聞いてもらう人も、自殺とかは考えない。つまり自殺する人は相談する相手がいないんです。相談できる人はまだいい。ですから、その門扉を開かせて、その人の持っているカーテンを「開いてください」という体制を整えてあげたい。
@よく我慢しているなと思います
いじめの克服というのは、『戦う人間』がいるかどうかということです。今の子供達は戦う姿勢がないんです。何に対しても戦うんだという気持ちがあればそこまで落ち込むことは無い。そうでなければ丸っきりあきらめて、泣きつく。どっちでも命は助かる訳です。ものすごく意志の強い子か、弱い子かということはそういうことなんです。中途半端が一番いけないんです。それが自殺症候群になってしまう。
いじめにおいては大半の子どもが自殺してもおかしくはない状況です。いじめにあっている人が一万人いるとすれば、九千人は自殺してもおかしくない。よくこんな数字で済んでいる、よく我慢しているなと思います。@相手を殺したに等しい
ことをやっている
私の経験では、クラス会とか同窓会をやるといじめた子たちは来ないんですね。しめたなと思いました。会いたくありませんから。いい大人になってからも私抜きでクラス会をやったりする。そういうふうに今でも尾を引いている。電車の中などで会いますけれども、やはり目を背けますよね。こっちはなんでもないし、無理に自分から接することも無い。
いい大人でもこれですからね、子どものいじめなんて当たり前なんですよ。最近は陰湿になっているということで、問題ですね。ですが陰湿なんていうのは昔からありました。同和問題などもそうでしょう。その延長から来ているんですよ。もちろん教育のシステムもある。ですから陰湿になっているといわれるが、私はそうなっているとは思っていません。自分も陰湿な経験をしていますからね。普通の気の弱い子だったら、泣いてしまうような経験です。よくそれで我慢できましたね、といわれます。大体の人は途中から聞かなくなってしまいます。親に話したらその場からいなくなってしまいました。それくらい聞く方はつらかったです。
テレビドラマなどでいじめの問題を扱っていますが、多分私のはドラマにならない。放送禁止になります。相手を殺したに等しいことをやっている訳ですからね。本当によく生きていたなと思っています。ちなみに将棋の駒を何個も飲まされました。そんなに将棋が好きなら駒を飲んでみろと言われて。でも、これはまだまだ言える範囲です。これなどはまだ我慢できますが、言葉の暴力、言霊になるようなものは我慢できなかった。行動よりも言葉の方が許せないという部分があります。
さっき同窓会に来ないと言った人達は、それをやらせた人なんですよ。ですから、同窓会でその話をされるのがいやなんです。酒がまずくなってしまいますからね。
別に俺は恨んでいない。俺だって会いたくない。しかし、その人はその人なりに、そのことを一生背負っていく。何も犯罪者意識をもつ必要も無いのに、一生持ってしまう訳ですから…。@いじめる子というのは
基本的には優しい
『中学生日記』などを見ても、いじめらる子というのは生意気なんです。いじめる子は普通なんです。いじめられる側はどこが異常なんです。ですから異常な子がいじめられるだけなんですね。出る杭は打たれる。もう少し言わせて貰えば、本当は自分が悪い。いじめた人を恨んでいないというのは、無差別にいじめている訳ではないからです。こいつは『いやだ』という意思表示をしていじめている訳ですから、自分にも原因がある。生意気になってしまったんですよ。小学生時代に入退院などで苦労した。そのせいで回りが生温い生活をしていると、馬鹿呼ばわりをしたくなる。そんな事して何がおもしろいんだ、お前たちの年齢で生きたくも死んでいる奴が何人もいる。それでこんなことをやっていて何がおもしろいんだと言ったんです。それが気に食わなかった。ですから言ったものにも責任がある。
いじめていた子も初めのうちは優しくしてくれた子が大半なんです。ですからいじめる子というのは基本的には優しいんです。優しくし過ぎる生徒がいますね。そういうのが後になっていじめる側に回っていくんです。優しくしてやってるのに、お前は俺に何を言うんだと言ってね。大検の学校、予備校というのは今は東京にしかない
将来的には、学校にするという事も考えますが、こじんまりとしたものでもいい。大それたことは何も無いし、生徒は何人でも、十人でも二十人でもいいからそれを必要とする人達が来てくれればいいということです。細々とそうした人達とコミュニケーションを持ちながら、なおかつ勉強も教え目的を持たせてあげるというのが一番の願いですね。そして気軽に相談に来られる環境を整えてあげたい。
大検受験の生徒には、「普通に進学した生徒をライバルと思え」という、いわゆる戦う精神を植え付けさせる。戦争をする訳ではないんですから、戦うと言ったって一向にかまいません。
大検の学校、予備校というのは今は東京にしかありません。うちでは個人専任性で、一年間で大検に受かるように教えていますが、それも生徒によって変わります。一回で全部は受かりっこ無いですから、受からなかった残りの科目はまた来年受験する。普通一年で受かる人はいないですよ。
一例で言えば定時制高校へ通いながら大検を受験して半分の年数や一年でそこを卒業をする。定時制はそれが認められています。定時制にしても通信制にしても大検に受かってしまえばそれでいいんです。
受からないと思うでしょう、でもやる気をもった連中ですからね受験者の手記を読む限りでは上り調子となって、思ったよりも簡単に受かるんですよ。
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