京都の闇に魅せられて(新館)

【資料記事】小路流解説「TRPGとは何か?」





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 どうも、こんにちは。
 今後はTRPGの記事も少しずつ書いていきます。
 その為、そもそも「TRPGとは何か? どのようなものか?」を、私なりに説明・解説した文章を記事にします。
 元記事・・・というより、記事になった文章は、元々私が最初に解説したホーム・ページ(※現在は閉鎖して存在しません)に書いたものですが、それに加筆・修正を加えたものです。
 元記事を書いたのがもう20年ほど前になりますので、現在においては内容が古くなったので、多少の訳注や解説も加えました。
 以下、本文です。


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 私には、中学生の頃から「三度の飯より好き」という趣味がある。
 テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム(Tabletalking Role Playing Game、以下、TRPGと略)というゲームである。
 ここでは、そのTRPGについて、私なりの言葉で、なるべく初心者にもわかるように説明していきたい。



*TRPGをわかりやすく説明すると……


 とは言っても、「TRPGって何それ? そんなの聞いたこともない」という人も多いと思う。まず、TRPGとはどんなものかを説明しなければならないだろう。

 TRPGは知らなくても、RPG(ロール・プレイング・ゲーム)ならばご存知の人は多いだろう。ファミコンやプレイ・ステーションなどの家庭用ゲーム機のソフトに、『ドラゴン・クエスト・シリーズ』や『ファイナル・ファンタジー・シリーズ』などといった大ブームを起こして話題になったシリーズがある。それらは通常、RPGとかロールプレイングと呼ばれている。
 それらの内容を簡単に説明すれば、以下のとおりになる。
 プレイヤーは、ゲーム内の架空世界の主人公となって、悪い怪物と戦ったり、洞窟で宝物を探したり、敵の城へ侵入したりなど、様々な冒険を楽しむ。つまり、ファンタジーなどの英雄物語の主人公気分を味わえる、というものである。
 元々は欧米発祥である為、西洋風ファンタジー作品が多いようだが、近年ではSFや、現代ヒーローモノ、スチームパンク、近未来のサイバーアクション、プレイヤーは普通の人間として悪霊や怪現象に翻弄され続けるというホラーものまで、ジャンルも遊び方も違う多種多様なRPGが出回っている。

 TRPGとは、それにT(テーブルトーク)を加えたものである。つまり『ドラゴン・クエスト(ドラクエ)』や『ファイナル・ファンタジー(FF)』のようなことを、コンピューターを使わず、何人かでテーブルを囲んで、会話のやりとりで話を進めていくものである。ほとんどの場合、ストーリーの作成と進行・運用を行なうマスター(通称:GM、ゲームマスター)と言われる人物(ファミコンなどで言えば、コンピューターやプログラムの役割をする)一人と、その他の参加プレイヤーで行なわれる。
 というよりむしろ、TRPGの方が元祖なのである。
 『ドラクエ』や『FF』などのコンピューターを使ったRPGは「CRPG(コンシューマーRPG)」というものである。
 何故、RPG(TRPG)からCRPGが生まれたのか?  TRPGをするには、結構手間がかかる。まず、メンバーをそろえなければならない。最低でもマスター一人と1、2名のプレイヤーが必要だろう。同じ趣味の相手が身近にいればいいのだが、常にそうとは限らない。メンバーを集められたとしても、全員の都合がうまく合うかどうかという問題がある。「今回は試験期間中だから参加できない」とか「今日は仕事で行けない」とかで、メンバーがなかなかそろわないという経験をした人も多いのではないか? さらに、みんなで集合できる場所の確保ができるかという問題もある。

