京都の闇に魅せられて(新館)

鞍馬・本堂・金堂へ @ 京都妖怪探訪(442)





 どうも、こんにちは。
 天狗伝説や「魔王尊(まおうそん)」への信仰で有名な洛北の霊場・鞍馬を訪れる第4回目です。
 今回は、「九十九折参道(つづらおりさんどう)」と呼ばれる山道を山頂の鞍馬寺・本堂を目指します。
 その途中には、源義経ゆかりのスポットがいくつか見られます。
 それにしても、20日はその鞍馬寺で「竹切り会式」という祭事があったのですが、仕事で観に行けなかったのが残念です。



 シリーズ前回の続きで、由岐神社から「九十九折参道」に戻り、山頂目指して上がっていきます。

 するとまず見えてくるのが、源義経の守り本尊が祀られていたという「川上地蔵堂(かわかみじぞうどう)」です。






 義経が鞍馬に居た時に住んでいたという「東光坊」の跡に建てられたという「義経公供養塔」。






 これのオブジェは一体何か?





 後で調べてみたら、鞍馬山の「尊天」を表す、「愛と光と力の像・いのち」という像だそうです。
 鞍馬山の本尊は「尊天」といい、次の三身を一体として「尊天」というそうです。

 ・月輪の精霊:「愛」=千手観音菩薩
 ・太陽の精霊:「光」=毘沙門天
 ・大地の精霊:「力」=護法魔王尊

 鞍馬山パンフレットの記述によれば、この「尊天」とは、「人間を初め、この世に存在するものすべてを生み出している宇宙生命、宇宙エネルギー」であり、「真理そのもの」で、「神仏の区別を超えてひとつの形に固定されず」、「森羅万象、日月星辰、あらゆる神あらゆる仏の相(すがた)となって顕現」する存在です。
 この考え方は、日本古来の仏教や神道のものなのだろうか……などと思っていたら。
 実は鞍馬寺は元々、天台宗の寺院だったのですが、先代貫首(住職)の信楽香雲(しがらきこううん)という人が、神智学の影響を受けて、昭和22年(1947年)10月より鞍馬弘教(くらまこうきょう)として独立した、とあります。
 つまり現在の鞍馬寺は、ここ独特の宗教を信仰している場となります。
 それにしても、日本古来の天台宗に、西洋の神智学を結びつけた先代貫首さんの発想力にはいろんな意味で驚きですが。


 話を鞍馬山散策に戻します。
 次は「双福苑」という場所です。





 あまりうまく撮れてなくてすみません。
 こことは「玉杉大黒天」と「玉杉恵比寿尊」の二柱の神様を祀ったお堂が、「双福橋」という橋でつながれています。


 「九十九折参道」の途中から観た光景です。





 清少納言が『枕草子』で「近うて遠きもの」と評した山道が続いています。


 歴史の古い鞍馬山には、清少納言の他にも上った有名人は数多く居たようで、途中でいくつもの句碑も建っていました。






 さらに上ると「中門」にさしかかります。





 この門は元々「勅使門」と呼ばれ、山麓の「仁王門」の横にありました。
 その名の通り、朝廷からの勅使(天皇の使い)が通っていました。
 この「中門」から上は、石段と石畳の道が続きます。

 ところで中門の前に立っている人物は、本シリーズにも何度も登場したことのある京都の妖怪絵師・伝道師の葛城玄幽氏です。
 鞍馬山「中門」の写真は、葛城氏の主催するツアーで訪れた時のものです。
 鞍馬についても、いろいろとお話を伺いました。


 石段の石畳の道を山頂へ。









 山頂近くの「巽の弁財天社」。






 山頂までもう少し。









 そして鞍馬寺の「本堂・金堂」までやってきました。






 本堂前の魔法陣みたいなこの床は、「金剛床(こんごうしょう)」といい、「内奥に宇宙の力を有する人間が宇宙そのものと一体化するという鞍馬山の教えの理想を表現」(鞍馬山のパンフレット)しているとされています。
 テレビなどでパワースポットとしても紹介されたことがあり、この中心でお祈りをする人の姿が絶えません。


 本堂の両脇を守っている毘沙門天の使い、阿吽(あうん)の虎。









 本堂の東側、水の神様を祀った閼伽井護法善神社。






 護法魔王尊を祀る「光明心殿(こうみょうしんでん)」。






 寺務所が置かれている本坊前の庭「瑞風庭(ずいふうてい)」。





 「奥の院に護法魔王尊が降臨する様子を表現」したものだそうですが、そう見えます?


 訪れたのは5月でしたが、境内にはまだ「雲珠桜(うずざくら)」という桜の花が残っていました。






 鞍馬山の「護法魔王尊」とは何者か?
 元はヒンドゥー教神話の神様で、近代神智学では「1850万年前に金星から降臨した」とされる「サナト・クマーラ」だとも、さらには西洋キリスト教や悪魔学などの魔王ルシファーだとも考えられています。
 本堂の像では、豊かな顎髭をした天狗か山岳修行者のような姿で表現されていますが。
 ただし本尊は60年に一度しか公開されない秘仏なので、普段見られるのは「お前立ち」と呼ばれる代わりの像だそうです。
 ということは、次に公開されるのは2046年。あと30年も先で、その頃私は既に老人、生きているかどうかも定かではありません。

 護法魔王尊の姿とは。一説には以下のように。
 一見すると人間と同じだが、その身体を構成する元素は人間と違う為、永久に変化しません。永遠に16歳の若さを保つ、光り輝く金髪の美青年(美少年)。
 これは確か、元は天使長だったルシファー本来の姿では。
 また「ルシファー (Lucifer)」とは、「明けの明星(金星)」を指すラテン語であり、「光をもたらす者」という意味も持つという話です。鞍馬の護法魔王尊も「650万年前に人類救済の為に金星から降臨した」というSFか伝奇ものみたいな設定ですから、「護法魔王尊=魔王ルシファー」という可能性も。
 もっともこれには「先代貫首が西洋の神智学を影響を受けた」という事情もあるかもしれません。神智学では「金星」も「サナート・クラマ」も崇拝の対象だそうですから。

 ただ、先代貫首が神智学の影響を受けて現在の鞍馬弘教を開くよりはるか以前から、鞍馬山はルシファーを祀ってきたという説もあります。
 古代日本には既にキリスト教が伝わり、鞍馬山にルシファーが祀られたのもそうした影響のひとつだという話です。
 京都の妖怪絵師・伝道師の葛城玄幽氏もその一人で、葛城氏の主催するツアーで鞍馬山に上った時にも、「古代京都=山背、山代(やましろ)国の成り立ち」から、「鞍馬山魔王尊=ルシファー説の根拠」まで、いろいろと面白いお話を伺いました。





 それの詳細については……ここで書くよりも。葛城氏に直接聞かれるか、京都を訪れた時に実際に葛城氏の主催されるツアーに参加されるか、妖怪カフェ『妖怪堂』を訪ねられるとよいでしょう。
 ご興味ある方は、以下で葛城氏に連絡をとられるとよろしいでしょう。


*葛城氏のTwitter
https://twitter.com/yokaido



*『妖怪堂 葛城トオルのブログ』
http://blog.livedoor.jp/maturowanumono/



 今回はここで一旦切ります。
 シリーズ次回以降も、このこゆくて怪しい(笑)霊場を巡り、本殿よりさらに山奥へと進みます。
 





 それでは今回はここまで。
 この続きはシリーズ次回に。






*鞍馬寺へのアクセス・周辺地図はこちら





*鞍馬寺のHP
http://www.kuramadera.or.jp/index.html




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm





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