京都の闇に魅せられて(新館)

鞍馬・僧正ヶ谷 @ 京都妖怪探訪(443)





 どうも、こんにちは。
 天狗伝説や「魔王尊(まおうそん)」への信仰で有名な洛北の霊場・鞍馬を訪れる第5回目です。
 今回は、「鞍馬僧正坊」という大天狗が棲み、源義経が天狗から武術や兵法を学んだという伝説の地、「僧正ヶ谷(そうじょうがたに)」を巡ります。
 また、その伝説を元に創られたという能・謡曲『鞍馬天狗』の舞台ともなった場所です。
 その伝説地らしく、源義経にまつわるスポットがいくつもあります。



 シリーズ前回の続きから。
 鞍馬寺・本堂よりさらに奥へと進みます。






 有名な歌人、与謝野鉄幹・晶子の歌碑と、その書斎だった「冬柏亭(とうはくてい)」があります。








「何となく君にまたるるここちして いでし花野の夕月夜かな」晶子

「遮那王が背くらべ石を山に見て わが心なほ明日を待つかな」寛


っと、書かれているそうです。

 現在の鞍馬弘教を創った先代貫首・信楽香雲(しがらき・こうううん)という人は、与謝野晶子の直弟子でもあったそうです。
 それでこういうのものが遺されていたのです。

 ところでこのすぐ近くには、「霊宝館」という鞍馬寺の寺宝や鞍馬山の自然が紹介された博物館があったのですが、時間の都合で観に行けませんでした。
 いずれ機会を見つけて再訪し、「霊宝館」もゆっくり観て回りたいものです。


 山道をさらに奥へと進んでいきます。









 「義経公息つぎの水」。
 その名の通り、源義経が飲んでいたという湧き水です。今も飲めるのでしょうか。






 屏風坂の地蔵堂です。






 さらに険しくなる山道を上っていきます。









 「義経の背比べ石」です。





 義経が平家打倒を決意して鞍馬を降り、藤原秀衡の奥州を目指す時、名残を惜しんでこの石と背比べをした、と伝えられています。
 私の記憶では、それほど大きくはなかったような。
 義経さんは、小柄な人だったようです。


 険しい山道をさらに進んでいきます。








 道も狭いし、険しい。
 その日は祝日だったので、ご覧の通り結構多くの登山者が居ますが、実は急な坂道が続いていたりで、結構きつい。
 また道の途中には、熊や毒蛇、毒虫などが居るからという理由で、立ち入り禁止になっている箇所も見られました。
 義経はこんな場所で修行を重ねてきたというのですから、確かに強くなるし、身のこなしも軽くなるはずです。
 私などは日頃の運動不足の為、この辺りで既に疲れて、息があがってしまうという体たらくです。


 そして、「僧正ヶ谷・不動堂」です。





 天台宗・比叡山延暦寺を開いた“伝教大師”最澄が自ら刻んだという不動明王像が奉られているそうです。
 そういえば、元々鞍馬寺は天台宗の寺院でしたね。
 それにしても、“弘法大師”空海が刻んだ仏像など、歴史・伝説上有名な高僧が刻んだかという仏像がたくさん遺されていたりして。昔のえらいお坊さんは、彫刻の名人でもあったのでしょうか?



 「不動堂」前の地面には、このような魔法陣みたいなものも。
 やはりこれも、西洋神智学の影響を受けた鞍馬寺ならではでしょうか。






 そのほぼ向かい側には「義経堂」。





 その名の通り、源義経の霊が祀られています。
 奥州衣川で最期を迎えた義経の魂は、幼少時代を過ごした鞍馬に戻ってきたとして信じられています。
 そして鞍馬の“尊天”こと「護法魔王尊」の脇侍「遮那王尊(しゃなおうそん)」として崇められているのです。

 この辺りは、能・謡曲『鞍馬天狗』の舞台としても有名です。
 ここで、その『鞍馬天狗』の簡単なあらすじを。

 春の鞍馬山で、多くの稚児を伴った鞍馬寺の僧や平家の貴人たちが花見をしています。
 そこへ一人の山伏がやってきますが、場違いな部外者が入ってきたことを嫌がった僧や貴人たちは、花見を延期して立ち去ってしまいます。
 山伏は僧たちの心の狭さを嘆きますが、稚児の一人だった牛若丸(のちの源義経)だけが残ります。
 山伏と牛若丸の二人は親しくなり、牛若丸は「自分は源氏の生まれであること」を、山伏は「自分の正体は鞍馬の大天狗であること」をそれぞれ明かします。
 翌日、約束通りに牛若丸が大天狗を待っていると、大勢の天狗たちを引き連れた大天狗が現れます。大天狗は兵法の奥義を牛若に伝え、戦場での守護を約束して去って行きます。

 この作品では、牛若丸は大勢の僧や稚児たちが居る中で、一人浮いた、疎外された存在として描かれているそうです。それが、同じく嫌われ、疎外された存在である「山伏」を親しくなる。
 その嫌われ者だった「山伏」は実は凄い人(?)で、のけ者にされていた弱い少年は、その人から技を教えてもらって強くなるという。
 こう言うと、まるで映画『ベスト・キッド』みたいですが……。

 『千本ゑんま堂大念仏狂言』の他にも、能や狂言などをじっくりと観て、勉強した方がいいようですね。私も。






 ところで、源義経に武術と兵法を教えたという「鞍馬天狗」の正体とは何者だったのでしょうか。
 シリーズ第440回でも触れた、陰陽師にして、武術や兵法にも優れた「鬼一法眼(きいちほうげん)」という人物だったという説。
 源氏の郎党の生き残りだったという説。
 当時、鞍馬山に居た山伏(修験者)や、鞍馬寺の僧兵だったという説。比叡山延暦寺の僧兵のように、山岳の厳しいで心身を鍛え続けた修行僧を武装させたら戦力となりますから。
 その真偽のほどは、私にはわかりませんが。
 あるいは……鞍馬天狗の正体は、外国人だったという驚きの説もあるのです。

 実は、本シリーズに何度か登場していただいた京都の妖怪絵師・伝道師の葛城玄幽氏もその一人のようです。
 以下の写真は、何年か前に葛城氏主催の鞍馬・貴船ツアーに参加した時のものですが。
 鞍馬山山中で解説する葛城氏ですが、その手に持っているタブレットの画像をご覧ください。





 さて、タブレット画像の人物は、何者でしょうか?
 外人の山伏(修験者)さんではありません。
 実は、修験道の意外な起源について、葛城氏が解説された時に資料として出されたのが、こちらの画像です。
 そして義経に武術を教えたのも、実は日本人ではなかったという可能性も。
 ここに映っている人物は何者か?
 そして日本の修験道の意外な起源とは?

 その詳細については……ここで書くよりも。葛城氏に直接聞かれるか、京都を訪れた時に実際に葛城氏の主催されるツアーに参加されるか、妖怪カフェ『妖怪堂』を訪ねられるとよいでしょう。
 ご興味ある方は、以下で葛城氏に連絡をとられるとよろしいでしょう。


*葛城氏のTwitter
https://twitter.com/yokaido



*『妖怪堂 葛城トオルのブログ』
http://blog.livedoor.jp/maturowanumono/




 それでは今回はここまで。
 この続きはシリーズ次回に。

 次回は、鞍馬の象徴ともいうべき「木の根道」を通って、「護法魔王尊」が降臨したという「魔王殿(まおうでん)」を訪れます。







*鞍馬寺へのアクセス・周辺地図はこちら





*鞍馬寺のHP
http://www.kuramadera.or.jp/index.html




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm





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