 「人数・時間・場所等と確保するという手間をかけずに、もっと手軽に、一人ででもRPGを楽しめないものか?」

 このような必要性から考えだされたのが、CRPGである。RPGの楽しさを、いつでも、どこでも、一人ででも楽しめるCRPGはその後、『Wizardry』や『ドラクエ』『FF』などの人気シリーズを中心に爆発的な広がり、発展を遂げる。特に日本においては、本来の「元祖」であるTRPGが霞んでしまうほどの広がりと発展を見せた。おそらく圧倒的多数の日本人は、「RPG」といえば、『D&D』、『ソード・ワールド』とか、『トーキョーN◎VA』ではなく、『ドラクエ』や『FF』を思い浮べることだろう。

 しかし、だ。その中にあってもなお、TRPGを楽しむ人々がいる。この私もそのうちの一人である。
 何故か? それは、(そのような人々にとって)TRPGには決して捨てることのできない魅力があるからだ。人数・時間・場所等のコストを考えてもなお捨てがたいほどの魅力が、TRPGにはあるのだ。
 では、その魅力とは何か?
 次にそれを、私なりの言葉と考えで紹介していきたい。



*TRPGを、何故素晴らしいと考えるのか?


 TRPGは決して子供だけの遊びではない。教養のある大人で も十分に楽しめる、最高に知的で贅沢、なおかつ教育的効果も期待できるものである。 だからこそ、まだ一部ではあるが(あるジャーナリストによれば、日本全国には既に十万単位の愛好家がいるそうだが)、熱心な支持層を捕らえているのだ。

 一見「子供の遊び」「オタクの遊び」のようにしか思えない、TRPGのどこが知的なのか、どのような教育的効果があるのか? 疑問を持たれた人もいるだろう。
 次に、それらをより具体的に説明していきたい。

①観客(受け手)も主人公や作者(作り手)になれる「双方向性」
②現実の諸問題や参加者の人間心理なども反映できること。
③他者とのコミュニケーション形成の可能性。


 以上3点を順に説明していこう。


①「双方向性」について

 詩、小説、映画、演劇、オペラ、能や歌舞伎、講釈……。有史以来、人間が織り成す多くの物語を表現し、その感動を伝えるために、実に多くの表現形態が生み出されてきた。しかしそれらの表現形態には、いずれも物足りない点があった。
 それは「受け手(観客や読者など)は、その物語を間接的にしか体験できない。物語に対して受動的にしか楽しめない」ということである。
 例えば、『三国志演義』を例にとってみよう。観客や読者は、劉備や諸葛孔明などの英雄豪傑たちの活躍に胸踊らせ、劉備ら三兄弟の絆に感動したりする。しかしその興奮や感動は、観客が直接的に体験できるものでない。実際に物語の中で活躍し、英雄や忠臣として讃えられるのは、劉備や孔明などの登場人物であって、観客ではない。観客は、物語の登場人物への感情移入を通じて、間接的にしかそれらを体験できない。
 また、ストーリーの進行に観客や読者の意志が、反映されたり、影響を与えたりすることもまずない。その点でも、観客は受動的にしか楽しむことができない。
 また『三国志演義』を例にとって考えてみよう。観客がいくら劉備を応援しても、彼らが天下統一をなしえることはなく、五丈原の戦いで彼らの宿願は潰えてしまう。また、義兄弟の関羽を失った劉備が、孔明が止めるのも聞かずに、怒りにまかせて無謀な復讐戦をしかけ、再起のチャンスを逃してしまうくだりがある。観客の中には「自分だったら、感情的になってああいうことはしない」と思った人も多いのではないか。それでも、そのストーリー(とモチーフになった歴史的事実)は変わることはない。
 しかしTRPGだけは違う。従来のあらゆる表現形態が持っていた限界を、越えることができるのだ。何故なら、物語の主人公は、観客(の分身であるキャラクター)であるからだ。受け手にも自分の意志や言動によって、物語の流れを変えたり、多少なりとも影響を及ぼしたりすることができる。「作り手」と「受け手」との相互作用によって、ひとつの物語を紡ぎだしていくことができる。TRPGは、それまでのどの表現形態にもなかった偉大さを持っている。誇張ではなく、本気で私はそう考える。

