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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森178号

2008-06-16 | 101号~200号
       ■こならの森178号■2003.2発行
表紙 「 ラーメンとさきたま古墳群」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森3月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「ラーメン大紀行」………………6
さきたま古墳群……………………8
JCジャーナル……………………14
風の独り言…………………………16
書評/絵本紹介……………………17
三鴨の窓辺から……………………18
各市文化会館情報…………………20
インフォメーション………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

■ちょっとそこまで
さきたま古墳群

 今まで何度か近くを通り何かと気がかりだったところがここである。あまりにも近いところだったためか、たいしたことはないのだろうと思っていたが、多角的に考えてみると全く違った顔が見えてくる。それは縄文時代にまで遡る歴史の蓄積かもしれない。
 園内には最小の前方後円墳とうたわれる古墳があるが本当だろうか。それよりも小さな古墳を佐野市内で見ているし、こならの森でも特集の中で取り上げており、実際に現地へも行っている。もちろん佐野のその古墳がいつ、何年代の古墳であるかについてはよくわからないので、事実は不確かではあるが。
 こうした大規模な史跡は、やはり冬にいくのが一番良い。木々の葉が枯れ古墳が本来の姿に戻り、全貌が把握しやすい。
 余談だが古墳と言われても、小さな円墳などは、自力で作れないこともない。またそれよりも多少大きくなった前方後円墳でも、ある時間を費やせば出来ないほどではないと思う。自力で造れそうな古墳は多く見かけるが、100メートルを超えるものになると事情は少し違ってくるのだろう。
 大きな、円墳(実際には日本一大きいと言われる円墳がさきたま古墳群にはある)よりも小さな前方後円墳の方が素人目には意味があるようにも映って興味は尽きない。丸、円墳という発想はあまりにも単純で誰でも思いつきそうな事であるからだ。それなのに、一ひねりして後方墳を演出する(付け加える)発想はどうしたところから出てきたものか。いかなる考え、発想力の所作か。また、前方後円墳朝鮮オリジナル説が一時期話題になった。最近の調査では、前方後円墳ではないということ。やはり前方後円墳は日本独自のものなのだろうか。これも古代のロマンであろう。
 埼玉県の名前の由来のほんのはじめのはじめ、それはここなのだ。あたりは田園地帯である。よくもこうして残ったものだと不思議な思いもする。規模的にも、数の多さにおいても関東ではまれだろう。どうやら中央政権とつながりのあった豪族がこの地方一帯を支配していたようだ。
 道路を挟んだ、その反対側にも向かってみた。
 こちらはあまりにも生活に密着してしまった、あるいはとけ込んでしまったような気がする。古墳と言うより少し大きな築山か、公園のようでもある。これは湯津上村でみた古墳群のようであった。納屋の先や裏庭をかいくぐって古墳を見て回った記憶がよみがえる。
 さきたま古墳群は、運動場や大型公園、観光地化された施設といった整備の仕方なので、散策やウオーキングにはもってこいだ。事実多くのウオーカーとであった。犬の散歩などでは、回りきれないくらいだ。水をたたえた堀には鴨がたくさん集まっていた。ちょっと見たときには、なんだかわからなかったのだが。

(略)

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