京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪紀行(18):粟田口刑場跡:日ノ岡側から




 前回の続きで、粟田口刑場跡をとりあげます。
 平安京遷都の時期から江戸時代まで処刑場があった粟田口。
 一説では1万5000人以上の人が処刑されてきた、とされるいわくつきの土地でもあります。
 今回とりあげる日ノ岡周辺にも、「首が外れるランナーが出没した」など、それに関連するような怪談話があるそうです。

 前回の東山(京都市街)側からは反対側にあたる日ノ岡・山科側から見ていきたいと思います。
 京都と山科、大津とを結ぶ重要な交通路のひとつ、三条通り。
 その途上にある日ノ岡周辺です。





 古くから交通の要衝としての役割を果たしてきた土地ですから、このようなモニュメントも残っていたりします。








 それらしき石碑が見えてきました。





 そこにもうちょっと近寄ってみます。
 すぐそばに、老人ホームらしき建物があります。





 入居している人たちは怖くないのでしょうか?
 っと、普通に生活している人たちには無意味な心配かもしれませんが……。

 「南無阿弥陀仏」と書かれた石碑があります。





 中はちょっとした庭みたいになっているようです。





 中に入ってみました。





 さきほどのよりも大きな石碑です。
 処刑された人たちの供養のために建てられたものでしょう。
 毎年春秋に亡霊供養が行われているそうです。

 その隣には、僧侶らしき人の像が建っています。





 この石像の人物は、木喰上人(安祥院開基木食養阿、1687~1763)という有名な僧侶で、永代供養のための名号碑を各地の無常所に建てた人物です。
 ところでこれらの名号碑も、明治の廃仏毀釈の折に、大変な受難にあったそうです。
 バラバラに切断されて、工事の資材として使われたりとかされたそうです。

 現在は一部ながら復元されているそうですが、今でもその痛ましい爪痕を見ることができます。





 ここにも。



 様々な歴史の経緯や、それに関わった多くの人たちに思いをはせながら。
 そして、礼儀として合掌をして、その場を後にしました。



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