 なおここで、もう少し「双方向性」についてCRPGとの比較で論じてみよう。
 「双方向性」について言えば、TRPGの方が明らかに上である。何故なら、「行動選択の自由」が全く違うからだ。CRPGの場合、どんな優れたソフトであっても、プレイヤーはプログラムされた以上の選択肢を選ぶことができない。
 例えば「敵とたたかう」時でも、どのように戦うかによって、大分違ってくるのではないか? 「我こそは、聖騎士○○である。暗黒騎士●●よ、いざ尋常に勝負!」と、正々堂々と勝負を挑むのか? 何か策略をめぐらして、相手を陥れるのか? 無駄な戦いはせず、所持金だけをかっぱらって逃げる? それとも「ザコモンスターでも殺すに忍びない」と、戦わずにすませる? あるいは、敵モンスターすら仲間にしようとする?
 もちろんCRPGにも、単に戦うだけでなく、「はなす」とか「なかまにする」とかいう選択肢(コマンド)が用意されているのもある。また最近のCRPGやオンラインゲームも、昔に比べればかなり自由度や選択肢の幅も広まったと思う。しかしそれも、「プログラムされた範囲内」でしかない。いかに優れたCRPGソフトであっても、コマンドにある以上の選択はできない。
 しかしTRPGは違う。マスターとプレイヤーの想像力が及ぶ限り(そしてルールやマナーに反しない限り)、どんなことでもできる。
 戦いのことだけではない。ヒロインや美しい王女様(元々のシナリオにおいて主人公はこっちと結ばれるものとする)よりも、町の小さな宿屋で働く娘の方が好きになった……というのなら、宿屋の娘に告白すればいい。
 国王に逆らう反乱軍と戦うというシナリオでは……もし「国王が嫌いだ」とか「反乱軍の方に共感した」とかいうのなら、反乱軍に加わればいい。

 ただし、ひとつだけ注意すべき点がある!
 それは、「自由には必ずそれに見合うだけの責任が伴う」ということだ!
例えば、いくら自由だからといって、いい加減な理由で仲間を裏切る行動をとった者などは、仲間内での信頼失墜と報復とを覚悟しなければならないだろう。いくら「空想世界の中だから」とかいって、町中で犯罪行為をすれば、その世界の官憲に追われることを覚悟すべきだろう。そして、マスターや他のプレイヤーが不愉快に思うような言動をとり、なおかつ注意されても反省しない人は……サークルから追放されることも覚悟すべきだろう。
 以上、くれぐれも忘れることのないように……。


