毎年、利休忌の2月28日頃に特別公開される泪の茶杓が本日までとの事で徳川美術館さんへお伺いいたしました。
私共の店より徒歩数分と恵まれた環境にある事をブログを書きながら改めて実感したと同時に、普段の忙しさを言い訳に行かず終いで済ましてしまう自分に反省です。
泪の茶杓を拝見させて頂くのは8回目ですが、その時々の心境によって違った表情に見えます。
しかし極限まで薄く細く削り込まれた姿は実に美しいと思います。
保存にはよほど気を遣っていらっしゃるようで、ケース越にみる限りではダメージは殆ど見当たりません。
古田織部作の茶杓筒も同様で400年以上前に作られたとは信じがたい程綺麗でした。
<千利休 作 竹茶杓 銘『泪』>
天正十九年(1591年)二月、豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自からこの茶杓を削り、最後の茶会に用い、古田織部に与えた。その後、古田織部はこの茶杓用に、長方形の窓をあけた筒をつくり、その窓を通してこの茶杓を位牌代わりに拝んだと伝えられる。筒は総黒漆塗で、これを垂直に立てると、いかにも位牌らしくみえる。茶杓は白竹で樋が深く通り、有腰で、利休の茶杓の中でもとくに薄作りに出来ている。千利休-古田織部-徳川家康(駿府御分物)-初代義直と伝来した。『玩貨名物記』所載。
私共の店より徒歩数分と恵まれた環境にある事をブログを書きながら改めて実感したと同時に、普段の忙しさを言い訳に行かず終いで済ましてしまう自分に反省です。
泪の茶杓を拝見させて頂くのは8回目ですが、その時々の心境によって違った表情に見えます。
しかし極限まで薄く細く削り込まれた姿は実に美しいと思います。
保存にはよほど気を遣っていらっしゃるようで、ケース越にみる限りではダメージは殆ど見当たりません。
古田織部作の茶杓筒も同様で400年以上前に作られたとは信じがたい程綺麗でした。
<千利休 作 竹茶杓 銘『泪』>
天正十九年(1591年)二月、豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自からこの茶杓を削り、最後の茶会に用い、古田織部に与えた。その後、古田織部はこの茶杓用に、長方形の窓をあけた筒をつくり、その窓を通してこの茶杓を位牌代わりに拝んだと伝えられる。筒は総黒漆塗で、これを垂直に立てると、いかにも位牌らしくみえる。茶杓は白竹で樋が深く通り、有腰で、利休の茶杓の中でもとくに薄作りに出来ている。千利休-古田織部-徳川家康(駿府御分物)-初代義直と伝来した。『玩貨名物記』所載。