②現実の諸問題や参加者の人間心理なども反映できること。

 一般的に「空想」とか「ファンタジー」などといえば、「現実」との対義語、対立する概念であると考えられがちである。
 しかし多くのファンタジー作品や、空想物語を紐解いてみると、必ずしも全てがそうであるとは言い切れないことに気が付く。
 例えば、ファンタジーの古典として有名なスイフトの『ガリバー旅行記』を読んでみると、架空世界の描写という手段を使うことによって、現実世界への痛烈な皮肉・風刺・批判を行なっている箇所がしばしば見られる。『ガリバー旅行記』には、理屈をこねてばかりで現実の問題にまともに対処ができない知識人たちの国・ラピュータが登場する。これなどは、現実の問題にまともに取り組めない知識人やアカデミズムに対する批判の意図をもって描かれたことは明白であろう。
 最近の例では、何年か前に大ヒットしたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』がある。これはファンタジーではないが、近未来の世界を模した架空世界を舞台にした架空の物語を通して、人間の(特に思春期の少年少女の)深層心理や心の葛藤などを描いた作品として有名である。
 こうして見ると、「現実」と「空想」「ファンタジー」とは必ずしも対立するものではない、と考えられる。むしろ、現実の問題を空想物語に置き換えることによって、その問題をより深く考え、また多くの人々に考えさせることもできるのだ。それによって直接的には話しにくい現実の問題を取り上げることもできるのだ。
 もちろんTRPGでも、そのようなことはできる。何か強い問題意識をもった人が元のストーリーを作ったり、またそういう人が参加者の中にいたりすると、何かしらすごく考えさせるストーリーができてしまうこともある。それによって、各参加者の価値観や思想的バックグラウンドまでわかってしまうこともあるのだから、面白くもあるし、また恐ろしくもある。
 さらに付け加えると、参加者たちの価値観だけではなく、各人の性格や人間性などが恐いほどにわかってしまうこともある。
 例えば、普段はおとなしく見える人が、TRPGの空想世界では、とんでもなく粗暴な無軌道な言動をしたりする。それによって、「この人は、一見おとなしそうにふるまっていても、内に強い攻撃性を秘めた人物である」ということがわかったりする。またTRPGをやっていて、非常識な言動をしたり、他の参加者に不快感を与えるような言動をするような人は、現実の社会生活においても協調性を欠き、トラブルを引き起こしていることも多い。実際、私もそのような事例に出くわしたのは一度や二度ではない。
 空想世界の、想像力の世界だけのことだからといって、決してばかにはできない。それだからこそ、普段は表れないその人の性質というものが出てくるのかもしれない。
 以下は余談だが……。
 もしも私が企業の経営者や人事担当者ならば、入社試験や新人研修などにTRPGを取り入れているだろうと思う。冗談で言っているのではない。これほど各人の人間性や価値観、発想力などがよく表れるものも少ないだろう。以前、「新人研修の一環として、新入社員を無人島に連れて行き、どうするかを観察するという企業がある」という話を聞いたことがある。それよりもTRPGをした方が、コストもかけずに新入社員の性質や潜在力を推し量ることができるのではないかと思うのだが、いかがであろうか。


③コミュニケーション能力の形成

 TRPGをやっていると、その人の性質がプレイ中の言動に表れることがあるのは、先述したとおりである。
 逆に、TRPGをすることによって、自らを省みて、自分自身の人間的な成長に役に立つこともある。何しろ、空想世界のこととはいえ、人間を相手にしているのである。他人に不快感を与えないための最低限のマナーや協調性などは、自ずと必要になってくる。それができないようだと、仲間からつまはじきにされることもある。このあたりは、野球やサッカーなどの集団競技と同じである。
 私自身もかつて、協調性のなさを指摘されて猛反省させられたことがある。
 また、このような趣味の集まりには、実に様々な人が集まって来る。10代の学生から30代以上の社会人まで。自分たちとは異質で、普段の生活では(特に学生生活においては)あまり出会う機会のなさそうな人たちとも出会うことが多い。その中でコミュニケーションの能力が磨かれていくことも多い。この点が、自分一人だけでも楽しむことのできるコンピューター・ゲームなどと決定的に違う点である。
(注:この記事を最初に書いた20年ほど前は、現在と違いソーシャルゲームやオンラインゲームが普及していなかった)


 私の一番の趣味であるTRPGについては、まだまだ語り足りない部分もあるが、これ以上は別の機会にしたい。
 世間では「子供やオタクの遊び」と見られがちな(それ以前に日本ではあまり知られていない)、TRPGではある。私は自分の趣味や好みを全ての人に押しつけようなどという大それたことをするつもりはない。
 しかしそれでも、筆者がこの一見風変わりに見える遊びに入れ込む理由を、読者の方にご理解いただけただろうか。
 これからも私は、単に娯楽というだけでなく、自分の世界を広め、豊かにするための手段として、TRPGを続けることだろう。


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 本文は以上。
 
 弊ブログ記事にはほとんど書かなかったのだが、実は私は現在も月1回、地元のTRPGサークルでTRPGを続けています。
 この度、およそ1年半~2年ぶりにファンタジーRPGのGMとシナリオ制作をする番が回ってきたので。
 これを機に、TRPGの記事もぼちぼちと書いていけたらいいな、と思います。






 今回はここまで。
 また次回。





『京都妖怪探訪』シリーズもよろしく。




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